劇場版「ルパン三世」といえば、まず宮崎駿監督のカリオストロの城を挙げる人が多いと思います。
カリオストロは劇場版としては2作目に位置していて、1978年の一作目「ルパン三世」、1979年「ルパン三世 カリオストロの城」 、1985年「ルパン三世 バビロンの黄金伝説」、1987年「ルパン三世 風魔一族の陰謀」、1995年「ルパン三世 くたばれ!ノストラダムス」、1996年「ルパン三世 DEAD or ALIVE」と6作が続き、2010年代にスピンオフ数作を経て2019年末に第7作となる「ルパン三世 THE FIRST」が公開予定となっています。
また、それとは別に毎年のようにテレビスペシャルが放送され続けています。
カリオストロは劇場版としては2作目に位置していて、1978年の一作目「ルパン三世」、1979年「ルパン三世 カリオストロの城」 、1985年「ルパン三世 バビロンの黄金伝説」、1987年「ルパン三世 風魔一族の陰謀」、1995年「ルパン三世 くたばれ!ノストラダムス」、1996年「ルパン三世 DEAD or ALIVE」と6作が続き、2010年代にスピンオフ数作を経て2019年末に第7作となる「ルパン三世 THE FIRST」が公開予定となっています。
また、それとは別に毎年のようにテレビスペシャルが放送され続けています。
幻に終わった「ルパン三世 完結篇」(押井版ルパン三世)
1985年に公開された「ルパン三世 バビロンの黄金伝説」ですが、実は押井守監督による「ルパン三世 完結篇」の企画が途中で中止になるという経緯がありました。もし実現していたら「完結篇」と銘打たれていたため、後のシリーズ展開はまったく違ったものになったかもしれません。
※「ルパン三世 バビロンの黄金伝説」監督は鈴木清順、吉田しげつぐ
※「ルパン三世 バビロンの黄金伝説」監督は鈴木清順、吉田しげつぐ
劇場版第3作は当初、宮崎駿に監督依頼がなされた
【本編プレビュー】ルパン三世 カリオストロの城 |"LUPIN THE 3RD: THE CASTLE OF CAGLIOSTRO"(1979)
via www.youtube.com
宮崎アニメ映画のなかでも、人気が高い作品として挙げられることが多いカリオストロの城。
79年の放映当初はさほどの興行成績を残しませんでいたが、スタジオジブリ初期作品同様、金曜ロードショーでの再放送のたびに高視聴率を叩き出し、後には日本アニメーションの金字塔的作品となります。
「ルパン三世」第3作の製作が決定した際、最初に監督として打診されたのは宮崎駿でした。
79年の放映当初はさほどの興行成績を残しませんでいたが、スタジオジブリ初期作品同様、金曜ロードショーでの再放送のたびに高視聴率を叩き出し、後には日本アニメーションの金字塔的作品となります。
「ルパン三世」第3作の製作が決定した際、最初に監督として打診されたのは宮崎駿でした。
宮崎駿が押井守を監督推薦
前述のとおり、79年当時はさほどの興収とならなかったカリオストロの城ですが、84年時点ではテレビ放映からすでに大人気のルパン作品となっており、また同年に宮崎駿監督は「風の谷のナウシカ」をヒットさせています。
この時期に打診されたルパン新作を宮崎駿監督は断り、当時自分の事務所に居候していた押井守監督を推薦します。ちなみにこの時期の押井監督は、すでに「うる星やつら」テレビシリーズのチーフディレクターで「視聴率男」の異名をとり、83年「うる星やつら オンリー・ユー」で劇場映画監督デビュー。84年には「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」を放映した後にフリーだった時期です。つまり、アニメーション映画の監督としてすでにその名が知られたなかでの「ルパン三世」第3作監督への登板でした。
この時期に打診されたルパン新作を宮崎駿監督は断り、当時自分の事務所に居候していた押井守監督を推薦します。ちなみにこの時期の押井監督は、すでに「うる星やつら」テレビシリーズのチーフディレクターで「視聴率男」の異名をとり、83年「うる星やつら オンリー・ユー」で劇場映画監督デビュー。84年には「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」を放映した後にフリーだった時期です。つまり、アニメーション映画の監督としてすでにその名が知られたなかでの「ルパン三世」第3作監督への登板でした。
キャッチコピーは「世紀末、彼は時代を盗んだ」
実家の納戸から掘り出した物その14。アニメージュ84年10月号より押井ルパンの総力特集。押井守はともかく、今考えると、後ろに宮崎駿と大塚康生が控えているのを見て、これは頓挫して良かったように思える。 pic.twitter.com/pVokCw30w1
— まつもと🇫🇷 (@matsuwitter) March 29, 2018
当時(84年10月)のアニメージュには押井監督によるルパン三世の総力特集が掲載されています。押井守、宮崎駿、大塚康生による座談会では「過去の作品のとらわれず、自分の好きなように作れ」との激励が。
ところが…
ところが…
その準備稿があまりに実験的であったため、その内容を危惧した制作側が押井を降板させ、TV版スタッフから吉田しげつぐが新たに監督として参加し、さらには映画監督の鈴木清順(TV第2シリーズ監修、『PARTIII』第13話「悪のり変装曲」脚本)を共同監督に迎え、TVシリーズのスタッフを移行させて制作したという経緯がある。
「ルパン三世の映画でありながら、ルパンを否定する」あるいは「世界中にもう盗むモノが無くなり、怪盗としてのアイデンティティを喪失したルパン」な作品にしようとしたとされる押井守監督と、前作「カリオストロ」のイメージを持つ制作サイドが相容れず、押井守監督は企画途中で降板することとなりました。
押井の脚本では「ルパンは存在しなかった」という結末が提示されており、子供も楽しめる娯楽作品であるべきと考える読売テレビと東宝のプロデューサーは、「訳が判らん」「理屈っぽい」と強固に反対した。
別のストーリーを求められたが、押井守は『ルパン三世』をやるとしたら当初提示した案しか考えられないというスタンスだったため、これにより押井が『ルパン三世』を監督するという企画は潰えた。
押井が脚本段階で降板したため、作画作業には入っておらず、集められたアニメーターは1カットも描かないまま解散した。この企画の頓挫によって、それまで組んで仕事をしていた何人かのスタッフを押井は失う結果となった。押井にとって自信があった企画だけに、しばらく立ち直れないくらいショックだったという。後に押井は『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の成功で調子に乗っていて、甘かったと回想している。
押井が降板までに半年を費やしたため、『ルパン三世 PartIII』のスタッフを中心とした新たなスタッフで残された短い制作期間の中、劇場作品を完成させた。それが『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』である。
宮崎駿監督や押井守監督の考えではルパン三世はすでに「カリオストロの城」で終わっており、もしも押井ルパンが実現していた場合には、以後の続編が作られなかったのかもしれませんね。
商業的にどうだったのか、など幻に終わった理由は色々と考えられそうですね。
商業的にどうだったのか、など幻に終わった理由は色々と考えられそうですね。