チャンピオンになる!
そんな弱かった彼女が、1981年からは厳しいトレーニングや体重アップした体になり、オールパシフィック王座を奪取。同年11月には、大森ゆかりとタッグを組み、WWWA世界タッグチャンピオンになった。
悶絶して逆転するパターン
その後、女子プロレスの広告塔とも言われる立場となり、ハイレグ水着でヒール(悪役)にメッタ打ちに合い、悶絶し涙を流すミミ萩原が、バックドロップなどで大逆転勝ちをするパターンが人気を呼んだ。当時の女子プロレス界で流行っていた試合前に歌と踊りをリングで披露することももちろんしていた。
女子プロレス ミミ萩原・ライオネス飛鳥vs.デビル雅美・Wendi Richter
実際の試合の動画
via www.youtube.com
なんと、女子プロレスラーで活躍中、ヌード写真集を出していた!
女子プロレスで活躍中の1982年、写真集「燃える青春」(愛宕書房)が発売を発売している。ミミ萩原写真集と「ヌード」と表記されていないが、中身は、見えそうで見えないきわどい写真が多いのだが、乳房がバッチリ写っている写真もある。
並行して、平凡パンチなどの雑誌にも妖艶な肉体を披露している。
並行して、平凡パンチなどの雑誌にも妖艶な肉体を披露している。
via www.suruga-ya.jp
結婚、そして離婚…
プロレス引退の翌年(1985年)、ミミ萩原は結婚する。多くの女子プロレスラーが祝福に駆けつけた。
しかし、「夫が長男で跡継ぎをもうけなければいけない。私は女子プロレスで内臓を痛めているので出産が出来ない」と涙の会見を行い、スピード離婚している。
しかし、「夫が長男で跡継ぎをもうけなければいけない。私は女子プロレスで内臓を痛めているので出産が出来ない」と涙の会見を行い、スピード離婚している。
via ameblo.jp
引退後のリングへの登場!
ジャガー横田に声をかけられ・・・
2005年、盟友ジャガー横田の呼びかけで、12月4日新宿FACE大会で、約20年ぶりにリング復帰(歌とライブパフォーマンス)した。
その後、記念興行に!
2007年の記念興行に出演の後、2012年、TOMMYレフェリーの30周年記念興行に登場している。
全日本女子プロレス時代の「Stand up!」「セクシー・パンサー」「ヒーロー」の3曲を披露した。
本人は35年を目標にすると当時語っている。35年というと、年齢は61歳となる。
全日本女子プロレス時代の「Stand up!」「セクシー・パンサー」「ヒーロー」の3曲を披露した。
本人は35年を目標にすると当時語っている。35年というと、年齢は61歳となる。