映画『ひまわり』とは
via www.amazon.co.jp
『ひまわり』(原題: I Girasoli)は、1970年に公開されたイタリア・フランス・ソビエト連邦・アメリカ合衆国の合作映画です。主演はソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニ。
戦争によって引き裂かれた夫婦の行く末を悲哀たっぷりに描いた作品で、エンディングでの地平線にまで及ぶ画面一面のひまわり畑が評判となった。数あるローレン主演の映画の中で最も日本で愛されている作品である。
ソフィア・ローレン
via www.amazon.co.jp
この作品でヒロイン・ジョバンナを好演したソフィア・ローレン(Sophia Loren)は、1934年9月20日生まれイタリア出身の女優です。1950年代初頭、ヨーロッパ映画の端役としてキャリアをスタートさせ、後の夫カルロ・ポンティによって見いだされました。1957年公開の『島の女』や『黒い蘭』などでイタリアのみならず、国際的なスターと見なされるようになり、デビュー当初のセックスシンボル的な存在から徐々に実力が認められていきます。
via www.amazon.co.jp
1960年代までにはハリウッドやヨーロッパにも活動の幅を広げ、『ふたりの女』(1960年)でアカデミー主演女優賞を受賞。世界中でトップスターそしてビューティーアイコンとしても高い人気を誇りました。その後も『ああ結婚』『ひまわり』『特別な一日』『昨日・今日・明日』など様々な作品に出演し、1994年に『プレタポルテ』、2009年にはミュージカル映画『NINE』と今でも現役で活躍しているイタリアを代表する伝説の大女優です。また日本でも大人気でこれまで4度来日。2008年には『SMAP×SMAP』の名物コーナー「ビストロスマップ」にゲスト出演したこともありましたね。
1976年には本田技研工業が製造販売していたオートバイ「ホンダ・ロードパル」のテレビCMに出演した(CMディレクターは大林宣彦)CM内でソフィア・ローレンが発したキャッチフレーズのラッタッタは時代の流行語にもなった。
『これからの人生』予告編 - Netflix
via www.youtube.com
私生活では、1966年にイタリア映画界の大物映画プロデューサー、カルロ・ポンティと紆余曲折を経て正式に結婚。2007年にカルロが亡くなるまで、22歳という年の差をもろともせず、50年以上にわたり愛を貫きました。指揮者のカルロ・ポンティ・ジュニア、映画監督のエドアルド・ポンティの2人の息子がいます。最新作はNetflixのオリジナル映画『これからの人生』(2020年)。
1996年にイタリア共和国功労勲章(カヴァリエーレ・ディ・グラン・クローチェ)を受章。2006年には、トリノオリンピックの開会式でオリンピック旗を掲揚する際の旗手を務めた。
マルチェロ・マストロヤンニ
via www.amazon.co.jp
この作品でアントニオ・ガルビアーティを好演したマルチェロ・マストロヤンニ(Marcello Mastroianni)は、1924年9月28日生まれフォンターナ・リーリ出身、ローマとトリノ育ちの俳優です。第二次世界大戦にイタリア軍の兵士として参戦し終結後の1945年に演劇界へ。巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督に見いだされ俳優としてのキャリアをスタートさせました。また「映像の魔術師」の異名を持つフェデリコ・フェリーニ監督作品の常連でもあり名作『甘い生活』で国際的な知名度を得ると、その後も『8 1/2』『女の都』『インテルビスタ』とタッグを組み続けます。
via en.wikipedia.org
典型的な「イタリアンプレイボーイ」を演じることが多く、二枚目でありながらどこか人間味溢れる演技で世界中の映画ファンを虜に。ソフィア・ローレンとは『ひまわり』以外にも『バストで勝負』や『昨日・今日・明日』『ああ結婚』『特別な一日』『プレタポルテ』など多くの作品で共演した名コンビでしたね。また数々の賞に輝いた性格俳優でもありました。
私生活では、数々の女性と浮名を流しましたが、結婚はイタリア人女優のフローラ・カラベッラとの1度だけ。しかし長年にわたるフランス人女優カトリーヌ・ドヌーヴとの愛人関係は有名で、子供は妻との間に一女、ドヌーヴとの間にも一女(のちに女優となるキアラ・マストロヤンニ)をもうけています。1996年、すい臓がんにより72歳で死去。葬儀は国葬扱いで行なわれ、多くの共演者やファンが駆けつけたという。イタリア映画を代表する二枚目スターでした。
私生活では、数々の女性と浮名を流しましたが、結婚はイタリア人女優のフローラ・カラベッラとの1度だけ。しかし長年にわたるフランス人女優カトリーヌ・ドヌーヴとの愛人関係は有名で、子供は妻との間に一女、ドヌーヴとの間にも一女(のちに女優となるキアラ・マストロヤンニ)をもうけています。1996年、すい臓がんにより72歳で死去。葬儀は国葬扱いで行なわれ、多くの共演者やファンが駆けつけたという。イタリア映画を代表する二枚目スターでした。
ドヌーヴとキアラの母子は晩年のマストロヤンニの看護も行い、臨終にも立会っている。
写真右:マルチェロ・マストロヤンニ