LAZYキーボード・Pocky(ポッキー)
LAZYベース・Funny(ファニー)
レイジー解散後、ヘヴィメタルバンド『LOUDNESS』に参加、
『ネバーランド』、『HUMAN NATURE』を経て、1990年『AIRBLANCA』を結成。
1991年、『AIRBLANCA』解散。
2006年9月1日、急性心不全のため逝去しています。
LAZYドラムス・Davy(デイビー)
レイジー解散後はLOUDNESSやSLY、BLOOD CIRCUSなどでドラムを担当しました。
「音量が出ていないと速く叩いても仕方がない」などの語録を残しています。
2008年11月30日、肝細胞癌のため逝去しています。
MUROCKという「樋口宗孝」の記念館があり、昼はカフェ、夜 はバーになっています。店内には、デイビー(樋口)が生前使用したドラムや愛用品が展示してあります。
アイドル時代の『レイジー(LAZY)』の演奏
1979年「赤頭巾ちゃんご用心」レイジー - YouTube
『赤頭巾ちゃん御用心』はスージー(高崎晃)の一番嫌いな曲で、再結成後のライブではこの曲は封印されています。
ステップを踏み、踊りながらギターを演奏することは、正統派のギタリストとしては好ましくない行為だったのでしょう。
Lazy 1978.07.10 - YouTube
なかにし礼作詞 、都倉俊一作曲によ楽曲「地獄の天使 」です。
今までのポップで軽いノリのレイジーとは異なった、歌いあげるロック調の歌唱でした。グループサウンズを連想させる大胆な振り付けが注目されファンを拡大していきました。
レイジーが、夜のヒットスタジオに初出場し「地獄の天使 」を披露した時の映像です。後ろに座っている大先輩、平尾昌晃、沢田研二が彼らを見守っています。
『HELLO HELLO HELLO』 LAZY - YouTube
本格的ロック『レイジー(LAZY)』のすごい演奏
レイジー(LAZY) 紫の炎 1977年「ハローヤング」音声のみ - YouTube
1977年「ハローヤング」にレイジー(LAZY)が出場し、紫の炎(ディープ・パープルの「BURN」)を演奏しました。
当時15歳の高崎晃のギターがすごい!デイビー(樋口)のドラム、ミッシェル(景山ヒロノブ)のボーカルの声が若くファニー(田中)のベースもかっこいい。ポッキー(井上)のキーボードもすばらしく、 レイジーのメンバー全員の演奏レベルが高さがわかる音声です。
LAZY(レイジー)Armed and Ready Cover - YouTube
画質はよくありませんが、貴重な動画です。
LAZY(レイジー) Armed and Ready ― Michael Schenker Group Cover
— S∂†öSHY☤←初夏のショッカー (@kg901057) March 18, 2016
普通に上手いな。
Vアンクルはボーカルメインだけど、それもイイ。LAZYはそういうバンド。 https://t.co/Tv0ZZM1JiK
レイジー(LAZY)では当初ドラムを希望していましたが、ピアノの演奏経験がありキーボード担当になります。メンバーの中でも時に人気がありました。
解散後は『HUMAN NATURE』を経て、1990年『AIRBLANCA』を結成しています。
その後、株式会社ランティスを設立。
株式会社バンダイナムコライブクリエイティブの社長に就任。ランティス社長と兼任しています。