終戦後7年間、GHQに接収されていた当ホテルは、その期間、将校とその夫人が宿泊していました。
ホテル内のボールルームでは、アメリカから送られてきた最新の映画が上映されるなど、横浜の中心にありながら、ここだけ外国のような特殊な場所であったため、デザートに関しても、将校夫人が喜ぶ、見た目にも華やかさで満足できるボリュームのものを出す必要がありました。
「お料理好きの奥様から、アメリカの有名なお菓子学校の教科書をいただき、 それでいろいろ勉強したり、サジェスチョンを受けたこともあったようです。 味だけでなく、量もアメリカの方々に合わせないといけません。
向こうのデザートは、 本当にドーンッといった感じで出てきますよね。プリン一個だけというわけにはいきません。そこで、アイスクリームや、アメリカから送られてきた缶詰の果物と組み合わせて出したんです」
ただ、これだけの量のデザートを従来のデザート皿にのせるのは難しかったため、コルトンディッシュという特殊な器に盛りつけて供されました。
この洗練されたスタイルから、このデザートは、“プリン・ア・ラ・モード”と呼ばれるようになりました。
今も、「プリン ア ラ モード」には、その器が使われています。
昭和のプリンアラモードグラス
「器もご馳走のうち」という言葉の通り、この器に乗ってこそプリンアラモード!というイメージが強くインプットされています。
そう言えば、昭和の頃はこうした装飾的なガラスの器が多かったですよね。
コップはもちろん、ところてんやかき氷を食べる器も、キラキラしてとてもきれいでした。
そう言えば、昭和の頃はこうした装飾的なガラスの器が多かったですよね。
コップはもちろん、ところてんやかき氷を食べる器も、キラキラしてとてもきれいでした。
via www.garitto.com
昭和レトロ ガラス鉢
昭和のガラス製品の多くは、プレスガラスといって、デザインが彫刻された金型にガラスを溶かした原料を流し込み、内側からプレスして成形する方法で作られているそうです。
金型に複雑な模様が彫り込めるため、芸術的な模様の製品が簡単に大量にできたのですね。
けれど現在では、プレスガラスは初期投資がかなりかかることと、「みんな同じ」より「みんなと違うものを」「たくさんの種類の中から」選びたいというニーズから、シンプルな回し吹きガラスという製法が主流になっているそうです。
金型に複雑な模様が彫り込めるため、芸術的な模様の製品が簡単に大量にできたのですね。
けれど現在では、プレスガラスは初期投資がかなりかかることと、「みんな同じ」より「みんなと違うものを」「たくさんの種類の中から」選びたいというニーズから、シンプルな回し吹きガラスという製法が主流になっているそうです。
via www.rafuju.jp
via nannan.ne.jp
「昭和のプリン」と「平成のプリン」という2種類のプリンを販売している東京都青梅市にある「たまご倶楽部」では、前者では「やや固いもの」を、後者では「柔らかいもの」を提供している。
また、昭和のプリンは、平成のプリンに比べて甘さが控え目なのも特徴のひとつ。
実際、食べ比べてみると「昭和のプリン」は、素材の卵の味が濃く、カラメルの苦みも鮮明で、たしかに懐かしい味。食感も家庭で作った少し「す」のあるプリンを思い出させてくれる。
一方、平成のプリンは、甘くて滑らか。売り上げは平成の方が上だという。
あなたはどちらのプリンがお好きですか?
やっぱりクリームソーダも飲みたい!
via www.photo-ac.com
粉末ジュース
クリームソーダと言えば、駄菓子屋さんで売っていた粉末ジュース、覚えてますか?
1つ10円だったかな。
あの頃は、そんなにしょっちゅう「外食」できるわけではなかったので、クリームソーダの気分が味わえる粉ジュースは、ありがたい商品でした。
ただ、たいして冷たくもない水道水で作るし、ちょっと水を入れ過ぎると薄くなってなさけない味になるし、とてもとても本物のクリームソーダには及びませんでした。
でもこれはこれでおいしかったので、駄菓子屋で使える少ない予算の中でも、けっこう買って飲んでいたような記憶があります。
1つ10円だったかな。
あの頃は、そんなにしょっちゅう「外食」できるわけではなかったので、クリームソーダの気分が味わえる粉ジュースは、ありがたい商品でした。
ただ、たいして冷たくもない水道水で作るし、ちょっと水を入れ過ぎると薄くなってなさけない味になるし、とてもとても本物のクリームソーダには及びませんでした。
でもこれはこれでおいしかったので、駄菓子屋で使える少ない予算の中でも、けっこう買って飲んでいたような記憶があります。
語る必要のないほど、ポピュラーだった商品である。共感を持たれる資料としてはトップクラスでもある。資料館の展示コーナーでは「おいしかった」「うちはオレンジじゃなくてソーダだった」などの会話が、来場者の間で弾む。 家庭で作った飲み物としては、「カルピス」やこの「ジュースの素(もと)」がある。カルピスは戦前から親しまれている乳酸飲料で、昭和30年代には、お中元の “ 代表格 ” になった。 ジュースの素はその名の通り、袋の中の粉末を水で溶くと、オレンジジュースが出来上がる。同種の飲み物としては、このほか、春日井製菓のシトロンソーダも懐かしい。冬場には即席の汁粉、ココアなどを味わった。 粉末ジュースは、昭和29年に雪印乳業から発売されたことが始まりといわれ、30年代中ごろ、折しもインスタント食品がはやりだした時期に大人気となったようである。 ジュースの素などは、なぜか出される家ごとで味が違っていた。薄かったり、濃かったりと、加える水の量のさじ加減が意外と難しかったようだ。そこにも “ 家庭の味 ” があったのかも。
via www.maiduru.biz
子どもの頃はこのサクランボが大好きで、兄妹で取りっこした覚えがあります。
大きくなると、「サクランボの柄の部分を舌で結ぶことができるか」ということが流行り、喫茶店で友人と一緒に真剣に挑戦したりもしました。
あなたもこれやりましたか?そしてできましたか?
私はどんなにがんばっても結べませんでした。
大きくなると、「サクランボの柄の部分を舌で結ぶことができるか」ということが流行り、喫茶店で友人と一緒に真剣に挑戦したりもしました。
あなたもこれやりましたか?そしてできましたか?
私はどんなにがんばっても結べませんでした。
via store.tfoods.com
桃缶ひとつではしゃげる昭和40~50年代の子どもにとって、あこがれの一品でした。
メロンはどんなに薄くてもメロンだし、りんごの飾り切りしたものはもったいなくてすぐ食べたくないし、本当にどこから手を付けようか、あれこれ迷いながら食べた覚えがあります。
大人になっても、喫茶店でプリンアラモードを注文すると、とてもワクワクしました。
ところが今の時代の子どもたちは、他にもおいしいものがたくさんあるため、プリンアラモードに対する反応が今一つ。
「おいしいけれど別にこれが何か?」
・・・温度差を感じますねえ。