「空に太陽がある限り」
にしきのあきら 空に太陽がある限り
この曲は錦野旦の3枚目にシングル。自身最高のヒット曲。
この曲で錦野旦さんは1971年の紅白歌合戦に2度目の出場を果たしています。
今でも懐かしの歌謡曲の番組で歌われていますよね(^^)/
この曲で錦野旦さんは1971年の紅白歌合戦に2度目の出場を果たしています。
今でも懐かしの歌謡曲の番組で歌われていますよね(^^)/
錦野旦とは
アイドル歌手として1970年代初めから半ばにかけ、その精悍な風貌と抜群の歌唱力を武器に10代から30代の女性に人気を博す。芸能人大運動会(水泳大会含め)では野村真樹(現:野村将希)と共に抜群の運動神経を披露していた。1970年代後半は東映映画やドラマ等で活躍した。
1990年代以降はバラエティ番組で知られ、特に『『ぷっ』すま』では、常人には全く食べられないハチャメチャな料理をいとも簡単に平らげてしまう事から「鉄の胃袋の持ち主」の異名を得ている。
バラエティーでも頑張ってる錦野旦さん(^^)/
永遠のスターはいつまでもかっこいいですね!
永遠のスターはいつまでもかっこいいですね!
作詞・作曲の浜口庫之助について
浜口庫之助さんは日本のシンガーソングライター。
幼少期から音楽に携わっており、ギター講師やスタジオ・ミュージシャンをして生活費を稼ぐ傍ら、バンド活動を行っていました。
1959年からヒット曲を世に送り出し、人材の育成にも力を入れていたそうです。
代表曲に「星のフラメンコ」「バラが咲いた」「夜霧よ今夜も有難う」などがあります。
幼少期から音楽に携わっており、ギター講師やスタジオ・ミュージシャンをして生活費を稼ぐ傍ら、バンド活動を行っていました。
1959年からヒット曲を世に送り出し、人材の育成にも力を入れていたそうです。
代表曲に「星のフラメンコ」「バラが咲いた」「夜霧よ今夜も有難う」などがあります。
「空に太陽がある限り」のカバーやデュエット
私でも知っているこの名曲は、数々の歌手の方にカバーされています。
その一部をご紹介します。
その一部をご紹介します。
編曲:小杉仁三