サッカー日本女子代表(サッカーにっぽんじょしだいひょう、サッカーにほんじょしだいひょう)は、日本サッカー協会 (JFA) により編成される女子サッカーの日本代表チーム(年齢制限のないベストメンバーによる代表)。愛称は「なでしこジャパン」。
2004年から採用されているなでしこジャパンの由来は、アテネオリンピックアジア予選として行われた「AFC女子サッカー予選大会2004」の際に「大和撫子」(やまとなでしこ)という言葉がよく使われたことと、その大和撫子が「世界に羽ばたき、世界に通用するように」との願いを込めて「大和」が「ジャパン」となったものである。
高倉麻子
via stat.ameba.jp
高倉 麻子(たかくら あさこ、1968年4月19日 - )は、福島県福島市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはミッドフィールダー。夫はサッカー指導者の竹本一彦。
日本女子代表にも選出され、FIFA女子世界選手権(FIFA女子ワールドカップ)には1991年と1995年の2大会に出場。第2回スウェーデン大会ではベスト8まで勝ち進んだ。翌1996年にはアトランタオリンピックにも出場した。
via www.jiji.com
2014年、前年のU-16からU-17に移行したU-17サッカー女子日本代表を率いて2014 FIFA U-17女子ワールドカップに臨み、グループリーグ、決勝トーナメントを無敗で勝ち上がり、決勝戦でスペイン代表に2-0で勝利してU-17女子ワールドカップ初優勝を果たした[5]。
2014年9月より2016 FIFA U-20女子ワールドカップを目指すU-18サッカー女子日本代表監督に就任した[6]。
野田朱美
野田 朱美(のだ あけみ、1969年10月13日 - )は東京都出身の元女子サッカー選手、解説者、サッカー指導者。
中学3年生だった1984年、日本女子選抜(→女子代表)に選出され、イタリア戦で初出場。1986年のインド戦で初ゴールをあげた。
日本女子サッカーリーグ(JLSL→L・リーグ)では読売サッカークラブ女子・ベレーザ、宝塚バニーズSCで活躍。
via m.sponichi.co.jp
日本サッカー協会(JFA)で、なでしこジャパンをはじめとする女子サッカーの強化や普及などを統括する女子委員長に、なでしこリーグ日テレ前監督の野田朱美氏(44)が女性として初めて就任することが5日、分かった。JFAは、2023年に開催される女子ワールドカップ(W杯)の招致に乗り出しており、女性幹部を積極的に起用する方針を打ち出している。
大竹七未(奈美)
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大竹 七未(おおたけ なみ、1974年7月30日 - )は、東京都町田市出身の元女子サッカー選手で、現在はサッカー指導者・解説者である。旧名・大竹 奈美(読みは同じ)。選手時代のポジションはフォワード。元読売ベレーザ所属で、三浦淳宏夫人の大竹夕魅(旧名・由美)は、双子の妹。サニーサイドアップ所属。
日本代表としてもオリンピック、ワールドカップ予選など国際Aマッチに通算45試合出場し、32得点という成績を残した。1995年スウェーデンワールドカップではベスト8入り、1996年アトランタオリンピック出場、そして1999年ワールドカップアメリカ大会では日本代表で唯一のゴールを挙げる。1998年からは女子選手では当時まだ少なかったプロ契約選手となった。
なでしこが2011年女子W杯で優勝した時には出演依頼が殺到し、美人解説者を名乗って60番組以上に出演、講演依頼がそれまで1ヶ月に1件くらいだったのが30件以上に増えた[10]。ただし、アドリブが苦手との評判もある
大竹夕魅(由美)
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大竹夕魅(おおたけゆみ、1974年7月30日 - )は、東京都町田市出身の元女子サッカー選手。旧芸名:大竹由美(旧姓の本名、読みは同じ)。元U-21日本代表。元日本代表選手の大竹七未(旧芸名・奈美)は双子の姉。夫が元プロサッカー選手の三浦淳宏。
当初はフォワードを務めたが、のちにウイングバックに転向。1991年にはU-21日本代表に選出されるなど活躍したが、1992年に18歳で現役を引退した。