アイドルグループ「おニャン子クラブ」
via www.suruga-ya.jp
新田恵利が芸能界デビューのきっかけとなったのはバラエティ番組として1985年4月放送開始になった「夕やけニャンニャン」。
当時の司会は片岡鶴太郎、松本小雪の2人でした。深夜番組の「オールナイトフジ」の企画からの延長上にあった番組とされています。
平日17時台放送の番組としては高視聴率で中でも「アイドルを探せ」というコーナーから発掘される女の子たちにおいては、オーディションで勝ち抜いた女子高生ばかりだったので人気が高く、そこから出てきた女の子たちを集めて「おニャン子クラブ」というアイドルグループの歴史が始まりました。
当時の司会は片岡鶴太郎、松本小雪の2人でした。深夜番組の「オールナイトフジ」の企画からの延長上にあった番組とされています。
平日17時台放送の番組としては高視聴率で中でも「アイドルを探せ」というコーナーから発掘される女の子たちにおいては、オーディションで勝ち抜いた女子高生ばかりだったので人気が高く、そこから出てきた女の子たちを集めて「おニャン子クラブ」というアイドルグループの歴史が始まりました。
おニャン子クラブのメンバーには会員番号が割り振られていて最終的には52番まで登録されB組なるものや研修生なども存在し全部で55名の女の子たちが芸能界デビューをしています。
この55名の女の子たちの中では喫煙問題が問沙汰され番組降板はもちろんおニャン子クラブからも正式に脱退させれら芸能界を追われた子たちがおり、有名になった頃には会員番号4番の新田恵利がトップ番号という形でレコードデビューすることとなりました。
この55名の女の子たちの中では喫煙問題が問沙汰され番組降板はもちろんおニャン子クラブからも正式に脱退させれら芸能界を追われた子たちがおり、有名になった頃には会員番号4番の新田恵利がトップ番号という形でレコードデビューすることとなりました。
via xn--58ja4ob.xyz
番組スタート時のメンバーは1985年時11人で1987年の番組終了の解散時には19人と増えていますが、この2年間でソロデビューなどで卒業していくメンバーや芸能活動を続けることができなくなり卒業するメンバー、所定のルールを守れず離脱を強いられたメンバーなどあり入れ代わり立ち代わりでメンバー変更がありました。
新田恵利の他にも人気の高かったメンバーはたくさん所属していて現在でも芸能界で活躍している人もいます。特におニャン子クラブの中からユニットやソロなどで歌手デビューしているメンバーなどは注目度も高く多方面で話題になりました。
~会員番号の唄~おニャン子クラブ~
via www.youtube.com
最終的にどんなメンバーが所属して誰が卒業したのかを認識できる前におニャン子クラブは消滅してしまいますが、このスーパーアイドルグループの歌詞を書き続けていたのがアイドルを夢見る女の子の中で知らない人はいない作詞はもちろんプロデューサーとしても有名な秋元康氏。
via ameblo.jp
この秋元康氏の手腕でおニャン子クラブとしてのデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」はオリコンチャートでも上位に上がり当時の歌番組にも出場するなどの人気で一気のおニャン子をアイドルグループへと押し上げたといい手もいいでしょう。
ほかにもソロデビューした元おニャン子メンバーにも楽曲を提供するなど精力的にプロデュースをしていました。このプロデュース力はおニャン子だけに留まらず、少女隊、息っ子クラブ、幕末塾、ねずみっ子クラブ、推定少女、AKBグループ乃木坂46、Thinking Dogs、欅坂46など現在の活動となります。
ほかにもソロデビューした元おニャン子メンバーにも楽曲を提供するなど精力的にプロデュースをしていました。このプロデュース力はおニャン子だけに留まらず、少女隊、息っ子クラブ、幕末塾、ねずみっ子クラブ、推定少女、AKBグループ乃木坂46、Thinking Dogs、欅坂46など現在の活動となります。
おニャン子クラブの主なメンバー
会員番号4番新田恵利を筆頭に当時から人気の高かったメンバーやソロデビューやユニットデビューしたメンバーなども独断と偏見で振り返ってみたいと思います。
via twitter.com
誕生日:1968年3月17日
出身地:埼玉県
1985年、「おニャン子クラブ」会員番号4番として芸能界デビュー。1986年、ソロデビューし1990年に芸能界を一旦退く。1993年に復帰し現在に至る。