JBエンジェルス
山崎五紀(やまざき いつき)
生年月日:1966年1月3日
出 身 地:兵庫県飾磨郡家島町(現在の兵庫県姫路市)
身 長:165cm
デビュー:1981年9月5日(対 浅見美樹 戦)
引 退:1991年12月22日
新人時代は「ブラック・デビル(デビル軍団)」に加入しヒールレスラーとして出場していました。
1984年にデビル軍団が解散したことにより、ベビーフェイスに転向しています。
1977年~1981年に活躍したマミ熊野さんとは、お互いのいとこ同士が結婚したことにより遠い親戚という間柄になりました。
出 身 地:兵庫県飾磨郡家島町(現在の兵庫県姫路市)
身 長:165cm
デビュー:1981年9月5日(対 浅見美樹 戦)
引 退:1991年12月22日
新人時代は「ブラック・デビル(デビル軍団)」に加入しヒールレスラーとして出場していました。
1984年にデビル軍団が解散したことにより、ベビーフェイスに転向しています。
1977年~1981年に活躍したマミ熊野さんとは、お互いのいとこ同士が結婚したことにより遠い親戚という間柄になりました。
立野記代(たての のりよ)
生年月日:1965年12月1日
出 身 地:栃木県足利市
身 長:164cm
デビュー:1981年7月12日(対 坂本和恵 戦)
引 退:2010年10月10日
「女子プロレス界の聖子ちゃん」と呼ばれたアイドルレスラー。
新人時代から1年先輩のダンプ松本さんやライオネス飛鳥さんと仲が良く、長与千種さんとの全日本ジュニア王座を賭けたタイトルマッチの際には、ダンプさんと飛鳥さんに徹底的に長与千種対策を教えてもらい見事タイトルを獲得することに成功。
出 身 地:栃木県足利市
身 長:164cm
デビュー:1981年7月12日(対 坂本和恵 戦)
引 退:2010年10月10日
「女子プロレス界の聖子ちゃん」と呼ばれたアイドルレスラー。
新人時代から1年先輩のダンプ松本さんやライオネス飛鳥さんと仲が良く、長与千種さんとの全日本ジュニア王座を賭けたタイトルマッチの際には、ダンプさんと飛鳥さんに徹底的に長与千種対策を教えてもらい見事タイトルを獲得することに成功。
1986年にJBエンジェルス結成
1986年1月にWWWA世界タッグ王座を獲得し、同年3月に「ジャンピング・ボム・エンジェルス( JBエンジェルス)」を結成。
via www.youtube.com
1987年にアメリカのプロレス団体WWF(現:WWE)からのオファーにより渡米。
全米サーキットに参戦します。
一時帰国した後再び渡米し1988年1月にWWF世界女子タッグ王座を獲得しています。
アメリカ遠征に行った際には、たった1ヶ月でなんと15㎏も太ってしまったんだそうですよ。
帰国後の1989年5月に五紀さんが全日本女子プロレスから引退したことにより、JBエンジェルスは解散となりました。
全米サーキットに参戦します。
一時帰国した後再び渡米し1988年1月にWWF世界女子タッグ王座を獲得しています。
アメリカ遠征に行った際には、たった1ヶ月でなんと15㎏も太ってしまったんだそうですよ。
帰国後の1989年5月に五紀さんが全日本女子プロレスから引退したことにより、JBエンジェルスは解散となりました。
実は仲が悪かった⁈
via aucfree.com
タッグを組んで激しいファイトを数多く繰り広げてきたJBエンジェルス。
ですが、結成当初からしばらくは仲が悪かったそう。
何が原因だったのか・・・?
それは、お二人の入団当初にさかのぼります。
1981年、お二人が入団した当初の全日本女子プロレスは遠征時にA班とB班に分かれてバス移動していました。
ある時、会社のスタッフから「同期の中で班決めしろ」と言われ、五紀さん、記代さんとお二人と同期入団の浅見美樹さんの3人でジャンケンをします。
その結果、ジャンケンに勝った五紀さんと浅見さんがA班、負けた記代さんがB班に決定。
記代さんは自分の荷物がA班のバスにあったため、荷物を引き上げB班のバスに移動しようとしていました。
しかしその時、居合わせたスタッフに「お前はA班に残れ」と言われ、記代さんはそのままA班のバスに残ることに。
それが原因でA班に行くはずだった五紀さんと揉め、さらにA班とB班に別れたことで会う機会も減っていったことから、話すことも少なくなっていったんだそう。
それだけが原因ではなかったとは思いますが、JBエンジェルスとしてタッグ戦に出場する時も、試合前にたった一言「よろしく」というくらいでコミュニケーションはほとんどとっていなかったんだとか。
そんなお二人が仲良くなるきっかけとなったのが、1987年に参戦した全米サーキットでした。
アメリカで本格的に二人でやっていくにあたり、お互いに言いたいことをすべて言い合ったそう。
すると、今まで分からなかった相手の考えや自身の反省点を理解し、心の距離がグッと縮まっていったんだそうです。
「まさか親友になれるなんて思わなかった」というお二人。
現役を引退された今でも変わらず仲良しなんだそうですよ。
ですが、結成当初からしばらくは仲が悪かったそう。
何が原因だったのか・・・?
それは、お二人の入団当初にさかのぼります。
1981年、お二人が入団した当初の全日本女子プロレスは遠征時にA班とB班に分かれてバス移動していました。
ある時、会社のスタッフから「同期の中で班決めしろ」と言われ、五紀さん、記代さんとお二人と同期入団の浅見美樹さんの3人でジャンケンをします。
その結果、ジャンケンに勝った五紀さんと浅見さんがA班、負けた記代さんがB班に決定。
記代さんは自分の荷物がA班のバスにあったため、荷物を引き上げB班のバスに移動しようとしていました。
しかしその時、居合わせたスタッフに「お前はA班に残れ」と言われ、記代さんはそのままA班のバスに残ることに。
それが原因でA班に行くはずだった五紀さんと揉め、さらにA班とB班に別れたことで会う機会も減っていったことから、話すことも少なくなっていったんだそう。
それだけが原因ではなかったとは思いますが、JBエンジェルスとしてタッグ戦に出場する時も、試合前にたった一言「よろしく」というくらいでコミュニケーションはほとんどとっていなかったんだとか。
そんなお二人が仲良くなるきっかけとなったのが、1987年に参戦した全米サーキットでした。
アメリカで本格的に二人でやっていくにあたり、お互いに言いたいことをすべて言い合ったそう。
すると、今まで分からなかった相手の考えや自身の反省点を理解し、心の距離がグッと縮まっていったんだそうです。
「まさか親友になれるなんて思わなかった」というお二人。
現役を引退された今でも変わらず仲良しなんだそうですよ。
歌手デビュー
1975年3月にマッハ文朱さんが歌手デビューしたことに始まり、1976年11月にビューティ・ペア、1984年8月にクラッシュギャルズが歌手デビューし人気を獲得。
そして、1986年3月にはJBエンジェルスも歌手デビューしました。
そして、1986年3月にはJBエンジェルスも歌手デビューしました。
via www.amazon.co.jp
1986年8月14日発売
2ndシングル「青春のエンブレム~Never Surrender!~」
B面「ダッシュ」
ドラマ「夏・体験物語 パート2」(1986年7月29日~10月14日 TBS系)の挿入歌に起用されました。
2ndシングル「青春のエンブレム~Never Surrender!~」
B面「ダッシュ」
ドラマ「夏・体験物語 パート2」(1986年7月29日~10月14日 TBS系)の挿入歌に起用されました。
via www.amazon.co.jp
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CBSソニーからのオファーにより歌手デビューをすることになったJBエンジェルス。
歌手デビューが決まったと聞かされた時は「私たちはプロレスラーなので歌なんて歌えません」と断ったそうですが、全日本女子プロレスとCBSソニーの間ですでに契約が済んでおり、断る選択肢はなかったそう。
歌手活動はわずか1年でしたが、シングル曲3枚の他に、アルバム「ファーストフライト」もリリースされました。
歌手デビューが決まったと聞かされた時は「私たちはプロレスラーなので歌なんて歌えません」と断ったそうですが、全日本女子プロレスとCBSソニーの間ですでに契約が済んでおり、断る選択肢はなかったそう。
歌手活動はわずか1年でしたが、シングル曲3枚の他に、アルバム「ファーストフライト」もリリースされました。
全女退団後は?
via aucfree.com
1stシングル「(Chance)³ Chance,Chance,Chance~」
B面「J.B.エンジェルスのテーマ」