郷ひろみプロフィール
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郷 ひろみ(ごう ひろみ、1955年10月18日 - )は、日本の男性歌手、俳優である。本名は原武 裕美(はらたけ ひろみ)。
福岡県出身(東京都育ち[1])。所属事務所はバーニングプロダクション。2014年10月よりマネージメントをエヴァーグリーン・エンタテイメントに委託し業務提携。
いわずと知れた日本エンターテイメント界のスーパースター、郷ひろみ。1970年代初頭にアイドルとしてデビューすると、その後も芸能界のトップに君臨し、1980年代、90年代と時代を超えてヒット曲を重ねる日本アイドル界のTOP OF THE TOPとも言える存在です。
ジャニーズ事務所からデビュー
子供の頃から「お人形さんみたい」と周囲の人たちに可愛がられ、時に外国人と間違われることもあった郷は、16歳のときにかのジャニー喜多川に見初められジャニーズ事務所から芸能界デビューします。「郷ひろみ」の芸名は、ファンからの声援「レッツゴーひろみ」から借名して名付けたそうです。
フォーリーブスのバックダンサーをつとめたのち、大河ドラマなどいくつかのドラマに出演したのち、1972年8月1日、CBSソニーより「男の子女の子」でシングルデビューを果たします。この曲でいきなりオリコンチャートのベストテン入りを果たすとともに、年末には第14回日本レコード大賞・新人賞を受賞します。
新御三家としてトップアイドルの地位を確立
デビューして間もなく、同世代の西城秀樹、野口五郎と共に新御三家と呼ばれ、一躍トップアイドルの仲間入りを果たします。
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いろんな現場で一緒になると、まわりが思うようなライバル関係ではなく、同じ年代のやつがいる安心感、喜びで胸が高鳴った。
新御三家と呼ばれた僕たち。
3人でする笑い話がある。
ヒデキとひろみが売れてきたある日、ヒデキから
「ゴロウ、相談があるんだけど」
と呼ばれた。
「ひろみは、オレより数ヵ月後輩だから、最初は、ヒデキさん荷物持ちますって感じだったんだけど、しばらく経つと、おいヒデキって呼び捨てなんだよ、それがオレ、許せないんだ!」
3人で会うと、今でもこの話で大笑いする。
僕たちにしかわからない、熱狂があった。
僕たちにしか理解できない、孤独があった。
御三家の中で一番遅れてデビューしてきた郷ですが、瞬く間に他の二人と肩を並べます。当時から切磋琢磨しながらも、他の誰にも理解できない独特の絆で結ばれていた三人は、その後も日本の芸能シーンをリードしていきます。
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アイドル時代のヒットソング
デビュー以来、バーニングプロダクション移籍前までに11曲のシングルを発売。どの曲もオリコンチャートの上位を占めました。可愛らしいルックスと鼻にかかった歌声が、若い女性の人気を博し、ファンによる親衛隊も誕生しました。
郷ひろみ 裸のビーナス 1973 (当時物)
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郷ひろみ ♪よろしく哀愁
オリコンシングルチャートでジャニーズ事務所所属歌手として初の第1位を獲得した代表作。郷ひろみのヒット曲の中でも最大のヒット作品であり唯一のオリコン1位獲得作品でもあります。
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1975年、ジャニーズ事務所からバーニングに移籍。郷ひろみを「理想のアイドル」として思い描いていたジャニー喜多川社長は、体調を崩してしまうほどのショックを受けたと言われています。
郷ひろみ あなたがいたから僕がいた (1976)
この曲で、第18回日本レコード大賞大衆賞の受賞。キャンディーズとの決選投票ののち受賞決定後、郷は感極まって号泣し、歌が歌えないほどでした。
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