90年代後半のTBSの歌番組といえば「うたばん」!
1996年10月からスタートしたTBS系列の音楽番組。
とんねるずの石橋貴明とSMAPの中居正広が司会を務めていた。
番組最高視聴率は2001年3月1日の宇多田ヒカル2回目の登場の回で25.0%(ビデオリサーチ調べ)。
当時は貴重で値が張ったCGを歌唱中ではなく、トーク中に多用するなどほぼトークバラエティの様相を呈していた。また、石橋貴明のゲストへの執拗なイジリも名物だった。
とんねるずの石橋貴明とSMAPの中居正広が司会を務めていた。
番組最高視聴率は2001年3月1日の宇多田ヒカル2回目の登場の回で25.0%(ビデオリサーチ調べ)。
当時は貴重で値が張ったCGを歌唱中ではなく、トーク中に多用するなどほぼトークバラエティの様相を呈していた。また、石橋貴明のゲストへの執拗なイジリも名物だった。
TBS系『ザ・ベストテン』でアーティストのミニコーナーが独立したような、歌番組とバラエティー番組をMIXさせたような比較が当初の狙いらしい。
「うたばん」を名乗ってはいるが、現在ではゲストとして招かれた歌手とのトーク・ゲームなどに強く比重が置かれ、その内容は非常にバラエティ番組的である。
また、2時間スペシャルのときはその名前が「とくばん」に変わる。関東と一部の地域では「うたばん寸前」というオマケ番組あり。
石橋にイジられまくったモーニング娘。!
モーニング娘。は「うたばん」最多出演。
石橋貴明から飯田圭織や保田圭はよくイジられていた。
石川梨華の事が「抱きしめてチューしたい」程大好きなスタッフ・化学くん(当時アシスタントプロデューサー)の暴走などもあった。
この番組のおかげでモーニング娘。が国民的アイドルに成長したという声は未だに根強い。
石橋貴明から飯田圭織や保田圭はよくイジられていた。
石川梨華の事が「抱きしめてチューしたい」程大好きなスタッフ・化学くん(当時アシスタントプロデューサー)の暴走などもあった。
この番組のおかげでモーニング娘。が国民的アイドルに成長したという声は未だに根強い。
歌真似をされたり、ジョンソンと呼ばれた飯田圭織!
デビュー当初は安倍なつみ、福田明日香に次ぐ主力メンバーの一角であったが、『抱いてHOLD ON ME!』でのソロパート「ねぇ、笑って」の部分をうたばんでイジられてからは保田にその座を明け渡すまで、うたばんネタ要因として石橋貴明にイジられるメンバーとして掛け合いを行うようになる。
それと同時に歌パートもメインから一歩引いたパートが増えるようになる。
via up.gc-img.net
「ジョンソン」の由来
歌番組『うたばん』(TBS系)にて司会の石橋貴明がデタラメにつけた呼び名に由来する。
1999年2月16日放送で、当時のグループのリーダー、中澤裕子から「貴さんはモーニング娘。のことがわかってる」と言われ、メンバー一人一人を、「中澤だろ、(石黒彩に)広田、(安倍に)山田、(市井紗耶香に)柴田、(矢口真里に)高田、(保田圭に)張本、(福田明日香に)王、(飯田に)ジョンソン」とデタラメに列挙した(柴田以降は1976年当時の読売ジャイアンツの上位打線を列挙している)。
それが大いに受けて、その後『うたばん』で飯田は「ジョンソン」と呼ばれるようになった。
ELT・伊藤一朗もイジられキャラを確立!
1996年に五十嵐充の誘いでEveryLittleThingのギタリストとして加入しデビュー。デビュー当時は元少女モデルという経験を持つボーカル持田香織の後ろでギターを弾く地味な存在だった。
ところがうたばんで石橋貴明から絶好の逸材と見なされいじられるようになってからは持田に引けを取らない存在感を徐々に現してくようになる。
次第に持田よりもピックアップされることが多くなり、ついには持田が石橋や中居正広と一緒にただの傍観者として笑うだけの存在になるほどのいじられキャラとして扱われるようになった。
この番組で石橋に気に入られたのを機にとんねるずの番組にも呼ばれるようになっている。
また、当初はファンの間でしか呼ばれてなかった愛称「いっくん」が世間に定着したのもこの番組のおかげ。
深夜0時にはライトの電源が落ちた!
よく多用した演出の一つとして、深夜0時のスタジオ消灯によるブラックアウトがある。
これは、TBSの労働組合での規定で「事前申請のない場合、深夜0時になったらスタジオのライトの電源を落とす」という取り決めがあり、これを意図的に利用した演出である。