国際プロレス '77.06.27 ラッシャー木村 VS キラー・トーア ・カマタ(IWA世界戦)
また当時は覆面を被り、シャチ横内選手とジ・インベーダーズ(The Invaders)なるタッグチームを結成していたこともありました。
で、その後も数々の選手と金網デスマッチを行い金網デスマッチでは不敗を誇り、「金網の鬼」の異名しています。
交流戦
新日本プロレス参戦
当初は国際プロレスの残党メンバーは新日本対旧国際の団体対抗戦が行われるはずだったが、新日本の手法に反感を持っていたマイティ井上選手らが全日本プロレスへの移籍を選択した為、最終的に新日本に登場した選手はラッシャーさん、アニマルさん、寺西さんの3人だけとなっています。
1981年 - 新日本プロレスの田園コロシアム大会でラッシャー木村、アニマル浜口がリングに上がり、アントニオ猪木に「こんばんは」と挨拶してしまい失笑を買った今日は何が起こるかな?
— ルチャマスター (@barlucha) September 23, 2016
20:00からやりまっす!
でも夜は「こんばんは」だろ pic.twitter.com/D8e4QqBQsf
1981年9月23日、田園コロシアムで行われた新日本プロレスの興行に浜口を連れて現れた木村は、リング上で保坂正紀(当時テレビ朝日アナウンサー)からマイクを向けられると、決意表明に先立ち、まずは集まってくれた観客に対し挨拶をしなければと思い、冒頭「こんばんは…」と丁重に挨拶を行なった。これは団体対決に付き物の殺伐とした雰囲気を好む当時のファンを拍子抜けさせ、会場の失笑を買った。
また、当時この事があまりにもおかしかったため、ビートたけしが「こんばんは、ラッシャー木村です」とネタにしたこともありました。