白井貴子とは
白井 貴子(しらい たかこ、1959年1月19日 - )は、神奈川県藤沢市[1]出身のシンガーソングライター。2006年、デビュー25周年を期に、バンド活動を再始動。
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CBSソニーレコードのオーディションに合格し、佐野元春さんのバックコーラスに参加。その後、佐野元春さんの「SOME DAY」をカバーし注目を得ます。
大きなヒットは無かったものの、「CHANCE!」という曲をご存じな方もいらっしゃるのではないでしょうか?
ソロシンガーとして活動していたのですが、『白井貴子 & CRAZY BOYS』というロックバンドを結成。その際、音楽業界からは「女にロックは解らない」と冷淡で理不尽な扱いを受けることになります。しかし、そんな周囲の評価を蹴散らすほど、ライブが始まると観客が総立ちになり、「総立ちの貴子」と呼ばれる様になりました。
当時の学園祭にはよく呼ばれており、「学園祭クイーン」とも呼ばれていました。
大きなヒットは無かったものの、「CHANCE!」という曲をご存じな方もいらっしゃるのではないでしょうか?
ソロシンガーとして活動していたのですが、『白井貴子 & CRAZY BOYS』というロックバンドを結成。その際、音楽業界からは「女にロックは解らない」と冷淡で理不尽な扱いを受けることになります。しかし、そんな周囲の評価を蹴散らすほど、ライブが始まると観客が総立ちになり、「総立ちの貴子」と呼ばれる様になりました。
当時の学園祭にはよく呼ばれており、「学園祭クイーン」とも呼ばれていました。
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日本武道館、西武球場など、大規模なコンサートを次々と成功させていき、「ロックンロールエンジェル」とも呼ばれる様になった白井貴子さん。しかし、ビジネスライクな音楽業界と自身との軋轢が限界にきており、1988年に活動を休止し、『CRAZY BOYS』のリードギター本田清巳さんと共にイギリスに渡りました。
1990年から活動を再開し、音楽性に変化はあったものの、精力的な活動を続け今に至ります。
今回は、そんな白井貴子さんの初期の活動を中心に、現在に至るまでの楽曲をご紹介したいと思います。
1990年から活動を再開し、音楽性に変化はあったものの、精力的な活動を続け今に至ります。
今回は、そんな白井貴子さんの初期の活動を中心に、現在に至るまでの楽曲をご紹介したいと思います。
白井貴子 オフィシャルホームページはこちら
白井貴子の代表曲
SOMEDAY
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「SOME DAY」は1982年8月25日にリリースされた白井貴子さんの4枚目のシングルです。
ご存じの通り、この曲は佐野元春さんの楽曲で、佐野元春さんのバックコーラスをしていた白井貴子さんにとっては、きっと思い入れのある曲だったのだと思います。
歌いこなすにはなかなか難しい曲ですが、あえてこの曲をカバーしたのは、結果的に正解だったのだと思います。
白井貴子さんのポテンシャルや、同じCBSソニーレコードならではの計らいだったのかもしれませんね。
ご存じの通り、この曲は佐野元春さんの楽曲で、佐野元春さんのバックコーラスをしていた白井貴子さんにとっては、きっと思い入れのある曲だったのだと思います。
歌いこなすにはなかなか難しい曲ですが、あえてこの曲をカバーしたのは、結果的に正解だったのだと思います。
白井貴子さんのポテンシャルや、同じCBSソニーレコードならではの計らいだったのかもしれませんね。
SOMEDAY 白井貴子.mpg
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Chance!
「Chance!」は1984年6月21日にリリースされた白井貴子さんの9枚目のシングルです。
この曲は白井貴子さんの楽曲で最も知名度の高い曲だと思います。ご存じの方もいらっしゃる筈です。
また、時計で有名なシチズンの「リビエール」のCMソングにもなりました。
当時の学園祭ではさぞ盛り上がったのではないでしょうか?
この曲は白井貴子さんの楽曲で最も知名度の高い曲だと思います。ご存じの方もいらっしゃる筈です。
また、時計で有名なシチズンの「リビエール」のCMソングにもなりました。
当時の学園祭ではさぞ盛り上がったのではないでしょうか?
白井貴子 Chance!.mpg
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シチズン リビエールのCM
1984CM CITIZEN Riviere 「コンニチワ...」「19才リビエール」 監督 井筒和幸 音楽 白井貴子
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