ボスは新しくやってきた刑事を留置所に迎えに行く。
いよいよ七曲署に新しい刑事・柴田純がやってくる。
入り口のドアに頭をぶつけて入ってくる純。留置所から出勤する
刑事を初めてみたとからかわれる中、どんな罪で捕まったのか
と問われ、純は無銭飲食だと語る。夕べ七曲署に配属される事
が決まり、朝まで祝杯を挙げていたら、金を使い果たしている
ことに気が付かなかったという。
ボスは服を着替えてこいというが、純は警察官時代は制服が
有ったが、今ではこの手の服しか持っていないのだという。
それを知ったゴリさんは、純のことをジーパン野郎だと告げる。
ジーパンは恐怖に震える相田に追っ手を片づけたことを告げるのだが、精神的に追いつめられていた彼には見分けがつかず発狂状態に陥る。そして近づくジーパンめがけて発砲、無警戒だったジーパンはそれをもろに腹部へと受けてしまう。 しかもそれを二度も繰り返してしまった!
松田優作といえばジーパン刑事である。ジーパン刑事といえば、「太陽にほえろ」での殉職シーンである。今や日本の役者バカとしてその地位を築きつつある竹中直人も、その昔笑いながら怒る男などとともに、かつらとサングラスで「なんじゃ、こりゃ」といってネタにしたあのシーンである。今やビデオでしか見ることができないけど、国民の30%はあのシーンをなんらかの形でみたのではないだろうか。
あのシーンを見たのはまだ小学生1年ごろだった。すでに「太陽にほえろ」は日テレの看板となり、裏では猪木の新日本プロレスが「金曜8時の理論」を構築していた。そうそのころ猪木は狂虎タイガージェットシンと死闘を繰り広げていたころではないだろうか。なぜかわが家では「太陽にほえろ」を見ていた。学校でも「太陽にほえろ」かプロレスをみるのが一般的だったような気がする。
日本テレビ系のドラマ「太陽にほえろ!」で放送された殉職シーン。もっとも、撮影のために松田が実際に向かったのは、東京都港区の竹芝ではなく、練馬区の中村橋だった。
西武池袋線の中村橋駅から西へ150メートルほど歩くと、労働者福祉施設「サンライフ練馬」や練馬区立美術館、練馬第三小学校などが並ぶ一帯がある。かつてこの地にあった広大な廃工場が、ロケに使われた。
テキサス登場編の次の回。ジーパン、ボン、スコッチ、ロッキーと、登場編の次の回は更に新レギュラーのキャラクターを掘り下げた内容で視聴者にアピールしたが、ここでは鎌田敏夫が脚本を担当、登場編よりも格段に魅力的なキャラクターでテキサスを表現しきった。とにかくテキサスが悪党を投げる!男泣きする!走る!撃つ!と大活躍!
テキサスは犯人グループと正々堂々の銃撃戦の上に全員を殺さずに倒し、逮捕させている。結果をきちんと出した上でのいわば「男子の本懐」的な死である。しかもテキサスの死はボスを覗くメンバー全員に看取られての死だった。
テキサスは、前任者のマカロニ、ジーパン同様に、壮絶な殉職で番組を去っていくのだが、彼らが一年間の出演だったのに対して二年間の出演期間を与えられた。この理由は、二つ。一つ目はテキサスが人気者で視聴者から「殉職(降板)させないで!」と番組に嘆願が殺到して、それに応えたもの。二つ目は岡田プロデューサーの懐古によると、もうこの頃は石原裕次郎が電話番となってしまっていて、現場に赴かなくなってしまったので、残りの5人を刑事らしくペアで分けて行動させると一人あぶれてしまい、解消するために一人補充するのを要したため。
1974年(昭和49年)、テレビドラマ『太陽にほえろ!』へのテスト出演を経て、“テキサス刑事”役に抜擢され、一躍人気者になった。テキサス刑事が殉職した回では、同ドラマ史上最高視聴率42.5%が記録された。
「七曲署管内の二丁目派出所から出動を依頼された石塚(竜雷太)は、そこで三揃いを着こなした端正な顔立ちの青年(沖雅也)と相対した。女性を車道に突き飛ばした殺人未遂犯ということだったが石塚にはそうは見えない。それもそのはず、男は滝隆一といい今日から一係勤務になった刑事だったのだ。
病院から一時帰宅の許可が出たスコッチが、自分は過去に肺に受けた銃弾による古傷が悪化して深刻な病状だとゴリさんに打ち明けます
次の492話では、スコッチの病室に 事件の事で相談がてら見舞いに来たラガー(渡辺徹)と会話のシーン。
そして第493話『スコッチよ静かに眠れ』で殉職(病院のベッドでゴリさんに看取られて病死)します。