元ジャニーズ・井上 純一
早稲田高等学院の学生がジャニーズに!
1974年夏に早稲田大学高等学院1年生だった井上 純一はジャニーズ事務所に入る。
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ジャニーズ事務所に所属した井上 純一はジャニーズJr.になる。9月には、山縣孝良が脱退したJJS(ジャニーズ・ジュニア・スペシャル)のメンバーの選ばれるがすぐに脱退している。
写真の右から2番めが井上 純一。
写真の右から2番めが井上 純一。
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井上 純一は、ジャニーズ事務所からソロデビューしていた!
井上 純一は、ジャニーズではめずらしいソロデビューしたアイドルのひとりだった。
1975年に「株式会社ジャニーズ事務所」を設立した時に、郷ひろみがジャニーズ事務所からバーニングプロダクションに移籍した。井上純一はポスト郷ひろみとして期待されデビューした。
1975年に「株式会社ジャニーズ事務所」を設立した時に、郷ひろみがジャニーズ事務所からバーニングプロダクションに移籍した。井上純一はポスト郷ひろみとして期待されデビューした。
1975年8月1日、コロムビアレコードから『恋人ならば』でソロデビューする。
夏休み中に芸能活動をするが、学校と家が厳しく、秋以降プロモーション活動はしていないようだ。TVで井上純一 が『恋人ならば』を歌っている姿を見たことがない。
夏休み中に芸能活動をするが、学校と家が厳しく、秋以降プロモーション活動はしていないようだ。TVで井上純一 が『恋人ならば』を歌っている姿を見たことがない。
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レコードのジャケットでは、テニスウェア姿を披露している。
井上純一自身も、早稲田大学高等学院のテニス部に所属していたという。
井上純一自身も、早稲田大学高等学院のテニス部に所属していたという。
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井上純一は、レコードデビューと同時に映画『俺たちの恋人』の撮影にクランクイン、草刈正雄と共演している。(お蔵入りして、未公開)
1975年11月1日公開された、東宝映画『はつ恋』で井上純一は仁科亜希子と共演。オールヌードを披露的した。
1976年、NHK朝の連続ドラマ『雲のじゅうたん』では、主演の浅茅陽子の息子役に抜擢されて髪を切った。
1975年11月1日公開された、東宝映画『はつ恋』で井上純一は仁科亜希子と共演。オールヌードを披露的した。
1976年、NHK朝の連続ドラマ『雲のじゅうたん』では、主演の浅茅陽子の息子役に抜擢されて髪を切った。
学業を優先して、早稲田大学高等学院高校を卒業
※私的エピソード
井上純一は転校せずに早稲田高等学院を卒業した。卒業式の翌日か数日後に女子向けの雑誌(セブンティンだったと思う)に卒業式の井上純一の制服姿が掲載された。
詰め襟の学ランに坊主に近い短髪だったと記憶している。
ドラマよりもかっこよかった!
40年後の今、あの坊主頭について、NHKドラマ『雲のじゅうたん』出演時に髪を切ったことを知った。
井上純一は転校せずに早稲田高等学院を卒業した。卒業式の翌日か数日後に女子向けの雑誌(セブンティンだったと思う)に卒業式の井上純一の制服姿が掲載された。
詰め襟の学ランに坊主に近い短髪だったと記憶している。
ドラマよりもかっこよかった!
40年後の今、あの坊主頭について、NHKドラマ『雲のじゅうたん』出演時に髪を切ったことを知った。
ジャニーズJr.出身の井上純一と近藤純一(メッツ)
JJS(ジャニーズ・ジュニア・スペシャル)『ベルサイユのばら』
井上純一が一時加入していた、JJS(ジャニーズ・ジュニア・スペシャル)は、ジャニーズ・ジュニアの中からメンバーが選ばれ、1975年2月21日 『ベルサイユのばら』で、デビューした。
メンバーは、林 正明(マーちゃん)、板野俊雄(トシちゃん)、畠山昌久(チャーリー)の3人。
そして、「グループジュニアエース」という、ジャニーズジュニア一期生から作られ、後に「メッツ」とよばれるグループに所属していたのが、近藤純一(愛称:ジャンボ)だ。1958年9月27日 、大阪市阿倍野区生まれ、広島市育ち。
メンバーは、林 正明(マーちゃん)、板野俊雄(トシちゃん)、畠山昌久(チャーリー)の3人。
そして、「グループジュニアエース」という、ジャニーズジュニア一期生から作られ、後に「メッツ」とよばれるグループに所属していたのが、近藤純一(愛称:ジャンボ)だ。1958年9月27日 、大阪市阿倍野区生まれ、広島市育ち。
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井上純一は、ジャニーズ事務所イチオシのアイドル、ポスト郷ひろみ!
ポスト郷ひろみとして売り出した井上純一は、太い眉毛や髪型は郷ひろみに似ていた。
※個人的な当時の記憶では、顔は似ていないが、イメージ的には川崎麻世と同じ系統のアイドルだったと思う。強烈な個性のアイドルと言うより、井上純一はスマートな好青年だった。
当時のジャーニーズタレントの中では井上純一と川崎麻世は異色だ。ジャニー喜多川の夢であるミュージカルのために郷ひろみを超える舞台俳優を育成したかったのだろうか。
また、ふたりとも80年代の終わりにジャニーズ事務所をやめて他へ移籍。結婚をしている。
※個人的な当時の記憶では、顔は似ていないが、イメージ的には川崎麻世と同じ系統のアイドルだったと思う。強烈な個性のアイドルと言うより、井上純一はスマートな好青年だった。
当時のジャーニーズタレントの中では井上純一と川崎麻世は異色だ。ジャニー喜多川の夢であるミュージカルのために郷ひろみを超える舞台俳優を育成したかったのだろうか。
また、ふたりとも80年代の終わりにジャニーズ事務所をやめて他へ移籍。結婚をしている。
井上純一は、歌手として1975年8月から1984年の間にシングル12枚。アルバム2枚をリリースしている。
1975年には3月と8月の2回、日劇(東京の有楽町にある日本劇場)「ウエスタン・カーニバル」に出演していた。
1978年には新人俳優に送られる「エランドール賞」を受賞。
俳優への転機となった。
1975年には3月と8月の2回、日劇(東京の有楽町にある日本劇場)「ウエスタン・カーニバル」に出演していた。
1978年には新人俳優に送られる「エランドール賞」を受賞。
俳優への転機となった。
1958年8月14日 生まれ、東京都世田谷区代田出身。
父親は、一流出版社の管理職。
ジャニーズ事務所に所属していた元アイドル歌手。早稲田大学第一文学部中退。
血液型:B型; 身長:177 cm、体重:64 kg。
趣味:ゴルフ、テニス、スキー、ギター。
特技:タップダンス。