【CD新譜コメント】
様々なジャンルを吸収し単なるパンクの枠を越えた独特のサウンドを聴かせるスーパー・スタピッドのミニ・アルバム。シンセやシタール、マックなどを導入して制作された意欲作。
アルバムを発表後、バンドは一時活動を休止しますが・・・。
「Don’t Forget Our Youth」から、次のアルバムに向けて、3人が違う分野で活動し、また戻ってくる、というテーマがあった。オレ様はソロ・アルバムをリリースし、LOW IQ 01は自身の洋服のブランド「STEREO SPEAKER」を立ち上げ、HIROTHは、DJ、アフリカに留学する、というものだった。しかし、ソロ・アルバムでメディアが大きくオレ様を取り上げたことに対して、LOW IQ 01は自分もリリースしたいと言い、それを実行した。オレ様的には、それは筋が通っていないのでは?と思ったが、あえて放っておいた。そうしたら、それが売れてしまい、LOW IQ 01はソロに自由を感じ、その道に進んでしまった訳だ。
SUPER STUPIDが発表したアルバムは2枚だけですが、活動中はパンクという枠におさまらずに特異なサウンドを打ち出し,数枚のコンピレーションに参加していました。
当時のバンドは、仲が良くなかった?!
【大高ジャッキーが語った、当時のバンドについて】
バンドのステージは、メンバーが仲良くわいわいやっている、ということがオーディエンスにも伝わって、SHOWというマジックが生まれる。大体のバンドはそういった流れで演奏をしている。しかし、SUPER STUPIDに関しては、フロント・マンの2人はお互いを殺し合った。オレ様は、SS初期は、単純にギターを弾いていて、それだけで満足していたし、ステージの「華」は、LOW IQ 01に譲っていたが、後半のSSには、オレ様は演奏力よりも少し間違えても「エンターテイメント性」を求めたので、よくLOW IQ 01とは楽屋で喧嘩をした。
ステージを半分に区切って、お互いの領域には入らないようにするか?とも言い合った。その「殺し合い」がオーディエンスにも、ステージ脇で見ていた対バンの奴らにも「こいつら半端じゃねえ」と思わせたのだ。
【LOW IQ 01が語った、当時のバンドについて】
悪かったねえ。人のバンドが羨ましかったくらい(笑)。でもSSは〝バラバラだからこそできることがあるんだ〟っていう気持ちは唯一あった。仲が悪いくせに、音楽のセンスは合致すんのよ。だからちょっとバンドマンっぽくなくて、ヒップホップっぽいっていうかな。ヒップホップってみんなの個性でバトルしてる感じだけど、バンドって〝肩組んでイエー〟みたいなイメージがあるじゃん(笑)。俺たちは〝肩組んでイエー〟ができなかったから。個性のぶつかり合いだけできていたっていうか。それが面白かったし、特別な感じはしたけどね。
SUPER STUPIDはなんで上手くいかなかったかっていうと、みんな天才すぎちゃって(笑)。誰も引かない。“はい、どうぞ”って言ったら、みんな3人が一気に、我先にって走り出すような感じだからね(笑)。
SUPER STUPIDの一夜の復活!!
BRAHMANが結成20周年を記念して 11月14日、15日に開催した音楽イベント『尽未来際~尽未来祭~』でSUPER STUPIDが16年ぶりに復活して(SUPER STUPIDは11月14日に登場)音楽ファンのあいだで話題となった
super stupid 尽未来際 11月14日
当時、ネットでは復活に驚くファンが沢山いました!!
ハイスタの後で、まさかのSUPER STUPIDが告知なしに登場。16年ぶりのライヴ。
— 鹿野 淳 (@sikappe) November 14, 2015
2週間前には呼んでるけど、来てくれるかわからねえ。駄目かもしんねぇ、と話していたが来た。このバンドは復活とかじゃない、この企画この男から呼ばれたから筋を通しに来たと。 #BRAHMAN尽未来際
え?SUPER STUPIDとかどいうこと??幕張やっぱり行きたかった〜。。←それどころじゃなかったけど。。WOWOWとかCS放送はないの??
— reco (@rec45rpm) November 14, 2015
中でも「サドゥ」では、90チャンネルのオーバーダビングを行い、インド音楽やサンプリングを積極的に取り入れ、メロコアの域を大きく超えました。