カナダ、アメリカ、日本の合作による1987年の映画「ケニー(KENNY the KID brother)」
この映画「ケニー」は、日本ユニセフ協会推薦作品で、私自身は中学生のときにこの映画を鑑賞しました。
「障害を抱えた人間が必死に生きる」というよりも、「障害にも負けず普通に生きようとする」ケニー少年の姿が、爽やかに胸を打った映画だったと憶えています。
Kenny Easterday, first scene in The Kid Brother
映画「ケニー」のあらすじ
12歳のケニー少年の家を、テレビ局が訪問
ある日、彼の家へテレビ局が取材に訪れる。感動的な家族愛の演出を好むテレビ局に対し、ケニーの家族たちは当惑気味。
祖父母のもとへ預けられていたケニーの姉シャンロンケイが登場
ケニーの幼少時、両親はケニーの世話が精一杯で、手の回りきらないシャロンケイを祖父母のもとへ預けていた。
タレントを夢見るシャロンケイはテレビに出られて大喜びで、ケニーも姉と暮らせることを喜ぶ。だが取材班が去るや、シャロンケイは家族の制止を振り切って家を出る。
姉を追いかけてヒッチハイクの旅に出るケニー
田舎町から大都会へ、生まれて初めての一人旅。初めて見るケニーの姿に驚く人々の中、ケニーの旅は続く。
ケニーとシャンロンケイの間に師弟愛が生まれる
ケニーの誕生当時、彼の世話に明け暮れる家族がシャロンケイにかまわなくなったので、彼女は家族を憎むようになり、弟を愛していながらも軋轢に耐え切れずに家を出ていた。
その言葉にケニーは衝撃を受けながらも、真意を知ったことで真の姉弟愛が生まれ、家族愛が深まるに至る。
ハンディを負いながらも健気に生きる感動ドラマとして成立する題材ながら、実際には明るい少年とごく普通に生きる家族を捉えたことで普遍性のあるファミリードラマに仕上がっていると評価されています。
カナダの映画監督クロード・ガニオンがアメリカの写真雑誌『ライフ』でのケニーの特集を読んで映画化を思い立つ
アメリカ、メキシコ、フランス、日本など計8か国から300人が参加して製作された。下半身のないままで生きるケニーの撮影には特撮は一切用いずにケニー本人が出演しており、彼の兄も兄役で実名のまま出演している。
ガニオンにとってはプロの俳優でない人物の出演による作品は本作が4作目となった。プロの俳優でない人物の出演についてガニオンは、ハリウッドスターのような役をこなすことはできないことを認めつつも、個別の作品で達成しうる演技の品質という意味では素人もプロにも違いはないと語っている。
ケニーが自ら出演した理由は、ありのままの自分を視聴者に見せることで、ハンディキャップを持つ人々を少しでも元気づけ、障害者を社会の一員として認めさせたいという気持ちからのものだが、ケニーがガニオンと親友となったことも理由の一つだった。
撮影にあたっては作為的な場面を排除し、ケニーのありのままを撮ることが心がけられており、イヌに襲われるケニー、ケニーを拒否する実姉、ケニーと家族や町の人々との交流など、日常のエピソードが忠実に再現されている。
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Amazon.co.jp: ケニー【日本語吹替版】 [VHS]: ケニー・イースタディ, クロード・ガニオン: ビデオ
ケニー・イースタディさんについて
ペンシルベニア州ビーバー郡に生まれる
出生時に脊椎が途中までしかない未発達状態で、さらに脚も細く腰のあたりで折れ曲がっていたたために、脊髄の神経が途切れていて下半身はまったく動かず、感覚すらありませんでした。
下半身がないハンディキャップを自力で克服
大きなハンディキャップを背負うこととなったケニーさんですが、下半身を欠きながらも、誰からも教わることなく2本の腕だけで上半身を支え、腕を脚代りに使って歩くことを憶えて奇跡的な成長を続けました。
通学時や外食時は、周囲の人々を脅かさないようにとの配慮から下半身を模した義足も用意され、この義足をつけて車椅子に乗ることもあったそうですが、本人は自由が束縛されるこの義足を非常に嫌がり、もっぱら義足なしで両手で動き回ることを好んだようです。
スケボーを自在に操る姿が象徴的に
ケニーは初めてスケボーに乗ったとき、まるで以前から乗っていたかのように自在に乗り回すようになり、その腕前は町の皆が舌を巻くほどでした。
スケボーを自在に操り、義足を嫌う少年ケニー。
「もし僕がなにか障害をもってるって言うんなら、それは(僕じゃなくって)この役立たずの足の方だよ」
優しくて明るくケニー少年の姿が、とても印象に残る映画でした。