水野 久美(みずの くみ)
水野 久美さんは東宝特撮映画界のスーパースター
1963年、東宝を退社してフリーとなる。以降、映画を始め、テレビドラマ、舞台など多数に出演。その妖艶な美貌から和製フランソワーズ・アルヌールと呼ばれていたこともある。
1960年代は、特に妖艶なヴァンプ役として東宝特撮映画(怪獣映画、怪奇映画)に多く出演、熱烈なファンは現在も多く、近年も海外からファンレターが送られてくるという。1998年には『怪獣大戦争』で演じた「X星人」のフィギュアが発売されている。『徹子の部屋』出演時にこのことに触れ、「私、昔火星人演ったことあるんです」などとコメントしていた。
(出典:Wikipedia)
1960年代は、特に妖艶なヴァンプ役として東宝特撮映画(怪獣映画、怪奇映画)に多く出演、熱烈なファンは現在も多く、近年も海外からファンレターが送られてくるという。1998年には『怪獣大戦争』で演じた「X星人」のフィギュアが発売されている。『徹子の部屋』出演時にこのことに触れ、「私、昔火星人演ったことあるんです」などとコメントしていた。
(出典:Wikipedia)
高橋 紀子(たかはし のりこ)
高橋 紀子(たかはし のりこ)
高橋 紀子(たかはし のりこ、1946年9月19日 - )は、日本の女優。山梨県甲府市出身。本名:山本 紀子。趣味はボウリング、ジャズ鑑賞
1963年、山梨英和高等学校を中退し、東宝へ入社。東宝ニュータレント4期生。1964年の『ひばり・チエミ・いづみ 三人よれば』でデビュー。
(出典:Wikipedia)
1963年、山梨英和高等学校を中退し、東宝へ入社。東宝ニュータレント4期生。1964年の『ひばり・チエミ・いづみ 三人よれば』でデビュー。
(出典:Wikipedia)
引退が早かったのが非常に残念だった高橋 紀子さん
大きな眼のキュートな魅力に溢れ、着実な歩みで1969年度制作者協会新人賞を受賞。
しかし、これから大きく飛躍すると期待された1970年に俳優の寺田農と結婚し、芸能界から引退(寺田とは2006年に離婚している)。
(出典:Wikipedia)
しかし、これから大きく飛躍すると期待された1970年に俳優の寺田農と結婚し、芸能界から引退(寺田とは2006年に離婚している)。
(出典:Wikipedia)
水野 久美&高橋 紀子の特撮映画主演作
日本誕生(1959年、東宝)薊役(水野 久美)
via blogs.c.yimg.jp
日本誕生のストーリー
伊邪那岐・伊邪那美の両神の国産みを中心に日本神話の幻想的な映像から始まり、主題である日本武尊の物語に入る。
小椎命(おうすのみこと)は、その勇猛な性格を父(景行天皇)に警戒され、九州の熊曽征伐を命じられる。巧みな計略で見事に熊曽を討ち取った小椎は、熊曽から日本武尊の名を与えられる。
小椎命(おうすのみこと)は、その勇猛な性格を父(景行天皇)に警戒され、九州の熊曽征伐を命じられる。巧みな計略で見事に熊曽を討ち取った小椎は、熊曽から日本武尊の名を与えられる。
原節子さんも出演
しかし大手柄を建てて都に帰った日本武尊に、天皇は休む間もなく東国の征伐を命じる。父は自分を嫌っているのか、と沈痛な気分で、途中伊勢の倭姫を訪ねた日本武尊は、一振りの剣(天叢雲剣、別名・草薙の剣)を与えられて力付けられ、その剣の由来を聞く。
ヤマタノオロチも登場
それは神代の昔、須佐之男命が八岐大蛇を退治した際に手に入れたものであった。剣は、東国でだまし討ちにあって猛火に囲まれた日本武尊の命を救う。だが、帰国途上で日本武尊は、反逆をたくらむ大伴一派の攻撃にあい、命を落とした。彼の魂は1羽の白鳥となって空に向かい、大伴の一味と手勢は神罰により洪水と溶岩流に飲まれて全滅した。
(出典:Wikipedia)
(出典:Wikipedia)
紅の海(1961年、東宝)恵美役(水野久美)
紅の海(くれないのうみ)
「紅の海」(くれないのうみ)は1961年8月13日に公開された日本の特撮映画。製作、配給は東宝。カラー、東宝スコープ。上映時間は89分。併映は「駅前シリーズ」の一本である「喜劇 駅前団地」(東京映画作品。監督:久松静児)。
(出典:Wikipedia)
(出典:Wikipedia)
下関港に海上保安の巡視艇が入港し、捕まえた海賊を警察に連行させる。海上保安官の高梨は龍造、辰朗の漁船出港の見送りに来ていた茂正、妙子兄妹に声をかけられる。龍造と辰朗はいつもいがみ合ってばかりの仲が良すぎる漁師であった。定期船玄秀丸通信士の茂正もこの後すぐ出航の予定だった。
龍造と辰朗は出航後も口喧嘩が止まらない。お互いに速力を上げ、競争し合う。
妖星ゴラス(1962年、東宝)野村滝子役(水野久美)
妖星ゴラス(ようせいゴラス)
『妖星ゴラス』(ようせいゴラス)は、1962年3月21日に公開された日本の特撮映画。製作、配給は東宝。カラー、東宝スコープ、多元磁気立体音響。同時上映は『紅の空』。
謎の燃える怪星ゴラスと地球との衝突を回避するため、地球の公転軌道を変えようと奮闘する人々を描く。
(出典:Wikipedia)
謎の燃える怪星ゴラスと地球との衝突を回避するため、地球の公転軌道を変えようと奮闘する人々を描く。
(出典:Wikipedia)
via blogs.c.yimg.jp
妖星ゴラスのストーリー
1979年9月29日午後8時、土星探査の任務を負った日本の宇宙船 JX-1 隼号が、富士山麓宇宙港から打ち上げられた。しばらくして、パロマー天文台が質量が地球の6,000倍あるという黒色矮星「ゴラス」を発見したと発表。隼号の園田艇長は、急遽ゴラス探査に向かった。しかし、質量こそ膨大だが大きさは地球の4分の3というゴラスの引力圏内に捉えられ、観測データの送信後ゴラスに飲み込まれる。そして隼号が遭難直前に送ったデータから導き出された結論は「ゴラスが今の進路を保つと地球に衝突する」という恐るべきものだった。
(出典:Wikipedia)
(出典:Wikipedia)
via pds.exblog.jp
事態を危惧する日本宇宙物理学会の田沢博士と河野博士だが、政府も対策に本腰を入れようとせず、またこれを自分の問題として捉える人々も少なかった。再度のゴラス観測も思うに任せぬ中、田沢と河野は、園田博士の孫・速男の「ゴラスを爆破するか地球が逃げるか、その2つしかない」という言葉に活路を見出す。
(出典:Wikipedia)
(出典:Wikipedia)
via pds.exblog.jp
ゴラスの表面
田沢と河野は国連科学会議で、「南極に建設した巨大ロケット推進装置によって、100日間で地球を40万キロ移動させ、その軌道を変える」という「地球移動計画」を提案。当初はその実現性を疑問視されるが、アメリカやソ連も似たような研究を行っていたことから計画は一気に進み、各国一丸となって建設に取り掛かることが決定。かくして世界中の技術が南極に結集し、巨大ジェットパイプが次々と建造されていく。しかし、工事現場で落盤が発生するなどの事故で、タイムロスも生じ始める。
(出典:Wikipedia)
(出典:Wikipedia)
via pds.exblog.jp
1958年、東宝に入社。1959年、劇団俳優座養成所を第8期生として卒業。
まだ、海外渡航自由化の前だった1960年、同7月27日から8月2日まで開催されたカラカス東宝映画祭のため、南米のベネズエラを訪れている。続いて、アメリカ・ロサンゼルスで同8月5日に開館した東宝ラブレア劇場の開館式にも出席した。
(出典:Wikipedia)