ジャンヌ・モロー演じるアマンドの出番はそう多くは無い。
しかし映画においては1時間以上一緒に行動する相棒よりも5分だけ遭遇した〝何か〟のほうが主人公を左右するというのはよくある話。
なにやら「姑獲鳥の夏」だとか「異邦人」のようである。
で、そういう事故なのか運命なのか得体の知れないものの〝力〟を感じさせる迫力がジャンヌ・モローには存在している。
「さてジャンヌ・モローでも見るか」と思いつつニキータを再生してみるものの、どうしても彼女を《アマンド》としてしか認識できないということがある。
逆に「アマンドの説教でも聞きに行くか」と思うと見事な《ジャンヌ・モロー》を見てしまう、という体験を何度かしている。
奇妙と言えば奇妙な話なのだが、そこに違和感は無く、むしろ居心地の良さのようなものを感じる。
しかし映画においては1時間以上一緒に行動する相棒よりも5分だけ遭遇した〝何か〟のほうが主人公を左右するというのはよくある話。
なにやら「姑獲鳥の夏」だとか「異邦人」のようである。
で、そういう事故なのか運命なのか得体の知れないものの〝力〟を感じさせる迫力がジャンヌ・モローには存在している。
「さてジャンヌ・モローでも見るか」と思いつつニキータを再生してみるものの、どうしても彼女を《アマンド》としてしか認識できないということがある。
逆に「アマンドの説教でも聞きに行くか」と思うと見事な《ジャンヌ・モロー》を見てしまう、という体験を何度かしている。
奇妙と言えば奇妙な話なのだが、そこに違和感は無く、むしろ居心地の良さのようなものを感じる。
「モンテ・ウォルシュ」
1970年製作、アメリカの西部劇映画。監督ウィリアム・A・フレイカー。
原作はジャック・シェーファー。
原作はジャック・シェーファー。
via www.amazon.co.jp
その闘いも その恋も 落日の華麗さに似て
その男にふさわしかった・・・
キャッチコピーの渋さが光る西部劇映画。
西部劇と言うと保安官やガンマンなど〝力の活躍〟を想像してしまうのだが、当然時代の節目には様々な立場の人間が幸か不幸か〝変化〟に襲われる。
日本で言うと幕末の、それも情勢が決した頃の状態によく似ているのではないだろうか。
そういう時期が舞台なのでジャンル・モロー演じるヒロイン《マルティヌ》も悪女めいた美しさで男たちに色香を――というタイプではない。
男たちも女たちも疲労と精悍さを併せ持っている。
それを演じることができる役者、演出できるスタッフの技術もまた渋く光っている。
西部劇と言うと保安官やガンマンなど〝力の活躍〟を想像してしまうのだが、当然時代の節目には様々な立場の人間が幸か不幸か〝変化〟に襲われる。
日本で言うと幕末の、それも情勢が決した頃の状態によく似ているのではないだろうか。
そういう時期が舞台なのでジャンル・モロー演じるヒロイン《マルティヌ》も悪女めいた美しさで男たちに色香を――というタイプではない。
男たちも女たちも疲労と精悍さを併せ持っている。
それを演じることができる役者、演出できるスタッフの技術もまた渋く光っている。