伝説の歌姫【中森明菜】の栄光と挫折そして再び翔ぶ
2016年2月24日 更新

伝説の歌姫【中森明菜】の栄光と挫折そして再び翔ぶ

体調不良でなかなかメディアに出てくることの少ない中森明菜。歌手として歌姫として活躍していた頃の中森明菜を襲った忌まわしい事件、そして再び頂点を目指す中森明菜を一緒に見てみませんか?

15,622 view

歌姫「中森明菜」とは

中森明菜

中森明菜

生年月日:1965年7月13日
出身地:東京都
血液型:A型
職業:歌手、女優

数々のアイドルを輩出してきたオーディション番組、日本テレビ系の「スター誕生!」で合格し研音所属とワーナー・パイオニアとのレコード契約する。
当時の日本テレビ系の「スター誕生!」はアイドルや芸能人を目指す若者に夢を与えてくれる番組として人気が高かった。
ビジュアルや歌唱力を認められ契約したい芸能プロダクションがプラカードをあげると夢がかなうという番組で毎週アイドルを目指している人たちが笑い涙した番組。
この番組から輩出された芸能人として有名なのは後に花の中三トリオと呼ばれた森昌子、桜田淳子、山口百恵や2時間ドラマの女王と言われている片平なぎさ 、老若男女に人気があったピンク・レディー など当時の人気アイドルと言われた人たちがこぞって応募した。
その中でも中森明菜は何度となく応募し落選した経験を持つが山口百恵の「夢前案内人」を歌い合格となった。

アイドルとしての中森明菜

1982年にシングル「スローモーション」でデビューするものの皆に知られる曲にはならなかった。「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」が彼女のキャッチフレーズである。
中森明菜をブレイクさせる曲はセカンドシングル「少女A」であり次の発売された「セカンド・ラブ」がオリコンランキングで週1位を獲得した。
ブリッコ路線ではブレイクできなかった中森明菜

ブリッコ路線ではブレイクできなかった中森明菜

デビュー曲とセカンドシングルを聞けば路線転換が行われたということが素人的にもわかったが本人はどう思っていたのだろうか。
アイドルとしての道の真ん中を歩いてきたように思える中森明菜が比較されていたのが彼女とは正反対のタイプ松田聖子である。ビジュアル、曲調、雰囲気がまるで異なり当時の女性ファンは松田聖子派と中森明菜派に分かれていた。

シングルジャケットでみる中森明菜の変化

歌姫と言われるようになった中森明菜が少女から大人の女性へと変化していくさまをシングルジャケットで見てみたいと思います。懐かしい顔から愁いのある顔まで見たことのある顔が並びます。
「少女A」

「少女A」

1982年に発売されたシングルはこの曲のほかデビュー曲の「スローモーション」「セカンド・ラブ」があります。ちょっと生意気な感じの女の子を言ったイメージを持った人も多かったでしょう。
出典 okmusic.jp
「禁句」

「禁句」

1983年に発売されたシングルは「トワイライト -夕暮れ便り-」、「北ウイング」とあり、このころの中森明菜のヘアスタイルはアップスタイルが多かったという記憶があります。
「飾りじゃないのよ涙は」

「飾りじゃないのよ涙は」

1984年に発売されたこの曲は作詞作曲井上陽水で10枚目のシングルとなった。同年「北ウイング」、「サザン・ウインド」、「十戒 (1984)」も発売されている。このころから少し大人っぽい雰囲気の中森明菜を見ることができます。
「SOLITUDE」

「SOLITUDE」

1985年にリリースされた曲はこのほかに「SAND BEIGE -砂漠へ-」、「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」とあり曲調に合わせて自分を演出するというスタイルが確立されました。
「DESIRE -情熱-」

「DESIRE -情熱-」

1986年に発売されたこの曲はジャケットの雰囲気とは違ってばっさりと切ったヘアスタイルが地毛なのかウィックなのかと軽く騒動になりました。この年にリリースされた曲は「ジプシー・クイーン」、「Fin」とあります。
「難破船」

「難破船」

1987年に発売されたこの曲で印象に残っていることは何といっても衣装です。踊ることもなくセンターでじっとして歌うこの曲は今も好んでカラオケなどで歌う女性も多くいます。同年リリースしたシングルは他に「BLONDE」、「TANGO NOIR」とあります。
「TATTOO」

「TATTOO」

1988年に発売された曲はこの曲以外に「AL-MAUJ (アルマージ)」、「I MISSED "THE SHOCK"」とありますが「TATTOO」の衣装がボディコンという今までにない中森明菜を見たような気持ちになりました。
出典 okmusic.jp
「LIAR」

「LIAR」

1989年にリリースされた曲はこの曲のみとこれまでのリリース数とは異なるので目が行きます。今年は明菜ファンとして忘れることができない事件が起こります。
出典 okmusic.jp
「Dear Friend」

「Dear Friend」

1990年にリリースされたこの曲で注目されたのが前年の事件騒動でついてしまった傷がPVで見えているのでは?ということでした。
同年に「水に挿した花」もリリースされていて日本テレビ系のテレビドラマ「水曜グランドロマン」の主題歌としても使われたので耳にした人も多いのではないでしょうか。
出典 okmusic.jp
37 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

中森明菜本人が語った!!『テレビ出演のオファーが来ない理由』!?

中森明菜本人が語った!!『テレビ出演のオファーが来ない理由』!?

中森明菜さんと言えば2010年に体調不良により芸能活動の無期限休止を発表。それ以降メディア出演は元より、公の場へ一切姿を現していませんでした。そんな明菜さんが年に1度のディナーショーで理由を語られています。
ギャング | 28,456 view
高得点を目指せ!【中森明菜】イントロクイズ

高得点を目指せ!【中森明菜】イントロクイズ

類まれなる歌唱力と、曲ごとに印象をガラッと変える個性的なビジュアルでファンを魅了。 音楽業界の名だたる賞を総ナメした歌姫・中森明菜のヒット曲をアナタはどれだけ覚えていますか?
カルメン・マキ「時には母のない子のように」からロック歌手に!

カルメン・マキ「時には母のない子のように」からロック歌手に!

1969年に17歳のカルメン・マキ「時には母のない子のように」を歌い、デビューしました。その後ロック歌手に転向したカルメン・マキの軌跡。逮捕と現在の活動。
日劇閉館イベントで「スニーカーぶる~す」が上映。近藤真彦が公開の81年当時を振り返り舞台挨拶でコメント

日劇閉館イベントで「スニーカーぶる~す」が上映。近藤真彦が公開の81年当時を振り返り舞台挨拶でコメント

2月4日に閉館するTOHOシネマズ日劇で「青春グラフィティ スニーカーぶる~す」(1981年)が上映され、たのきんトリオの一人として出演していた近藤真彦が舞台挨拶に登壇。1981年の公開当時の想い出を語った。
【日本レコード大賞】歴代受賞者&受賞曲一覧(1980~1989年)

【日本レコード大賞】歴代受賞者&受賞曲一覧(1980~1989年)

年末の恒例音楽イベントTBS『日本レコード大賞』。八代亜紀、寺尾聡から中森明菜、光GENJI、Winkまで日本レコード大賞1990年代の歴代受賞者&受賞曲を動画を交えてご紹介します。
小さいおっさん | 18,627 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト