祭祀対象別による代表的な神社①で記述した祭祀対象や神社が少なかったので続きとして何社か紹介することにします。祭祀対象別による代表的な神社①をご覧になってない方はまずそちらの方をご閲覧頂ければありがたいです。
まずは宗像三女神(むなかたさんにょしん)からです。
宗像三女神(むなかたさんにょしん)は、宗像大社(福岡県宗像市)や厳島神社(広島県廿日市)に祀られている三柱の女神の総称であり、宗像神(むなかたのかみ)、道主貴(みちぬしのむち)とも呼ばれている。アジア大陸及び古代朝鮮半島への海上交通の平安を守護する玄界灘の神、要として、大和朝廷によって古くから重視された神々である。
海の神・航海の神として信仰されている。宗像大社のほか各地の宗像神社・厳島神社・八王子社・天真名井社で祀られている。
宗像・厳島系の神社は、日本で5番目に多いとされ、そのほとんどが大和及び伊勢、志摩から熊野灘、瀬戸内海を通って大陸へ行く経路に沿った所に存在します。
海の神・航海の神として信仰されている。宗像大社のほか各地の宗像神社・厳島神社・八王子社・天真名井社で祀られている。
宗像・厳島系の神社は、日本で5番目に多いとされ、そのほとんどが大和及び伊勢、志摩から熊野灘、瀬戸内海を通って大陸へ行く経路に沿った所に存在します。
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お次は素戔嗚尊(スサノオノミコト)
スサノオ(スサノヲ、スサノオノミコト)は、日本神話に登場する神々の中の一人で、『日本書紀』では素戔男尊、素戔嗚尊等、『古事記』では建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと、たてはやすさのおのみこと)、須佐乃袁尊、『出雲国風土記』では神須佐能袁命(かむすさのおのみこと)、須佐能乎命などと表記しています。
素戔嗚尊を祀る神社総本社としては八坂神社(京都府京都市東山区)・祇園社、津島神社(愛知県津島市)・天王社・須賀神社、氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区高鼻町)があります。
素戔嗚尊を祀る神社総本社としては八坂神社(京都府京都市東山区)・祇園社、津島神社(愛知県津島市)・天王社・須賀神社、氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区高鼻町)があります。
お次は建御名方神(たけみなかたのかみ)
建御名方神は、『古事記』等に伝わる日本神話の神々の中の一人で、『古事記』では「建御名方神(たけみなかたのかみ)」、他文献では「南方刀美神(みなかたとみのかみ)」・「御名方富命」・「建御名方富命」等とも表記されているが、『日本書紀』に記載はない。
建御名方神は、諏訪大社(長野県諏訪湖周辺4か所)のほか、諏訪大社から勧請された全国の諏訪神社で「諏訪神」として祀られている。この諏訪神は、『梁塵秘抄』に「関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮」とあるように軍神として信仰されたほか、農耕神・狩猟神としても信仰された。また風の神ともされ、元寇の際には諏訪の神が神風を起こしたとする伝承もある。
建御名方神は、諏訪大社(長野県諏訪湖周辺4か所)のほか、諏訪大社から勧請された全国の諏訪神社で「諏訪神」として祀られている。この諏訪神は、『梁塵秘抄』に「関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮」とあるように軍神として信仰されたほか、農耕神・狩猟神としても信仰された。また風の神ともされ、元寇の際には諏訪の神が神風を起こしたとする伝承もある。
お次は大山咋神(おおやまくいのかみ、おほやまくひのかみ)
大山咋神(おおやまくいのかみ、おほやまくひのかみ)も、日本神話の中の神々の一人。別名 山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)とも呼ばれています。
比叡山麓の日吉大社(滋賀県大津市)が大山咋神を祀る全国の日枝神社の総本社です。日吉大社には後に大物主神(おおものぬしがみ)が勧請されており、大物主神を大比叡、大山咋神を小比叡と呼ぶそうです。また二神を総称して山王と言い、大物主神は西本宮に、大山咋神は東本宮に祀られている。
そのほか、日枝神社(東京都千代田区)、松尾大社(京都市西京区)および全国の日枝神社、松尾神社で祀られている。
比叡山麓の日吉大社(滋賀県大津市)が大山咋神を祀る全国の日枝神社の総本社です。日吉大社には後に大物主神(おおものぬしがみ)が勧請されており、大物主神を大比叡、大山咋神を小比叡と呼ぶそうです。また二神を総称して山王と言い、大物主神は西本宮に、大山咋神は東本宮に祀られている。
そのほか、日枝神社(東京都千代田区)、松尾大社(京都市西京区)および全国の日枝神社、松尾神社で祀られている。
お次は住吉三神(すみよしさんじん)
住吉三神とは底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の総称であり、日本神話の神々です。
この住吉三神を祭祀対象とする神社総本社が住吉大社(大阪府大阪市住吉区)です。また、住吉大社では息長帯姫命(神功皇后)を含めで祀られているが、下記の逸話が存在することに起因しています。
日本書紀によれば、仲哀天皇の御代、熊襲、隼人など大和朝廷に反抗する部族が蜂起したとき、神功皇后が神がかりし、「反乱軍の背後には三韓の勢力がある。まず三韓を征討せよ」との神託を得た。しかし天皇はこの神託に従わず、翌年崩御した。その翌月、再び同様の神託を得た神功皇后は、自ら兵を率いて三韓へ出航した。このとき、住吉大神の和魂が神功皇后の身辺を守り、荒魂は突風となり、神功皇后の船団を後押しするとともに、三韓の軍をおおいに苦しめたとされる。
この住吉三神を祭祀対象とする神社総本社が住吉大社(大阪府大阪市住吉区)です。また、住吉大社では息長帯姫命(神功皇后)を含めで祀られているが、下記の逸話が存在することに起因しています。
日本書紀によれば、仲哀天皇の御代、熊襲、隼人など大和朝廷に反抗する部族が蜂起したとき、神功皇后が神がかりし、「反乱軍の背後には三韓の勢力がある。まず三韓を征討せよ」との神託を得た。しかし天皇はこの神託に従わず、翌年崩御した。その翌月、再び同様の神託を得た神功皇后は、自ら兵を率いて三韓へ出航した。このとき、住吉大神の和魂が神功皇后の身辺を守り、荒魂は突風となり、神功皇后の船団を後押しするとともに、三韓の軍をおおいに苦しめたとされる。