参院予算委員会でアントニオ猪木と馳浩が激突!
元プロレスラーの馳浩・文部科学大臣(54)と、師匠である日本を元気にする会のアントニオ猪木氏(72)が11月11日、参院予算委員会の質疑で「対決」した。
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冒頭、質問に立った猪木は「就任おめでとうございます」と切り出し馳と食事をした際、「お前、いつ大臣になるんだ」と聞いたところ、馳氏が「そのうちです。そのときは猪木さんに最初に質問を受けます」と応じたというエピソードを感慨深げに紹介。
「こんなに早く実現するとは思わなかった。いっぱいスキャンダルを集めてきたが、今日はやめる。国民やマスコミに受けることじゃなく、本音を語ってもらいたい」とジャブを放った。
その上で猪木氏は2020年東京五輪をめぐり招致委員会が国際オリンピック委員会(IOC)に提出したコンセプトに「アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候」とあることについて、「地熱まで計算すると45度ぐらいある。誰がつくったか知らないが、この文章をどう思うか」と馳にただした。
これに対し、馳はまず「猪木さん、いろいろご指導をありがとうございました。こうして答弁する立場にならせていただきました」と猪木氏に感謝したが、「与えられた環境、日程で、最高のパフォーマンスを発揮するような取り組みを推進していくことが必要だ」と応じた。
猪木は、馳の答弁内容に対し「役人の意見のように聞こえる」と、師匠らしく厳しく指摘。
委員会室の中から「延髄切りだ」の声が飛ぶと、「これでは卍(まんじ)固めですね」と応じてみせた。
「こんなに早く実現するとは思わなかった。いっぱいスキャンダルを集めてきたが、今日はやめる。国民やマスコミに受けることじゃなく、本音を語ってもらいたい」とジャブを放った。
その上で猪木氏は2020年東京五輪をめぐり招致委員会が国際オリンピック委員会(IOC)に提出したコンセプトに「アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候」とあることについて、「地熱まで計算すると45度ぐらいある。誰がつくったか知らないが、この文章をどう思うか」と馳にただした。
これに対し、馳はまず「猪木さん、いろいろご指導をありがとうございました。こうして答弁する立場にならせていただきました」と猪木氏に感謝したが、「与えられた環境、日程で、最高のパフォーマンスを発揮するような取り組みを推進していくことが必要だ」と応じた。
猪木は、馳の答弁内容に対し「役人の意見のように聞こえる」と、師匠らしく厳しく指摘。
委員会室の中から「延髄切りだ」の声が飛ぶと、「これでは卍(まんじ)固めですね」と応じてみせた。
【国会】アントニオ猪木『馳大臣のスキャンダルを集めてきたが今日はやめにします』 平成27年11月11日 - YouTube
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アントニオ猪木と馳浩の師弟関係について
馳浩は1984年のロサンゼルスオリンピックには、レスリング・グレコローマンの90kg級で出場。
翌年、プロレスラーに転身し、猪木が率いる新日本プロレスで活躍した。
馳が政治家に転じたのは、アントニオ猪木がスポーツ平和党を率いて参院選に出馬した1989年。
馳は猪木を秘書として支えた。その後、自民党の森喜朗にスカウトされ、1995年の参院選では石川県選挙区から自民党の推薦を受け無所属で立候補し初当選。当選後に自民党に入党した。
翌年、プロレスラーに転身し、猪木が率いる新日本プロレスで活躍した。
馳が政治家に転じたのは、アントニオ猪木がスポーツ平和党を率いて参院選に出馬した1989年。
馳は猪木を秘書として支えた。その後、自民党の森喜朗にスカウトされ、1995年の参院選では石川県選挙区から自民党の推薦を受け無所属で立候補し初当選。当選後に自民党に入党した。
猪木からの大臣就任祝い
内閣改造で文部科学相に就任した馳浩が10月7日、アントニオ猪木氏から受け取ったお祝いメッセージを「アントニオ猪木さんから。師匠、ありがとうございます。」というコメントとともにFacebookに公開した。
プロレスでは23年前に猪木が卍固めで勝利している
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1992年1月4日、東京ドーム アントニオ猪木vs馳浩
馳の裏投げの5発目を足をフックさせて防いだ猪木は、逆に腕折りを見舞い反撃に出た。8分過ぎ。6万人の「猪木コール」を背に延髄斬りがサク裂する。馳が立ち上がったところをスリーパーホールド、再び延髄斬りに卍固めと畳み掛ける。ロープに逃げられたが延髄斬りを2連発、そしてとどめはやはり卍固めだ。今度は逃がさんとばかりに胸を張り絞めあげる。手足を絡みつけられた馳は、ギブアップを訴える左手を動かすことしかできなかった。
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