フライデーナイト
Arabesque - Friday Night (1978)
via www.youtube.com
個人的にも好きな曲でした。
オリジナルアルバム
『アラベスク・ファースト』 - Friday Night (1978.12.5)(日・独ともに1st)
『ペパーミント・ジャック』 - City Cats (1979.10.25)(日・独とも2nd)
『ハイ・ライフ』 - Marigot Bay (1980.5.21)(日・独とも3rd)
『さわやかメイク・ラブ』 - Arabesque IV (1980.12.5)(日本4th)
『ビリーズ・バーベキュー』 - Arabesque V (1981.8.21)(日本5th)
In For A Penny (1981)(独4th。日本盤『さわやかメイク・ラブ』『ビリーズ・バーベキュー』からの編集盤。ドイツでの最後のオリジナルアルバム)
『キャバレーロに夢中』 - Caballero (1982.4)(日本6th) *裏ジャケにキーボード:マイケル・クレテュ、ギター:マッツ・ビョークランド(「ザンジバル」、「シークレット・ランド/サンドラ」共作者)の記載
『愛のリプライ』 - Why No Reply : Arabesque VII (1982.12)(日本7th)
『恋のルーザー』 - Arabesque VIII (1983.12)(日本8th)
『恋はナイト・アンド・デイ』 - Time To Say 'Good-Bye' (1984.12.16)(日本9th。ラスト・アルバム)
『ペパーミント・ジャック』 - City Cats (1979.10.25)(日・独とも2nd)
『ハイ・ライフ』 - Marigot Bay (1980.5.21)(日・独とも3rd)
『さわやかメイク・ラブ』 - Arabesque IV (1980.12.5)(日本4th)
『ビリーズ・バーベキュー』 - Arabesque V (1981.8.21)(日本5th)
In For A Penny (1981)(独4th。日本盤『さわやかメイク・ラブ』『ビリーズ・バーベキュー』からの編集盤。ドイツでの最後のオリジナルアルバム)
『キャバレーロに夢中』 - Caballero (1982.4)(日本6th) *裏ジャケにキーボード:マイケル・クレテュ、ギター:マッツ・ビョークランド(「ザンジバル」、「シークレット・ランド/サンドラ」共作者)の記載
『愛のリプライ』 - Why No Reply : Arabesque VII (1982.12)(日本7th)
『恋のルーザー』 - Arabesque VIII (1983.12)(日本8th)
『恋はナイト・アンド・デイ』 - Time To Say 'Good-Bye' (1984.12.16)(日本9th。ラスト・アルバム)
旧メンバー
カレン
via www6.plala.or.jp
結成時のメンバーの一人。1953年9月11日、ロンドン生まれのイギリス人です。オッフェンバッハという年で開催されたソング・コンテストで優勝したところをウォルフガング・メーベスらに見出されてアラベスク加入となった。4thシングル「今夜もロック・ミー」までは在籍していました。ファースト・アルバムには、アラベスクの活動と平行して学校の先生をしていると書かれていましたが実際のところはわかりません。
メリー
via www6.plala.or.jp
結成時のメンバーの一人。ドイツ人で、ソロ・ボーカリストの経験を持っているとのこと。ファースト・アルバムリリースの時点で脱退しました。
ハイク
via www6.plala.or.jp
1959年4月17日生まれのドイツ人。ファースト・アルバムのリリースの時点で、メリー・アンに代わり加入したメンバー。4thシングル「今夜もロック・ミー」までは在籍していましたが、5thシングル「ペパーミント・ジャック」リリース前に脱退しました。
エルケ
via www6.plala.or.jp
何と!アラベスクにもう一人のメンバーがいた!!!
日本でリリースされたレコードなどのライナーには彼女についてまったく触れていません。彼女は西ドイツでいくつかのバンドのボーカリストとして活動しているところをアラベスクのプロデューサーのヴォルフガング・メーヴェスに見出され、'79年までの約半年間、在籍しました。しかし、「自分はカントリーを歌いたいんだ」と気づき脱退。
日本でリリースされたレコードなどのライナーには彼女についてまったく触れていません。彼女は西ドイツでいくつかのバンドのボーカリストとして活動しているところをアラベスクのプロデューサーのヴォルフガング・メーヴェスに見出され、'79年までの約半年間、在籍しました。しかし、「自分はカントリーを歌いたいんだ」と気づき脱退。
まる 2021/2/27 14:24
日本だけでなく、一応ロシアや韓国でも人気あったようですよ。
ロシアなんかでは再結成アラベスクを招いてライブまで開催してるくらいですから、経済規模で負けてるだけで、ある意味日本より人気あった(ある)んじゃないでしょうか。
ENIGMATICA 2017/11/19 08:03
ここには記載されていないけど、サンドラは後に「Return To Innosence」や、映画「硝子の塔」のサウンドトラックに提供した「Age Of Loneliness (カーリーの歌)」等のヒットで知られる「ENIGMA」の中心人物であるマイケル・クレトゥ(Michael Cretu)と結婚し一男一女を儲けイビザ島に移住、ENIGMAのアルバム数作に参加したが、後に離婚している。このくらい書いておいてほしいんだけどなぁ。