ラジオ番組『JAPANESE DREAM(ジャパニーズ・ドリーム)』
1992年4月から2006年3月まで、埼玉のFM局NACK5で毎週土曜深夜に放送されていたラジオ番組。
『全ての楽曲に平等なチャンスを与えたい。そして、本当の「いい曲」を多くの人に聴いてほしい。』という理念で音楽評論家の富澤一誠が自らパーソナリティもつとめた。
毎月リリースされる邦楽のシングル曲をすべてオンエアーし、「リスナーが耳で選んだ良い音楽」をジャッジ(すなわち審査)し、一般リスナーおよび登録制の専属リスナーの投票で月間ランキングを作成するという趣旨の番組であった。
当月ランキング1位となった楽曲はJDグランプリとして、翌月のNACK5のパワープレイ曲となり、局全体でプッシュされた。グランプリ受賞や上位入賞がきっかけとなり、知名度を上げてブレイクしたミュージシャンも多くいた。
『全ての楽曲に平等なチャンスを与えたい。そして、本当の「いい曲」を多くの人に聴いてほしい。』という理念で音楽評論家の富澤一誠が自らパーソナリティもつとめた。
毎月リリースされる邦楽のシングル曲をすべてオンエアーし、「リスナーが耳で選んだ良い音楽」をジャッジ(すなわち審査)し、一般リスナーおよび登録制の専属リスナーの投票で月間ランキングを作成するという趣旨の番組であった。
当月ランキング1位となった楽曲はJDグランプリとして、翌月のNACK5のパワープレイ曲となり、局全体でプッシュされた。グランプリ受賞や上位入賞がきっかけとなり、知名度を上げてブレイクしたミュージシャンも多くいた。
via www.zakzak.co.jp
番組オリジナルのランキング『JDチャート』
リスナー投票により作成されたオリジナルのランキングは「JDチャート」と称された。オンエアされた楽曲に対する純粋な評価が色濃く反映され、露出・知名度・人気・ファン層等の要素に大きく左右されるオリコン・CD店等の売上ランキングや、TV・ラジオにおけるリクエストチャート等とは一線を画すものであった。
月間チャートのグランプリ曲については、その年の4月から翌年3月までのグランプリ曲を対象として、翌年3月末または4月上旬の放送にて再投票が行われ、もっとも多くの得票を集めた楽曲が「スーパー・グランプリ」として選出され表彰された。
『JAPANESE DREAM』のシステムと投票
番組は1ヶ月(基本的に4回)を1サイクルとして進行した。シングルCDのリリース数の増加や番組放送時間の変更などの要因により、長い歴史の中で大きなシステム変更が数回行われている。
対象となる楽曲は、番組側による一定の基準があり、たとえば演歌や明らかなアイドルの楽曲は除外された。番組内の説明では、対象楽曲について「ポップス/ロック/ニューミュージックの新譜」と案内されていた。また、レコード会社によりオンエア解禁日が設定されており、番組放送時点で解禁前の楽曲は対象外であった。
フルコーラスではなく、各楽曲を冒頭から2~3分程度オンエアする形式。対象曲数が余りにも多い時期には、全てのシングルを流すための苦肉の策として冒頭部分も省略してオンエアする(1曲あたり1分半程度)こともあった。
番組初期は、当月1週目がエントリー週だったが、その後システム変更により、2週または3週に分けてエントリー楽曲をオンエア・投票する形態へと変化した。
投票については、番組開始当初はハガキ投書により行われ、その後ネット局拡大の過程で一部放送局のリスナー向けに電話での投票が取り入れられた。また番組後期は専用Webサイトからの投票となった。
投票は、その週にオンエアされた全楽曲から、指定された曲数を選出する形式だった。不正な投票(組織票)を防止する目的で「キーワード」または「キーナンバー」(時期により異なる)が放送中に複数回に分けて発表され、一般リスナーおよびジャッジマンはこれらを全て聞き取った上で、投票対象曲と合わせて記載・入力して投票を行う仕組みとなっていた。
番組後期では、その日の放送中に投票結果を集計、結果を発表するスタイルであった。
フルコーラスではなく、各楽曲を冒頭から2~3分程度オンエアする形式。対象曲数が余りにも多い時期には、全てのシングルを流すための苦肉の策として冒頭部分も省略してオンエアする(1曲あたり1分半程度)こともあった。
番組初期は、当月1週目がエントリー週だったが、その後システム変更により、2週または3週に分けてエントリー楽曲をオンエア・投票する形態へと変化した。
投票については、番組開始当初はハガキ投書により行われ、その後ネット局拡大の過程で一部放送局のリスナー向けに電話での投票が取り入れられた。また番組後期は専用Webサイトからの投票となった。
投票は、その週にオンエアされた全楽曲から、指定された曲数を選出する形式だった。不正な投票(組織票)を防止する目的で「キーワード」または「キーナンバー」(時期により異なる)が放送中に複数回に分けて発表され、一般リスナーおよびジャッジマンはこれらを全て聞き取った上で、投票対象曲と合わせて記載・入力して投票を行う仕組みとなっていた。
番組後期では、その日の放送中に投票結果を集計、結果を発表するスタイルであった。
『JAPANESE DREAM』スーパー・グランプリ受賞曲
SING LIKE TALKING - RISE - YouTube
Sing Like Talking『RISE』
1992年8月19日リリース
作詞:藤田千章
作曲:佐藤竹善
1988年デビュー。デビュー当初は泣かず飛ばずだったが、地道にライブを重ね、佐藤竹善のラジオDJでの洋楽の伝道師ぶりやユニークな雑誌連載などで徐々にファン層を拡大し、1993年・1994年にアルバム『ENCOUNTER』、『TOGETHERNESS』でオリコン初登場1位を獲得。
1992年8月19日リリース
作詞:藤田千章
作曲:佐藤竹善
1988年デビュー。デビュー当初は泣かず飛ばずだったが、地道にライブを重ね、佐藤竹善のラジオDJでの洋楽の伝道師ぶりやユニークな雑誌連載などで徐々にファン層を拡大し、1993年・1994年にアルバム『ENCOUNTER』、『TOGETHERNESS』でオリコン初登場1位を獲得。
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とりかえしのつかない二人 / 米屋純 - YouTube
米屋純『とりかえしのつかない二人』
1994年03月21日リリース
作詞:枡野浩一
作曲:阿部由美子
1994年03月21日リリース
作詞:枡野浩一
作曲:阿部由美子
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call :僕に必要なもの - YouTube
CALL『僕に必要なもの』
作詞: 櫻井茂雄
作曲: 櫻井茂雄
編曲: CALL・門倉聡・岩崎琢
男性デュオのCALL(櫻井茂雄、小林基弘)のメジャーデビュー初のシングルである。初回は1993年9月15日、インディーズのindiVidual Recordsからミニ・アルバム『TO-GET-HER』に収録されていた楽曲であったが、NACK5の『JAPANESE DREAM』でグランプリを受賞した事がきっかけで、ソニー・ミュージックエンタテインメントからメジャーデビューとなった。
作詞: 櫻井茂雄
作曲: 櫻井茂雄
編曲: CALL・門倉聡・岩崎琢
男性デュオのCALL(櫻井茂雄、小林基弘)のメジャーデビュー初のシングルである。初回は1993年9月15日、インディーズのindiVidual Recordsからミニ・アルバム『TO-GET-HER』に収録されていた楽曲であったが、NACK5の『JAPANESE DREAM』でグランプリを受賞した事がきっかけで、ソニー・ミュージックエンタテインメントからメジャーデビューとなった。
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CALL Pure - YouTube
CALL『Pure』
1996年2月21日リリース
作詞: 櫻井茂雄
作曲: 櫻井茂雄
編曲: CALL・岩崎琢
CALL(櫻井茂雄、小林基弘)の4thシングルであり、1996年3月30日『JAPANESE DREAM』スーパー・グランプリの回の出演時に活動休止宣言によって、最後のシングルとなった。
1996年2月21日リリース
作詞: 櫻井茂雄
作曲: 櫻井茂雄
編曲: CALL・岩崎琢
CALL(櫻井茂雄、小林基弘)の4thシングルであり、1996年3月30日『JAPANESE DREAM』スーパー・グランプリの回の出演時に活動休止宣言によって、最後のシングルとなった。
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L⇔R 大ヒット曲『STAND』黒沢健一 『Doubt』より - YouTube
L⇔R『STAND』
1997年3月19日リリース
作詞:黒沢 秀樹
作曲:黒沢健一
L⇔Rの事実上ラストシングルとなった。東京三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)CM曲。
1997年3月19日リリース
作詞:黒沢 秀樹
作曲:黒沢健一
L⇔Rの事実上ラストシングルとなった。東京三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)CM曲。
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Kiroro - 長い間 - YouTube
Kiroro『長い間』
1998年1月21日リリース。
作詞・作曲:玉城千春
当初1996年にインディーズシングルとして発売されていた作品。ビクターエンタテインメントからメジャーデビューするに当たり、収録曲などを変更し発売された。
オリコンシングルチャートでの初登場は27位だったが、有線放送やラジオ番組などで多くのリクエストを集め、登場9週目にはデビューシングルにしてオリコン1位を獲得した。
1998年1月21日リリース。
作詞・作曲:玉城千春
当初1996年にインディーズシングルとして発売されていた作品。ビクターエンタテインメントからメジャーデビューするに当たり、収録曲などを変更し発売された。
オリコンシングルチャートでの初登場は27位だったが、有線放送やラジオ番組などで多くのリクエストを集め、登場9週目にはデビューシングルにしてオリコン1位を獲得した。
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小谷美紗子弾き語りLive 火の川 - YouTube
小谷美紗子『火の川』
1999年2月24日リリース
作詞・作曲:小谷美紗子
小谷美紗子は作詞作曲を自ら手掛けるほか、ピアノ弾き語りの楽曲においては自らセルフプロデュースもこなす。デビュー時には「若き日のキャロル・キング」と形容されたこともあった。
1999年2月24日リリース
作詞・作曲:小谷美紗子
小谷美紗子は作詞作曲を自ら手掛けるほか、ピアノ弾き語りの楽曲においては自らセルフプロデュースもこなす。デビュー時には「若き日のキャロル・キング」と形容されたこともあった。
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サザンオールスターズ『TSUNAMI(ツナミ)』
2000年1月26日リリース
作詞・作曲:桑田佳祐
サザンオールスターズの44枚目のシングル。第42回日本レコード大賞を受賞し、桑田が「やっとひばりさん(美空ひばり)の背中が見えました」と語った。2001年(平成13年)には第73回選抜高等学校野球大会入場行進曲に選ばれている。
2000年1月26日リリース
作詞・作曲:桑田佳祐
サザンオールスターズの44枚目のシングル。第42回日本レコード大賞を受賞し、桑田が「やっとひばりさん(美空ひばり)の背中が見えました」と語った。2001年(平成13年)には第73回選抜高等学校野球大会入場行進曲に選ばれている。
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1970年、東京大学文科III類に入学。
その後、現状にあきたらず、大学を中退。
歌謡学校に通い歌手を志すが挫折。
その後、ニューミュージックの前身である日本のフォーク&ロックのイベントに参加。
71年、音楽誌への投稿を機に音楽評論活動に専念。
現在、ジャパニーズ・ポップス専門の音楽評論家として広く評論活動している。