佐々木健介とのプロレス界おしどり夫婦として、テレビなどで活躍していた北斗晶さんが乳がんであることを公表しました。
「私にできることは最後まで皆んなに癌だとは知らせず笑顔で。元気な北斗晶でテレビに出ること」とコメントを発表。プロレスラーだった時代も試合をやりぬく根性は並外れたものがありました。
北斗さんの快気を願って、プロレスラー時代を名場面と共に振り返りましょう!
「私にできることは最後まで皆んなに癌だとは知らせず笑顔で。元気な北斗晶でテレビに出ること」とコメントを発表。プロレスラーだった時代も試合をやりぬく根性は並外れたものがありました。
北斗さんの快気を願って、プロレスラー時代を名場面と共に振り返りましょう!
元女子プロレスラーでタレントの北斗晶(48)が23日、自身のブログを更新。乳がんであることを告白した。24日、右乳房全摘出手術を受ける。前日22日には火曜レギュラーを務めるTOKYO MX「5時に夢中!」(月~金曜後5・00)に生出演。「火曜メンバーには誰一人告げずに」放送を終えた。告知後、決まっていた仕事は1つも穴を開けず。病気は伏せ、笑顔で仕事をやり遂げた。http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/09/23/kiji/K20150923011189760.html
デンジャラスクィーン北斗晶
via blogs.c.yimg.jp
北斗 晶(ほくと あきら、1967年7月13日 - )は、日本の元女子プロレスラー、タレント、実業家、女優、芸能プロモーター。本名、佐々木 久子(ささき ひさこ)旧姓・旧リングネーム、宇野 久子(うの ひさこ)。埼玉県北葛飾郡吉川町(現:吉川市)出身で、2014年現在も同市在住。血液型はO型。2児の母。70kg(2014年7月時点)。
リングネームの由来は『ウルトラマンA』の北斗星司と[1]、尊敬していた男子レスラー前田日明の名前から。レスラーとしての愛称はデンジャラス・クイーン。レスラー引退後は、鬼嫁の愛称で知られる。
全日本女子プロレス時代
via i.ytimg.com
1985年6月12日、札幌中島体育センターにおける岩本久美子(後のグリズリー岩本)戦で全日本女子プロレスよりデビュー。入門当時は当時の本名・宇野久子をそのままリングネームにしていた。当時、デビュー時代から連戦連勝でありデビューからの連勝記録を保持していた。同年の新人王決定トーナメントは準優勝、年末の女子プロレス大賞では(最優秀)新人賞となった。
1988年には同期の鈴木美香(みなみ鈴香)と海狼組(マリン・ウルフ)を結成し、リングネームを北斗晶[2]に変更。1989年3月1日に『颱風前夜(The Eve of Fight)』で歌手デビューしている。
神取忍 vs. 北斗晶 1/4 (93.04.02横浜アリーナ) - YouTube
夢のオールスター戦 第10試合 1/4 ゲスト解説:風間ルミ 女子プロ史上最も有名な一戦のひとつ
via www.youtube.com
1993年から1997年にかけての団体対抗戦時代には神取忍と血みどろの抗争を繰り広げ、デンジャラスクイーンと呼ばれるようになる。後に神取との試合の契機を聞かれると、「プロレス観が決定的に違い(客を楽しませる事やプロレスを楽しむ事に拘る自分に対して)格闘技として単純に強くなる事だけを考えてた神取が許せなかったんだと思う。」と述べている。
結婚~引退
via rubese.net
アントニオ猪木の主導により北朝鮮で行われたスポーツと平和の祭典で健介と出会い婚約。1995年6月4日、健介と結婚した後にフリーとなり、WCWを経て1996年、GAEA JAPANに入団。1998年に長男を出産、一時リングを降りていたが翌年復帰を果たし、団体内グループであるT.NDS(チームノストラダムス)および卑弥呼を結成し、日本初のママレスラーとなった。
その後、親友であり自身と同じく幼い子を持つ女性が亡くなったことがきっかけで引退を決意し、2002年4月7日、横浜文化体育館の長与千種・浜田文子組戦(パートナーは里村明衣子)において現役を引退した。
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