【1970年代前半】女子プロボウラーの人気は今の女子プロゴルファーのより熱かった!!
2017年9月28日 更新

【1970年代前半】女子プロボウラーの人気は今の女子プロゴルファーのより熱かった!!

私が中学・高校に通っていた1970年前半と言えば、何と言っても日本中でボウリング熱がハンパなく熱かったのが印象に残っている。そのボウリング熱の一翼を担っていたのは、何を隠そう女子プロボウラーたちであった。特に女子プロボウラー1期生の須田開代子と中山律子は、当時超人気アイドル以上の存在で、テレビに出ない日はないと言っても過言ではなかった。そんな彼女たちを中心に当時のボウリング人気について追ってみることにしよう!!

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まずは、ボウリングの基礎知識から!!・・・

ボウリングの起源

元々ボウリングは倒すピンを災いや悪魔に見立てて、それを沢山倒すことが出来たならば、その災いなどから逃れることが出来るという一種の宗教儀式であった。その歴史は古く、紀元前5000年頃には古代エジプトにおいて墓から木でできたボールとピンが発掘された事から、その頃からもボウリングに似たようなものがあったと推測されている。
しかし倒すピンの数やそれに応じた並べ方も場所や地域によってさまざまであった。それを中世ドイツの宗教革命家として知られるマルティン・ルターが、倒すピンを9本にし、並べ方もひし形にして、ボウリングの基本的なルールを統一した。これが近代ボウリングのルールの原型になっていったと考えられている。
デイトの時などに”鼻高”トリビアになりますよ!!
ナインピンボウリング

ナインピンボウリング

9本という決められた数のピンを倒すという行為から、やがて「ナインピンズ・ボウリング(en:Nine-pin bowling)」(九柱戯)という一つのスポーツに派生し、宗教家の間では人気のあるスポーツとして栄えたそうだ。九柱戯はいまだにヨーロッパでは比較的メジャーな競技で、愛好者も多い。
17世紀になると多数の宗教家(清教徒)たちもアメリカへ移住したことで、アメリカでもボウリングが盛んになった。しかしナインピン・ボウリングは西部開拓時代・アメリカで禁酒法下において酒をめぐる賭け事に利用され禁止になり、反発した有志がピンを一本足しテン・ピン・ボウリングにしたことで法律の「ナインピンボウリングを禁ず。」を回避していた。それが現在のスタイルになったと言われる。

日本での始まりは??

オープン当初の「東京ボウリングセンター」

オープン当初の「東京ボウリングセンター」

日本では江戸時代(幕末の文久元年)の1861年6月22日(5月15日)に、長崎市の大浦居留地に初めてのボウリング場「インターナショナル・ボウリング・サロン」が開設されたのが最初であったが、近代的な日本のボーリング場の始まりは1952年(昭和27年)12月20日、日本で初めての本格民間ボウリング場 「東京ボウリングセンター」が、東京・青山に開業したのがそれであった。

ボウリング場の裏側で

当時のことを若干覚えていますが、「ピンボーイ」と呼ばれる人が倒れたピンをもとどおりにするという人力に頼っていたんですよ!! すべて自動化されるのが1960年代中盤だったと記憶しています。

ボウリングに関する”鼻高”トリビアをもう一つ!!

ボウリングは、「ボーリング」ではなく「ボウリング」と記述する。「ボーリング」と記述するものは、温泉や油田を掘るなどの掘削(あなほり!!)を意味する。

また、 ボウリングで左右の溝にボールが落ちることや、その溝のことは「ガーター」ではなく「ガター」と言うのが正しい言い方だそうだ。「ガター」は英語で「溝」という意味の「gutter」から来ており、「ガーター」と言うと「garter」の意味になり、それは女性の靴下止めや、ガーターベルトのガーターの意味になるという。

では、そろそろ本題へ!!

人気が爆発する前夜の状況

当時の岩上太郎氏

当時の岩上太郎氏

学生ピンボーイを経て、後にプロボウラーとなった岩上太郎氏は、日本人初のパーフェクトゲームを達成しました。
相当のイケメンですね!!
1960年代中盤になると、人々の暮らしも向上し、余暇の楽しみの一つとしてボウリングが注目を集めてくるようになる。野球、サッカー、テニスなども人気があったが、意外と男女が揃って一緒にできるリクレーションは少なかった。やはり男女の力の差が存在するのであろう。しかし、ボウリングは平等な立場でできるのも魅力の一つであり、またボウリング場も急激に機械化が進み、まぎらわしさやめんどくささもなくなっていたのも人気が出る要因の一つになった。
1967年には日本プロボウリング協会(JPBA)設立と同時に、岩上太郎や矢島純一などのトップボウラーたちがプロボウラーとなり、テレビでもボウリング番組を中継し始めていた。

ついにボウリングブーム到来!!

1968年になり、女子プロボウラーの選抜があり、須田 開代子、中山律子、並木恵美子など、13名が第1期生として誕生した。女子プロボウラーは男子と比較すると、若干迫力に劣っていた面もあったが、やはり華やぐし、明るくなるから不思議である。テレビも視聴率がぐんぐん上がって行くし、どこのテレビ局もボウリング番組をオンエアーするようになる。ついにボウリングブームの到来であった。

実力もライセンスNo.もNo.1だった須田開代子

ボウリングブームの頃の須田 開代子

ボウリングブームの頃の須田 開代子

須田 開代子(すだ かよこ、1938年8月2日 - 1995年11月20日)は、日本のプロボウリング選手。東京都出身。
ライセンスNo.1の女子第1期生。日本国内初の女子プロボウラーとしても知られる。通算タイトル43勝。永久A級ライセンス取得者。日本ブランズウィック社所属。ジャパンレディスボウリングクラブ(JLBC)初代代表。
プレーも一流でしたが、晩年のボウリング解説では、須田開代子に叶う人はいませんでした!!
1967年の第1回全日本選抜選手権で優勝。1969年プロ入り。同期の中山律子や並木恵美子と共に、高度成長期を背景にボウリングブームを支えた。
オイルショックによりボウリングブームが一気に下火になる中、1976年須田は女性だけのボウリングクラブ「ジャパンレディースボウリングクラブ」を設立。自ら初代代表に就任し、ボウリング業界復興に尽力した。(本人の意向で会長とは名乗らず、2代目藤原清子より会長となる。現在は中山律子が会長)
私生活では男子プロボウリング選手だった西城正明との結婚・離婚、自らを蝕んだ胃癌・食道癌など苦悩に満ちていた。
一度は病魔を克服して復活を果たした須田であったが、1995年に療養先のアメリカバージニア州内の病院にて心不全のため死去する。57歳だった。
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