1967年に大熊元司選手と共に海外修行で渡米、南部のテネシー地区やジョージア地区などで活動されテネシーでは同年10月、同地区版のNWA世界タッグ王座を奪取されています。
卑怯なヒール戦法を駆使して憎まれ役としての存在感を発揮しロサンゼルスではミル・マスカラスと抗争を繰り広げ、1969年12月19日に金網デスマッチでマスカラスを破り、同地区のフラッグシップ・タイトルだったNWAアメリカス・ヘビー級王座を獲得!
てか、小鹿さんミル・マスカラス戦ではマスカラスの目に塩をまぶしたというから・・・💦
卑怯なヒール戦法を駆使して憎まれ役としての存在感を発揮しロサンゼルスではミル・マスカラスと抗争を繰り広げ、1969年12月19日に金網デスマッチでマスカラスを破り、同地区のフラッグシップ・タイトルだったNWAアメリカス・ヘビー級王座を獲得!
てか、小鹿さんミル・マスカラス戦ではマスカラスの目に塩をまぶしたというから・・・💦
グレート小鹿
1970年9月に凱旋帰国した小鹿さん、この頃からアメリカで名乗っていたグレート小鹿をリングネームに変えシリーズ中はジャイアント馬場やアントニオ猪木のパートナーに起用されてメインイベントも務めていました。
全日本プロレスに移籍
グレート小鹿 対 寺西勇
via www.youtube.com
日本プロレス崩壊後の1973年6月全日本プロレスに移籍され1976年9月よりテキサス州アマリロ地区へ再渡米し、カン・フー・リー(Kung Fu Lee)のリングネームで活躍されています。
10月18日には、あのテリー・ファンクからNWAウエスタン・ステーツ・ヘビー級王座を奪取してるんでよ!
10月18日には、あのテリー・ファンクからNWAウエスタン・ステーツ・ヘビー級王座を奪取してるんでよ!
一時期引退
via www.amazon.co.jp
小鹿さんは、1988年7月31日自らの引退興行函館市千代台公園陸上競技場特設リング大会)も自分でプロデュースされ、一時期プロレスラーを引退されました。
引退後は、ジャイアント馬場さんの運転手も務めたり、地元函館で事業を始める傍ら、プロモーター業を継続されていました。
意外なことにタレント活動も行なっておりミュージカルの出演経験もあるんですよ。
引退後は、ジャイアント馬場さんの運転手も務めたり、地元函館で事業を始める傍ら、プロモーター業を継続されていました。
意外なことにタレント活動も行なっておりミュージカルの出演経験もあるんですよ。
大日本プロレス
via bjw.co.jp
1994年12月には、NOW崩壊の憂き目を見ていたケンドー・ナガサキや登坂栄児(NOW社長→大日本・統括部長)らとともに、横浜市に大日本プロレスを設立され、社長に就任。
ただ観客動員に苦戦したことから、FMWの離脱後に「真FMW軍」を称して参戦していたターザン後藤との抗争アングルを展開し1995年に現役復帰されています。
ただ観客動員に苦戦したことから、FMWの離脱後に「真FMW軍」を称して参戦していたターザン後藤との抗争アングルを展開し1995年に現役復帰されています。
事業家として
via ja.wikipedia.org
※画像はイメージで小鹿さんのお店のちゃんこ鍋ではありません。
その後、若手が成長するにつれて自らがリングに上がることはなくなり、事業家としての活動が主となって2003年11月、宮城県仙台市に「プロレスちゃんこ小鹿」を、2006年3月には「ホルモン小鹿亭」をオープンさせました。
因みに、「プロレスちゃんこ小鹿」は2007年4月30日に閉店。
「ホルモン小鹿亭」も同年8月28日に営業を終了しています。
因みに、「プロレスちゃんこ小鹿」は2007年4月30日に閉店。
「ホルモン小鹿亭」も同年8月28日に営業を終了しています。
コスプレ社長
現役復帰後、小鹿さんは、兵隊服を皮切りに、『料理の鉄人』『ゴルゴ13』などのコスプレをしてリングに上がる「コスプレ社長」として注目を浴びていました。