美人プロボウラーのまとめ:秋吉夕紀・渡辺けあき・櫻井眞利子・名和秋・浅田梨奈・本間成美・中山律子・須田開代子他合計12名
2015年9月26日 更新

美人プロボウラーのまとめ:秋吉夕紀・渡辺けあき・櫻井眞利子・名和秋・浅田梨奈・本間成美・中山律子・須田開代子他合計12名

秋吉夕紀・渡辺けあき・櫻井眞利子・名和秋・浅田梨奈ほか合計10名の美人ボウラーのまとめ。中山律子と須田開代子から始まるプロボウラーの歴史。二人の活躍の軌跡も。 画像と動画で各美人ボウラーの活躍を振り返ります。

245,006 view

伝説の美人プロボウラーの中山律子と須田開代子から始まる歴史

nakayama rituko 中山律子 - YouTube

中山律子と須田開代子「プロボウラー中山律子の辿った二番手の人生」
中山 律子(なかやま りつこ)

中山 律子(なかやま りつこ)

中山 律子(なかやま りつこ、1942年10月12日 - )は、元プロボウリング選手。群馬県吾妻郡草津町生まれ、鹿児島県育ち。ライセンスNo.2の女子プロ1期生。通算タイトル33勝の永久シードプロで公認パーフェクト2回。社団法人日本プロボウリング協会(JPBA)会長職を4期8年務めた後、2012年3月より名誉会長。ジャパンレディースボウリングクラブ(JLBC)会長。鹿児島市立鹿児島女子高等学校卒業、愛称は「和製ジャンヌ・ダルク」。

1965年帰郷後、友人に誘われ初めてプレイしたボウリングで85点のスコアを出し、ボウリングの魅力に取り付かれた中山は以後ボウリングの道を歩む。1966年4月の九州大会で準優勝し、1967年11月の全日本オープン選手権・準優勝をきっかけとし、1968年に東京タワーボウリングセンターにスカウトされ入社。入社後の1969年6月に第1回女子プロテストが開催され、中山は3日目までトップだったが、終生のライバルとなる須田開代子に最終日に逆転され、結果は2位合格でプロ入りとなる。須田とはアマチュア時代から面識があったものの、優勝・須田、準優勝・中山のパターンがアマ時代には多く実力的には須田の後塵を拝する事が多かった。

TV中継でのパーフェクト達成のインパクトは予想を遥かに超えた社会現象を起こし、中山は「さわやか律子さん」の愛称とともに抜群の美貌と人気を誇り、花王のフェザーシャンプーのCM等に出演し一大旋風を巻き起こし、CM曲の「律子さん、律子さん、さわやか律子さん」は流行語となった。女子プロボウラーは数多くあれど、中山は後に至るまで史上最強の女子プロと呼ばれ、同期の須田らと共に爆発的なボウリングブームの立役者となった。また全盛期の中山は所属先である「東京タワー」の文字が書かれたボウラーシャツを着ており、それが中山のトレードマークとなっていた。
(出典:Wikipedia)
須田 開代子(すだ かよこ)

須田 開代子(すだ かよこ)

須田 開代子(すだ かよこ、1938年8月2日 - 1995年11月20日)は、日本のプロボウリング選手。東京都出身。
ライセンスナンバー1の女子第1期生。日本国内初の女子プロボウラーとしても知られる。通算タイトル43勝。永久A級ライセンス取得者。日本ブランズウィック社所属。ジャパンレディスボウリングクラブ(JLBC)初代代表。

1967年の第1回全日本選抜選手権で優勝。1969年プロ入り。同期の中山律子や並木恵美子と共に、高度成長期を背景にボウリングブームを支えた。
オイルショックによりボウリングブームが一気に下火になる中、1976年須田は女性だけのボウリングクラブ「ジャパンレディースボウリングクラブ」を設立。自ら初代代表に就任し、ボウリング業界復興に尽力した。(本人の意向で会長とは名乗らず、2代目藤原清子より会長となる。現在は中山律子が会長)
私生活では男子プロボウリング選手だった西城正明との結婚・離婚、自らを蝕んだ癌など苦悩に満ちていた。
一度は病魔を克服して復活を果たした須田であったが、1995年に療養先のアメリカバージニア州内の病院にて心不全のため死去する。57歳だった。
須田のボウリング人生を記した著書に、『須田開代子という生き方―世界一ボウリングを愛した女(ひと)』(笹山生子著 チクマ秀版社版)がある。また、1971年には映画『起きて転んでまた起きて』(東京映画)にプロボウラー役として出演した。
歌手の田谷力三のファンであり、西城との結婚式では田谷が式中で歌った。
(出典:Wikipedia)

現代のボウリング・ガール「ストライクの女神」たち

秋吉 夕紀(あきよし ゆうき)

秋吉 夕紀(あきよし ゆうき)

秋吉 夕紀(あきよし ゆうき)

秋吉 夕紀(あきよし ゆうき、1985年10月2日 )は大分県出身のLBO認定チャータープロボウラーである。千葉県立犢橋高等学校卒業。千葉商科大学商学部在籍。イースタンスポーツ所属。
大学在学中の2008年4月、第41回女子プロボウラー資格取得テスト(社団法人 日本プロボウリング協会)に合格。このプロテストの模様は日本テレビ「スッキリ!!」にて取り上げられる。
10歳でボウリングを始め、高校2年生でオールジャパンジュニアに選ばれる。
(出典:Wikipedia)
秋吉夕紀さんのルックスはアイドル並に可愛い

秋吉夕紀さんのルックスはアイドル並に可愛い

秋吉夕紀さんはボウリング娘として、恋するストライクガー...

秋吉夕紀さんはボウリング娘として、恋するストライクガールというCDも出したことがある

秋吉夕紀さんの投球フォーム

http://www.dhcblog.com/toyfromt/img/25/img20110130.jpg (849695)

2015/05/23 秋吉チャレンジ 1回戦 - YouTube

2015/05/23 秋吉チャレンジ 1回戦
http://art55.photozou.jp/pub/167/276167/photo/134942401_624.jpg (849697)

2015/05/24 秋吉夕紀プロチャレンジ 2回戦 - YouTube

2015/05/24 秋吉夕紀プロチャレンジ 2回戦
http://imgcc.naver.jp/kaze/mission/USER/20140806/56/5661766/76/960x720x9092314b327a8ec63b5b4570.jpg (849699)

http://imgcc.naver.jp/kaze/mission/USER/20140806/56/5661766/68/720x960xf9ab563c0c8096583ea65eb0.jpg (849700)

秋吉夕紀プロ、パーフェクトゲームなるか!? - YouTube

秋吉夕紀プロ、パーフェクトゲームなるか!?
http://blog-imgs-32-origin.fc2.com/m/o/n/monma4/2011-06-14-akiyosi.jpg (849702)

140621高尾PHOENIX RAYS(秋吉夕紀)-05 - YouTube

http://www.jalan.net/jalan/images/pictLL/Y1/L375931/L3759310000963341.jpg (849704)

129 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

【1970年代前半】女子プロボウラーの人気は今の女子プロゴルファーのより熱かった!!

【1970年代前半】女子プロボウラーの人気は今の女子プロゴルファーのより熱かった!!

私が中学・高校に通っていた1970年前半と言えば、何と言っても日本中でボウリング熱がハンパなく熱かったのが印象に残っている。そのボウリング熱の一翼を担っていたのは、何を隠そう女子プロボウラーたちであった。特に女子プロボウラー1期生の須田開代子と中山律子は、当時超人気アイドル以上の存在で、テレビに出ない日はないと言っても過言ではなかった。そんな彼女たちを中心に当時のボウリング人気について追ってみることにしよう!!
【パシフィックパーク茅ヶ崎】サザンの楽曲のモデルにもなったホテル・娯楽施設を振り返る。

【パシフィックパーク茅ヶ崎】サザンの楽曲のモデルにもなったホテル・娯楽施設を振り返る。

サザンオールスターズやブレッド&バターの楽曲「HOTEL PACIFIC」のモデルにもなった、神奈川県茅ヶ崎にあった「パシフィックパーク茅ヶ崎」正式名称は「パシフィックホテル茅ヶ崎」ドライブイン、ボーリング、プール、ビリヤード等を併設した娯楽施設を振り返る。
M.E. | 67,067 view
ファミコン『ダイナマイトボウル』家で好きなだけボーリングを楽しめたスポーツゲーム!!

ファミコン『ダイナマイトボウル』家で好きなだけボーリングを楽しめたスポーツゲーム!!

ダイナマイトボウルは、東芝EMIから発売されたボーリングゲームで、迫力の3D画面でボウリングを完全にシュミレーションしたAモードや新たなルールを組み込んだBモードの2種類がありました。最高5人まで遊ぶことが出来るので、スコアの競い合いを楽しむ事ができました。
星ゾラ | 3,228 view
マリア・シャラポワは華やかな容姿とプレースタイルに加えて、4大大会の女子シングルスで生涯グランドスラムを達成した実力も備える美女アスリートの究極

マリア・シャラポワは華やかな容姿とプレースタイルに加えて、4大大会の女子シングルスで生涯グランドスラムを達成した実力も備える美女アスリートの究極

2004年のウィンブルドンで17歳にして初のグランドスラム優勝を挙げ、一夜にして世界的名声を得たマリア・シャラポワさん。翌年には世界ランクも1位になりました。以降、怪我による5年ほど挫折期間もありましたが2012年復帰して世界ランク1位に返り咲いています。強くて美しい世界最高峰の美女アスリートのシャラポワさんを振り返ります。
ガンモ | 47,371 view
ウクライナの妖精!元新体操の女王アンナ・ベッソノバさんのまとめ。

ウクライナの妖精!元新体操の女王アンナ・ベッソノバさんのまとめ。

元新体操の女王アンナ・ベッソノバさんの貴重なグラビア、新体操のウォーミングアップと練習風景、種目別の演技を画像や動画で振り返ります。
ガンモ | 41,535 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト