マルチな活躍ぶりを魅せる女優・草笛光子さん
草笛光子さんの経歴
松竹歌劇団スリーパールズ時代の草笛光子さん(左)。真ん中は淡路恵子さん。#あさイチ pic.twitter.com/kokZpYBUxR
— いっぷく (@iippuku) March 9, 2016
幼少期は身体が弱かったという草笛光子さん。心身を鍛える目的で、小学生からバレエを習っていたそうです。いつしか芸能・演劇の世界に憧れるようになり、1950年に松竹歌劇団の5期生として入団。その後、深草笙子さん・淡路恵子さんと共に、三人組みのアイドルユニット『スリーパールズ』を結成して、圧倒的な人気ぶりを誇りました。
1954年、松竹歌劇団を退団。以降は、東宝の専属女優となって映画・テレビなどの分野にも活動の場を広げます。1958年、初の冠番組である音楽バラエティー『光子の窓』の放送が始まると、さらに世間からの知名度を高めました。
1960年、作曲家の芥川也寸志さんと結婚されますが、長続きせず、2年後には離婚してしまいました。
1960年、作曲家の芥川也寸志さんと結婚されますが、長続きせず、2年後には離婚してしまいました。
しかし、芸能・女優としての活動は順調で、数々の東宝の喜劇作品に出演。映画監督として有名な成瀬巳喜男さん・市川崑さんの作品では常連として活躍しています。金田一耕助シリーズにおいては、『犬神家の一族』に始まり、全作品への出演を果たしました。
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国内のミュージカルにおいても、日本初演を迎えた作品『ラ・マンチャの男』『シカゴ』にも参加されており、舞台女優としても確固たる地位を確立されています。テレビドラマの分野では、石井ふく子さんがプロデュースした作品や、橋田壽賀子さんの脚本作品などにも起用されました。
1980年代辺りには東宝専属からフリーに転身して、松竹や東映の映画作品にも出演されるようになります。フリーになってからは草笛光子さんの母親がマネージメントをしていたそうですが、亡くなったことで、2009年にはオスカープロモーションの所属になりました。
1980年代辺りには東宝専属からフリーに転身して、松竹や東映の映画作品にも出演されるようになります。フリーになってからは草笛光子さんの母親がマネージメントをしていたそうですが、亡くなったことで、2009年にはオスカープロモーションの所属になりました。
数々の受賞歴もピックアップ
受賞歴も多く「6週間のダンスレッスン」で読売演劇大賞優秀女優賞、松尾芸能賞大賞を受賞。また芸術祭賞を3度受賞している。
13年第48回紀伊国屋演劇賞・個人賞、99年紫綬褒章、05年旭日小綬章。
2018年には、山路ふみ子映画賞財団特別賞、松尾芸能賞、読売演劇大賞優秀女優賞(「新・6週間のダンスレッスン」)の3賞を連続して受賞した。
2019年 浅草芸能大賞大賞、毎日芸術賞、ゆうもあ大賞受賞。
草笛光子さんの主な代表作品
映画
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内容&あらすじ
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内容&あらすじ
名探偵・金田一耕助 登場。華麗なる連続殺人事件。 日本の製薬王が残した莫大な遺産と謎の遺言状。呪われた一族の抗争を予期した顧問弁護士は名探偵・金田一耕助を呼び出すが、彼と会う前に何者かに殺害されてしまう。それを契機に、一族が次々と手の込んだ殺され方で命を落としていく。湖に突き出た逆さの足、菊人形につけられた生首…。犬神家の家宝である斧(ヨキ)・琴(コト)・菊(キク)に隠された秘密とは?
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内容&あらすじ
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生年月日:1933年10月22日
出生地 :神奈川県横浜市
血液側 :B型
職業 :女優
活動期間:1952年~