夏に行われる限定コーナー。女性芸能人をターゲットにして、様々な仕掛けの肝試しをする。
とんねるずが仕掛け人役で登場した事も。
とんねるずが仕掛け人役で登場した事も。
ゴリラが出たぞ!!
エレベーターが開くと、そこから着ぐるみのゴリラが現れて、芸能人を驚かす。ほかにも、壁がぶっ壊れて北尾が現れて驚かすのもある。
コラおじさん
ショートどっきりの中でも、一番の人気コーナー。
芸能人が歩いていると、カンカン帽を被った男(演 - 歌澤寅右衛門)が現れ、振り向きざまに「コラ!!」と怒鳴りつける。
芸能人が歩いていると、カンカン帽を被った男(演 - 歌澤寅右衛門)が現れ、振り向きざまに「コラ!!」と怒鳴りつける。
シルビアちゃん
男性芸能人が歩いていると、脇から「シルビア」というすごいブス女が現れて、芸能人に抱き付く。
カーミネーター
芸能人がフジテレビ社内を歩いていると、壁の中から、映画「ターミネーター」主演のアーノルド・シュワルツェネッガー風の男が現れ、驚かす。
爆発テレビ
芸能人が、マジシャンが出演しているテレビを見ている。そして画面中のマジシャンが「3・2・1」とカウントダウンをすると、突然「ドカ〜ン!!」という爆発音と共に、テレビが大爆発を起こす。
お色気
スターどっきりマル秘報告 大川栄策 - YouTube
via www.youtube.com
芸能人が楽屋で待機していると、若い女性が「失礼します」といってコーヒーを運んでくる。女性の姿はブラウスのボタンを2つ、3つ外した状態で、なおかつノーブラといういでたちであり、胸元を見た芸能人の反応を見るネタ。大川栄策でのものが有名。
ブレイク前のキムタクもリポーターやってましたね~
懐かしい映像 スタードッキリ丸秘報告の 該当インタビューコーナー キムタクがまだ人気のない頃 1992年 - YouTube
via www.youtube.com
司会者も個性的でしたよね
via stat.ameba.jp
初代:三波伸介 - 1976年4月~1982年末(1982年12月に急逝)
1979年9月まではレギュラー放送。
三波急逝後は、芳村真理・おりも政夫司会による臨時編成の総集編企画を1回挟み、暫くの間は小野ヤスシ(「チーフリポーター」名義、1983年初冬~春)→谷啓(「代理キャップ」名義、1983年春~夏)→堺正章(「代理キャップ」名義、1983年秋~冬)→井上順(「代理キャップ」名義、1984年初冬~春)を代理司会者に起用して番組を続行。
2代目:立川清登 - 1984年春~1985年末(1985年12月に急逝)。
レギュラー番組時代にレポーターとして出演。三波の死去から1年が経過したタイミングで番組カラーの転換を模索していたスタッフの意向に応じる形で新キャップとして番組に復帰した。
尚、立川は当時、コンサートや舞台活動の都合で番組収録への参加を見合わせることも多々あり、その際には小野ヤスシや後に立川の後任として起用されることになる露木茂が代理キャップとして番組の進行に当たっていた。
3代目:露木茂(当時フジテレビアナウンサー) - 1986年初冬~1988年春
当初は新キャップのキャスティングが確定するまでのリリーフ登板であったが、視聴者や番組出演者の受けが予想外によかったことから、そのまま正式の番組キャップとして定着。
4代目:小野ヤスシ - 1988年春~1996年秋
番組開始当初よりレポーターとして出演。三波急逝後は数回に渡って代理司会を務めるなど、番組の顔として絶大な存在感を発揮し、番組の人気安定に大きく貢献。その功績を買われる形で正式のキャップとして起用されることになった。
尚、小野はキャップ昇格後も回によっては「若手のレポーターに見本を示す」という大義の下で自らレポーターを買って出ることもあった。
5代目:KinKi Kids(堂本剛、堂本光一)/田代まさし、松本明子 - 1997年4月~9月
18年ぶりに『スターどっきり大作戦』としてレギュラー番組化された際に抜擢される。尚、「キャップ」格のキャストとして扱われていたのはKinki Kidsのみだが、事実上のメイン進行は「チーフレポーター」格の田代、松本が担当していた。
6代目:志村けん、中山秀征 - 1998年
1997年のレギュラー版終了後に放送された特番の司会を数回担当。
7代目:露木茂(司会としては12年ぶり)、菊間千乃(当時フジテレビアナウンサー) - 2001年SPのみ
この番組がきっかけで、ドッキリ企画はバラエティの一ジャンルとして定着しました!!
📺cx 2021/4/23 17:54
気に入ったのはとんねるずの「水落ち」だけ