ゴールキーパー ディノ・ゾフ
元サッカー選手。イタリア出身。
1982年のスペインワールドカップでアズーリを優勝に導いた伝説的なゴールキーパー。
イタリアカルチョ史に多大な足跡を残した真のカンピオーネ。
イタリア人として唯一、欧州選手権とワールドカップ両方の優勝を経験しており、スクデット獲得回数はなんと6回にも及ぶ。
技術的な面においては文句の付けようがなく、精神的にもチームの柱となった。
ユベントス在籍時にはフルシーズン、全ての試合に出場するという偉業を達成し、数々のタイトルを手中に収める。
だが現役生活の晩年には「老眼のGK」とも揶揄され、1982年ワールドカップではディノ・ゾフがゴールマウスを預かることに反対するものもあった。
しかし、いざ大会が終わってみるとイタリアは1938年以来、実に44振りのワールドカップ優勝。
ゾフは得点王に輝いたパオロ・ロッシにも劣らぬ素晴らしい活躍を見せ、ワールドカップ史上最も高齢の優勝メンバーとして歴史に記録された。
名言
ディノ・ゾフは「ゴールキーパーはワインと同じ。年を重ねるほど味が出る」と言った
上記は、「老眼のGK」、「老いぼれ」と言われたが、1982年ワールド杯で優勝を果たした際のコメント。
知性を感じる一言です。
世界の歴代ゴールキーパーの中で、三指に入ると言われています。
知性を感じる一言です。
世界の歴代ゴールキーパーの中で、三指に入ると言われています。
動画
ワールドカップサッカー 英雄列伝9 ディノ・ゾフ 1/2 - YouTube
via www.youtube.com
引退後
1983年の決勝を最後にゾフは引退し、イタリアのオリンピック代表の監督に就任し、ソウルオリンピックを戦った。
ゾフはオリンピックで期待に応え、1988年、ユベントスに監督として呼び戻された。
イタリアカップとUEFAカップでの優勝、さらにイタリアリーグ第3 位の成績はクラブも満足したはずだが、1年でゾフはユベントスを去った。
1990年からはラツィオで監督を務め、1994年からは同クラブの会長に就任。
1998年にイタリア代表監督に就任すると、EURO2000でフランスに敗れたものの準優勝に導いた。
その後再びラツィオの監督に復帰したが、2001年9月に成績不振で解任された。2005年1月から6月まではフィオレンティーナの監督を務めた。
ゾフの愛用グローブは、日本人でも人気に
当時(1980年代前半)は、GKグローブと言えばドイツのUhlsport(ウールシュポルト)でした。
ディノ・ゾフや多くの有名GK(ウルリッヒ・シュタイン、ピーター・シルトン等)が愛用していましたし、『キャプテン翼』の若林くんもUhlsportのグローブでした(笑)。
特に、ゾフが愛用していたモデル(手の甲の部分がグレーとブラックで、手のひらが赤いモデル。アイテムコードというかナンバーは「040」。名前は忘れました…)は、日本でも使用していた選手が多かったです(日本リーグの選手も、高校サッカーの選手も)。