2016年11月24日 更新
西日本を中心におなじみのスーパーだったニチイ!サティからイオン、ビブレへと名を変えていきましたが懐かしいのは鳩のロゴ!!
いまや全国津々浦々にまで出店しているイオン、とくに地方在住の方々にとって便利なスーパーですよね。このイオンには、いくつかのスーパーが経営統合などで合流していますが、なかでも懐かしいのが西日本を中心に広く展開していたニチイ。80年代から90年代にかけてはサティ、ビブレへの名称変更、またはマイカルタウンといった新業態にも挑戦し、いまはイオングループに合流したニチイについて、懐かしいロゴなども振り返っていきます。
サティ
ビブレ
2001年9月に経営破綻し、会社更生法の適用を受け、イオン株式会社の支援により再建されることになる。2003年にイオンの完全子会社となり、2005年12月31日に更生手続きの終結決定がなされ、再建が完了。その後はイオングループの一員となった。イオングループの一員となったことで事業再編の対象となり、その一環である総合スーパー事業の再編が決定された。
2011年3月1日、イオンリテールがマイカルを吸収合併し、同日サティとジャスコがイオンへ統一された。ニチイ時代から続いたマイカルの歴史は幕を閉じた。前日の2月28日に会社公式サイトが閉鎖された。
旧社名は株式会社ニチイであり、熱心な仏教徒であった当時の社長である西端行雄が「日本は一つ」と言う理念を社名に託し、日本衣料を略してニチイとなった。従って、ニチイ学館とは無関係。
業績好調だったワーナー・マイカル・シネマズ
1993年、日本初のシネコン「ワーナー・マイカル・シネマズ海老名」がオープン
1993年に日本初のマルチプレックスシネマとされる『ワーナー・マイカル・シネマズ海老名』(神奈川県海老名市)を開業した。商業劇場では国内初となるTHX認定を1スクリーンで取得。当時はあまり普及していなかったdtsなどのデジタル音響システムや、傾斜角の大きいスタジアムシートを導入するなど、音響の良さ、見やすさを謳っていた。また、6つ以上のスクリーンを持ちながら、入口・ロビー・映写室等を共有し、商業施設と併設するシネマコンプレックスの日本におけるオーソドックスなデザインを確立した。また、映画の本編が始まる前のCM枠で流れる劇場マナームービーや館内のグッズなどでは、ワーナー・ブラザースが製作しているバッグス・バニーを始めとするルーニー・テューンズのキャラクターとコラボレーションされており、他のシネコンとの差別化を図っていた。
創業以降、サティ(現:イオン)やビブレ等マイカルの店舗に併設されるケースがほとんどであった。しかし、マイカルの経営破綻によりイオングループに入り、イオンモールなどイオングループが運営するショッピングセンターに併設されることも増えた。一方で、多摩センターやノースポートモール(港北ニュータウン・マルイ系の運営会社)などイオングループ外のショッピングセンターに設置された例、また弘前・北上のように現在はマイカルの傘下から離れた店舗をキーテナントとするショッピングセンターに引き続き併設されている例もある。ただし、イオンが資本参画しているダイエーを核店舗とするショッピングセンターには進出していない。
2001年9月にマイカルが経営破綻した影響により、浦和[注 2]、川崎[注 3]、一関、帯広を初めとする複数の出店計画が中止となった。このため、移転を除くと2001年1月26日に開業した加古川から2004年11月12日開業のりんくう泉南まで3年以上の間、新規出店が行われなかった
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