東宝の看板女優、内藤洋子さん。アイドル女優としてデビュー以来人気を二分した酒井和歌子さんのライバル。
2015年11月10日 更新

東宝の看板女優、内藤洋子さん。アイドル女優としてデビュー以来人気を二分した酒井和歌子さんのライバル。

1966年、テレビドラマ『氷点』に主演して瞬く間にアイドル女優として一世を風靡する内藤洋子さん。彼女のデビュー作や映画『その人は昔』『伊豆の踊り子』など代表作の見所を振り返っていきましょう。

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内藤洋子 1960年代の東宝の看板女優・アイドル女優・歌手

内藤洋子

内藤洋子

内藤 洋子(ないとう ようこ、1950年5月28日 - )はかつて東宝の専属だった女優。

茨城県神栖市に生まれ、北鎌倉で育った、4人姉妹の3番目。父は開業医、伯母はダンサーの和田妙子。
鎌倉市立御成小学校5年生の時に学校へエースコックのワンタンメンのCM撮影隊が訪れ、その事がきっかけで雑誌『りぼん』のモデルを始めるようになり、北鎌倉女子学園在学中の1965年、黒澤明監督の『赤ひげ』の「まさえ」役でデビューする(黒澤の長女黒澤和子が『りぼん』を定期購読していた。黒澤は表紙のモデルをしていた彼女に目を付け、オーディションを受けるよう勧めたのがきっかけである。最終選考に残ったもう一人が酒井和歌子。黒澤は最後までどちらにするか迷い、チーフ助監督など主要スタッフ数人の投票で決めようとしたものの、同数であったために決められなかった。最終的には二人の写真を長男の黒澤久雄に見せた結果、久雄の選んだ内藤に決めた)。

翌1966年、テレビドラマ『氷点』に主演、また、恩地日出夫監督の『あこがれ』に主演し、ゴールデン・アロー賞などを獲得、瞬く間にアイドルとして一世を風靡する。

歌手としても活躍し、松山善三監督の『その人は昔』(1967年)の挿入歌、「白馬のルンナ」は50万枚の大ヒットとなった(娘の喜多嶋舞がTBS系「クイズダービー」にゲスト出演した際(第774回、1991年2月9日放送分)に歌詞問題で使われた。しかし舞は指名されたものの不正解だった)。

やがてテレビドラマ『氷点』が高視聴率を続けたことで遊覧コースとして観光バスが自宅前を通過する程の事態となる(『あちらに見えますのはドラマ『氷点』で陽子を演じている内藤洋子さんのご自宅でございます』)。

その後も『伊豆の踊り子』、『年ごろ』、『地獄変』などの作品に出演し人気を博した。一つ年上の酒井和歌子と同時に青春スターとして東宝は売り出しを図っていたが、内藤洋子の方が売れるのが早かった。しかし、1969年に差し掛かると酒井和歌子へアイドルとしての人気は逆転する。

1970年に音楽家の喜多嶋修と結婚して芸能界を完全引退した。
女優の喜多嶋舞は長女。舞が二歳の頃(1974年頃)、家族共々アメリカ・カリフォルニア州に移住した。喜多嶋との間には舞のほか渡米後に出生した長男と次女がいる。
その後は喜多嶋洋子(きたじま・ようこ)として絵本などを発表している他、時折テレビにも出演している。
(出典:Wikipedia)
内藤洋子さんの長女は女優の喜多嶋舞。現在は、喜多嶋洋子...

内藤洋子さんの長女は女優の喜多嶋舞。現在は、喜多嶋洋子(きたじま・ようこ)として絵本などを発表している他、時折テレビにも出演している。

黒澤明の娘が少女雑誌「りぼん」の定期購読者で、黒澤が表...

黒澤明の娘が少女雑誌「りぼん」の定期購読者で、黒澤が表紙モデルの内藤洋子に目を付けたのが「赤ひげ」出演のきっかけだったとか。

黒澤明監督の映画「赤ひげ」(1965年)の「まさえ」役でデビューする

黒澤明監督の映画「赤ひげ」(1965年)の「まさえ」役...

黒澤明監督の映画「赤ひげ」(1965年)の「まさえ」役でデビュー

『赤ひげ』(あかひげ)は、1965年(昭和40年)4月3日に東宝が封切り公開した日本映画である。
監督は黒澤明。『姿三四郎』以来24本目の作品。185分、白黒、東宝スコープ作品。

江戸時代後期の享保の改革で徳川幕府が設立した小石川養生所を舞台に、文政年間の頃にそこに集まった貧しく病む者とそこで懸命に治療する医者との交流を描く。決して社会に対する怒りを忘れない老医師の赤ひげと、長崎帰りの蘭学医である若い医師との師弟の物語を通して、成長していく若い医師と底辺で生きる人々の温かい人間愛を謳いあげた映画である。

黒澤ヒューマニズム映画の頂点ともいえる名作とされ、国内のみならず、海外でもヴェネツィア国際映画祭サン・ジョルジュ賞などを受賞した。
(出典:Wikipedia)
小石川養生所の新米医師「保本登」(演:加山雄三)の元許...

小石川養生所の新米医師「保本登」(演:加山雄三)の元許嫁「天野ちぐさ」(演:藤山陽子)の妹「まさえ」役を初々しく演じている。

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「保本登」は成長し、自分を裏切った「天野ちぐさ」(演:藤山陽子)を許し、妹「まさえ」と結婚する

「保本登(演:加山雄三)」は、「ちぐさ(演:藤山陽子)...

「保本登(演:加山雄三)」は、「ちぐさ(演:藤山陽子)」の妹である「まさえ(演:内藤洋子)」と夫婦になる

テレビドラマ『氷点』(1966年)「辻口陽子」役 内藤洋子 当時15歳

テレビドラマ『氷点』(1966年)辻口陽子(演:内藤洋子)

テレビドラマ『氷点』(1966年)辻口陽子(演:内藤洋子)

1966年1月23日 - 4月17日、NETテレビ(現:テレビ朝日)で連続ドラマ化(2006年11月8日からCS放送のテレ朝チャンネルで再放送)。放送時間(日本時間)は毎週日曜22:00 - 23:00。出演は新珠三千代、内藤洋子、芦田伸介、市原悦子、田村高廣、北村和夫。

新珠三千代が継子・陽子いじめの悪女・夏枝を演じ演技派女優としての評価を高めた。徹役を務めた岸田森が、この作品でTV本格デビュー。最終回の視聴率が42.7%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)という大ヒット作となった。

北海道では、当時北海道テレビ放送が未開局(1966年当時の既存局は北海道放送と札幌テレビ放送の2局のみ)のため、本来の放送時間帯とは異なる日曜日の昼過ぎの放送だったが、非常な人気を博し、その時間帯には目に見えて外出する人が少ないとさえ言われた。
(出典:Wikipedia)
内藤洋子の「氷点」

内藤洋子の「氷点」

『氷点』(ひょうてん)は、クリスチャン作家三浦綾子の小説。『朝日新聞』朝刊に1964年12月9日から1965年11月14日まで連載され、続編の『続氷点』が1970年5月12日から1971年5月10日まで連載された。なお、挿絵は福田豊四郎が担当した。
1963年に朝日新聞社が、大阪本社創刊85年、東京本社創刊75周年を記念する事業として懸賞小説を募集した時の入選作品である。賞金は当時としては破格の1千万円であり、募集要領には「既成の作家、無名の新人を問わない」とあったが、実際に無名であった三浦の作品が入選したことは大きな話題となった。連載終了直後の1966年にテレビドラマ化および映画化され、以降繰り返し映像化されている。

継母による継子いじめ、義理の兄妹間の恋愛感情などの大衆的な要素を持つ一方、キリスト教の概念である「原罪」が重要なテーマとして物語の背景にある。続編のテーマは罪に対する「ゆるし」であり、これらのテーマには三浦の宗教的な立場が色濃く反映されている。
(出典:Wikipedia)
夏枝に虐められながらも、純粋に育った陽子

夏枝に虐められながらも、純粋に育った陽子

(『氷点』)昭和21年(1946年)、旭川市在住の医師辻口啓造は、妻の夏枝が村井靖夫と密会中に、佐石土雄によって3歳の娘ルリ子を殺される不幸に遭う。啓造は夏枝を詰問することもできず、内に妬心を秘める。ルリ子の代わりに女の子が欲しいとねだる夏枝に対し、啓造はそれとは知らせずに殺人犯佐石の娘とされる幼い女の子を引き取る。女の子は陽子と名付けられ、夏枝の愛情を受けて明るく素直に育つ。

陽子が小学1年生になったある日、夏枝は書斎で啓造の書きかけの手紙を見付け、その内容から陽子が佐石の娘であることを知る。夏枝は陽子の首に手をかけるが、かろうじて思いとどまる。しかし、もはや陽子に素直な愛情を注ぐことが出来なくなり、給食費を渡さない、答辞を書いた奉書紙を白紙に擦り替えるなどの意地悪をするようになる。

一方の陽子は、自分が辻口夫妻の実の娘ではないことを悟り、心に傷を負いながらも明るく生きようとする。
辻口夫妻の実の息子である徹は、常々父母の妹に対する態度を不審に思っていたところ、両親の言い争いから事の経緯を知る。両親に対するわだかまりを持ちつつ、徹は陽子を幸せにしたいと願う。

その気持ちは次第に異性に対するそれへと膨らむが、陽子のために自分は兄であり続けるべきだという考えから、大学の友人である北原邦雄を陽子に紹介する。
陽子と北原は互いに好意を持ち、文通などで順調に交際を進める。しかし、陽子が高校2年生の冬、夏枝は陽子の出自を本人と北原に向かって暴露し、陽子は翌朝自殺を図る。その騒動の中、陽子の本当の出自が明らかになる。

表題の「氷点」は、何があっても前向きに生きようとする陽子の心がついに凍った瞬間を表している。その原因は、単に継母にひどい仕打ちを受けたという表面的なものではなく、人間が生まれながらにして持つ「原罪」に気付いたことであると解釈される。
(出典:Wikipedia)
陽子は中学の卒業式で総代として答辞を読むことになるが・・・

陽子は中学の卒業式で総代として答辞を読むことになるが・・・

陽子は中学の卒業式で総代として答辞を読むことになるが、夏枝はその原稿を白紙にすり替える。一瞬、壇上で動揺する陽子だが「世の中には思いも寄らぬ出来事がある。どんなに意地悪をされても笑って生き抜く勇気を持ち続けたい」と語り、絶賛を浴びる。

恩地日出夫監督の映画「あこがれ」(1966年)に「西沢信子」役で出演、ゴールデン・アロー賞などを獲得

内藤洋子さんは、恩地日出夫監督の映画「あこがれ」にヒロ...

内藤洋子さんは、恩地日出夫監督の映画「あこがれ」にヒロインの西沢信子として出演し、ゴールデン・アロー賞などを獲得、瞬く間にアイドルとして一世を風靡する。

映画「あこがれ」(1966)のストーリー

映画「あこがれ」(1966)のストーリー

母親が再婚するため「あかつき子供園」に預けられた一郎は、平塚の老舗でセトモノ屋の吉岡家に貰われ、立派な若旦那に成長した。しかも、“貰い子”とも思われないような親子仲の良い家庭で、両親は一郎の嫁探しで懸命であった。

一郎が十九歳になった信子と再会したのは、ちょうど、このような時期であった。信子も「あかつき子供園」の出身で、一郎とは特に仲の良い子供であった。幼い頃を懐しむ二人は、子供園を訪れ、二人の親代りともいうべき先生水原園子に逢い、楽しい一時を持った。信子には酒飲みの父親恒吉がいて、信子の勤め先に現われては前借りをして行くので信子は勤め先を転々と変り、いま平塚に流れて来たということだった。

毎日のように逢う二人はいつしか愛し合うようになった。しかも一郎は、信子との結婚を決意、そのことを両親に打開けた。この一郎の話は父親の怒りを買った。それを知った信子は、一郎の家庭を思い、勤め先を平塚から横浜に変え、一郎のもとを去った。

一郎の悩む姿に母親は“もう一人の子供が出来たと思えばいいじやないですか”と父親をといた。そんな時「あかつき子供園」に一郎の生みの母親すえが訪ねて来た。再婚した先の家族と共にブラジル移民で出発することを告げに来たのだ。園子からこの知らせを聞いた一郎の両親は、逢うことを遠慮する一郎に“生みの親に逢いたくないなんて人間じゃない”と励まし、一郎を横浜大桟橋へ送り出してやるのだった。

園子はまた横浜にいる信子にもこの事を知らせた。出発間際の桟橋で、一郎はやっと船の上から一郎を探すすえを見つけた。“一郎ッ”“お母さん”と呼び合う親子を包むテープの嵐--そこへ信子も園子先生もかけつけた。

(出典:(c)キネマ旬報社「あこがれ(1966)」)
映画「あこがれ」(1966年)西沢信子(演:内藤洋子)...

映画「あこがれ」(1966年)西沢信子(演:内藤洋子)撮影現場の写真

映画『伊豆の踊り子』1967年 薫(踊子):内藤洋子

伊豆の踊子(1967年)薫(踊子):内藤洋子

伊豆の踊子(1967年)薫(踊子):内藤洋子

『伊豆の踊子』(いずのおどりこ)は、1967年(昭和42年)制作の日本映画。川端康成の同名小説の5度目の映画化作品である。主演は内藤洋子と黒沢年男。

『伊豆の踊子』(いずのおどりこ)は、川端康成の短編小説。川端の初期の代表的作品で、19歳の川端が伊豆に旅した時の実体験を元にしている。

孤独や憂鬱な気分から逃れるために伊豆へ一人旅に出た青年が、湯ヶ島、天城峠を越えて下田に向かう旅芸人一座と道連れとなり、踊子の少女に淡い恋心を抱く旅情と哀歓の物語。孤児根性に歪んでいた青年の自我の悩みや感傷が、素朴で清純無垢な踊子の心によって解きほぐされていく過程と、彼女との悲しい別れまでが描かれている。

「伊豆の踊子」のあらすじ
20歳の一高生の「私」は、自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に堪え切れず、一人伊豆への旅に出る。「私」は道中で出会った旅芸人一座の一人の踊子に惹かれ、彼らと一緒に下田まで旅することになった。一行を率いているのは踊子の兄で、大島から来た彼らは家族で旅芸人をしていた。「私」は彼らと素性の違いを気にすることなく生身の人間同士の交流をし、人の温かさを肌で感じた。そして踊子が「私」に寄せる無垢で純情な心からも、「私」は悩んでいた孤児根性から抜け出せると感じた。

下田へ着き、「私」は踊子やその兄嫁らを活動(映画)に連れて行こうとするが、踊子一人しか都合がつかなくなると、踊子は母親から活動行きを反対された。明日、東京へ帰らなければならない「私」は、夜一人だけで活動へ行った。暗い町で遠くから微かに踊子の叩く太鼓の音が聞えてくるようで、わけもなく涙がぽたぽた落ちた。

別れの旅立ちの日、昨晩遅く寝た女たちを置いて、踊子の兄だけが「私」を乗船場まで送りに来た。乗船場へ近づくと、海際に踊子がうずくまって「私」を待っていた。二人だけになった間、踊子はただ「私」の言葉にうなずくばかりで一言もなかった。「私」が船に乗り込もうと振り返った時、踊子はさよならを言おうしたようだが、もう一度うなずいて見せただけだった。船がずっと遠ざかってから踊子が艀で白いものを振り始めた。

「私」は伊豆半島の南端がうしろに消えてゆくまで、ずっと沖の大島を一心に眺めていた。船室で横にいた少年の親切を「私」は自然に受け入れられるような気持になり、泣いているのを見られても平気で、涙を出るに委せていた。「私」の頭は澄んだ水のようになって、それがぽろぽろと零れ、その後には何も残らないような甘い快さだった。
(出典:Wikipedia)
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