冒険的な番組だったEXテレビ
2017年1月19日 更新

冒険的な番組だったEXテレビ

90年代初めに放送されていた日本テレビ・読売テレビ系「EXテレビ」を覚えていますか?かなり実験的なコーナーも多く、先進的な番組でした。深夜番組に、あえてエロを排除したのも冒険の一つ。そこで、ここでは「冒険的な番組だったEXテレビ」をプレイバックしていきましょう!

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冒険的な番組だったEXテレビ

90年代初めに放送されていた日本テレビ・読売テレビ系「EXテレビ」を覚えていますか?かなり実験的なコーナーも多く、先進的な番組でした。深夜番組に、あえてエロを排除したのも冒険の一つ。そこで、ここでは「冒険的な番組だったEXテレビ」をプレイバックしていきましょう!
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月・水・金は日本テレビ制作!火・木は読売テレビ制作!

1週間の帯番組ながら、月・水・金は三宅裕司MCのトレンド・時事ニュースを日本テレビ制作で、火・木は上岡龍太郎MCで、『テレビ論』を中心に、様々な実験企画が行われた。
【出演者】
月曜
三宅裕司
南美希子
村田昭治(慶應義塾大学教授)

火曜
上岡龍太郎
島田紳助

水曜
三宅裕司
舛添要一(国際政治学者。後の厚生労働大臣、現・東京都知事)
森口博子→大島智子

木曜
上岡龍太郎

金曜
三宅裕司
森脇健児→ルー大柴
西村知美→鷹西美佳(日本テレビアナウンサー)→薮本雅子(同)

【内容】
月曜
最新トレンドを掘り下げる。役回りとしては流行に疎い三宅を南が引っ張るというもの。ナレーションを武田広と後の金曜担当の鷹西が務めた。途中よりランキングで紹介する「今週のヒットパレード」コーナー(トレンドランキング)が登場。最初の頃は番組前半の1コーナーで、後に1時間丸々行うメインコーナーに昇格した。また、番組の途中には天気予報のコーナーがあった。

火曜
上岡と紳助の司会進行。基本的に『テレビ論』がテーマだった。途中、『NEWS・EXTV』のコーナーがあり、上岡がニュースキャスターを務めていた。さまざまな実験企画が放送され、世間でEXテレビというと、火曜日の企画を指すのが一般的だった。ここで生まれた企画は2006年10月時点で放送されている自局の番組や特番で残っているものも多い。また企画自体が他局に売りに出されたケースがあり、テレビ東京が落札した『開運!なんでも鑑定団』は2015年現在でも放送が続いている。

水曜
三宅が時事問題を斬るコンセプトでスタート。内容も硬派で視聴者との電話による討論(ディベート)などが行われていた。その後内容を変更。風俗や社会現象を紹介したり豪華ゲストを迎えてのトークなどの砕けた内容となった。

木曜
上岡が『テレビ論』をテーマに、毎回異なる企画を放送した。立川談志、山城新伍らを迎えてのトリプル司会構成での放送(月1回)、さらに大島渚、野坂昭如、小田実らを加えて7人でトークを行う日(月2回、前編と後編に分けて2週連続で放送)、その他単発企画(月1 - 2回)を放送。ただし、トリプル司会構成の初回は、EX Osaka最初の放送である火曜だった。
2代目桂枝雀をゲストに招いて『緊張の緩和』をはじめとする落語・笑いの理論をインタビューしたことがある。この回は、後に上岡のスケジュールの都合で収録本数が足りなくなってしまった際に、同じ放送時間枠で再放送されたことがある。なお、再放送時の新聞のテレビ欄には、視聴者を引き付けるために実際には放送されないエッチな内容の企画をわざと掲載するという工作を行い、翌週の放送で上岡がそれを釈明しバラしていた。
仲のいい芸人を楽屋に呼ぶ形で『楽屋トーク』を中継したこともある。この企画のときは、楽屋の監視カメラで撮影されたため、モノクロ画像で放送されていた。ただし、画面の隅には色付きの「EX Osaka」のロゴが挿入されていた。複数のパネラーを迎えて『笑い』、『吉本新喜劇』、『その時代の出来事』などを厳しく議論することもあり、特に上岡が嫌悪する『占い』、『オカルト』などの批判もあった。その他、初回放送では上岡1人を残し、無人のスタジオで上岡が1時間すべてトークでつないだり、CMを番組の前後に集中して放送し、まるまる談志の落語をノンストップで行った回など、異色の企画が多かった。

金曜
内容はバラエティー。中継リポーターとしてルーが出演。彼は後に森脇に代わってスタジオ出演となる。番組内で時折見せる海パンダンスは金曜日の代名詞となった。常連ゲストに作家の志茂田景樹がいた。合間には日産の生CMコーナーがあった。名物企画には当時のテレビCMに出演している無名タレントにスポットを当てたクイズ大会などがあった。
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特に火曜日は冒険的な企画ばかりだった

クイズ1人しか言いませんでした

当時TBSで放送されていた人気クイズ番組『クイズ100人に聞きました』にヒントを得たパロディ企画。有名人の「名字、(名字でないほうの)名前、漢字、部首などで連想される有名人は?」という質問を100人にアンケートを取り、1人しか答えなかった有名人を当てるというクイズ。通常は東京50人、大阪50人へのアンケートで、問題によっては東京、大阪どちらか100人だった。例あば、「なかむら」と言えば?・・・中村主水、など、歴史上の人物や漫画を含む創作物の登場人物も可とされた。
正解すると20点加算され、不正解の場合は人数分の減点となる。0人の場合は「ドボン」となり-10点。ある時期より、最初からドボンを狙った解答もしくは空欄解答については40点減点する旨紳助より警告があった。企画後期には、解答時に1回だけ使用することができ、正解すれば2倍の40点加算になるが、不正解時のマイナスも2倍になる「勝負帽」が導入された。なお、使用せずに終わると50点の減点となった。1点 = 1000円のレートで賞金額が決まる(ということになっていた)。企画初期の段階では正解時の加算が10点だったが、レートが厳しすぎて獲得賞金がマイナスで終了する解答者が相次ぎ、結果テレビ局が儲かるケースがほとんどだった。番組内でも本当に罰金額を没収するという発言をしており、ひどい時には10万円以上もの没収を食らうゲスト解答者もいた。後に「企画自体が賭博行為に当たるのではないか」と大阪府警から指摘を受けたというエピソードが番組内のトークで明かされ、それ以降は番組内では1点あたりの金額を言わず「(缶飲料の)ウーロン茶○本分」という単位をよく使っていた。これ以降、正解時の加算が20点とされた。
なお、このコーナーでジミー大西は珍回答をするたびに司会の紳助に「ジミーちゃんパンチ!」とよく頭を殴られたり、裸にされたりするなどひどい目にあっていた。裸にされた理由は、放送途中で持ち点がなくなってしまい、衣装を形に得点を借りてゲームを続行したためである。
この企画は『スーパークイズスペシャル』でも、紳助の司会で出題された。
当初は100人に聞いても1人も答えなかった有名人を当てるクイズで、タイトルも「クイズ100人が言いませんでした」だったが、あまりにも解答がマニアックになってしまったために変更された。当初は「山口さんちのツトム君」など、後に可とされた創作物の登場人物は無効とされて結果発表が出る前に減点の対象となった。なお、上岡に無効判定された「山口さんちのツトム君」は10人の回答があり、結局は10点のみの減点となっている。なお、本家である『クイズ100人に聞きました』の最終回は1992年9月28日であり、この企画はその直前の1992年9月22日にスタートしている。
2015年6月26日に『クイズ!オンリーワン』として、復活版が放送された。

抱かれてみたいのはどっち!?

毎回ゲスト1人が、5つのジャンルに各5人の有名人と「抱かれてみたいのはどっち?」という質問で対戦。東京と大阪各10人・計20人にアンケート調査を行う。それぞれのジャンルの各5人に1 - 5倍のオッズがつけられ、ゲストの獲得票×オッズが得点となる。
毎回、上岡チームと紳助チームに分かれて対戦する。もともとは、「涙もろそうなのはどっち?」「字がうまそうのはどっち?」など、上岡と紳助の2人のうち「○○してそうなのはどっち?」という形式の質問を、ひとつの質問につき20人に街頭インタビューを行い、どっちが多かったかを予想する企画が放送されたのが原型。
上岡vs紳助の対決ではバリエーションが少ないと出演者自身が提案をした事により、質問内容により、上岡vs板東、紳助vsさんまなど、対戦相手を変えて調査を行った。この時に紳助vs柳葉で「抱かれてみたいのはどっち?」という調査を行った。スタッフはシャレのつもりでアンケートを行い、放送本番前から紳助に対して「最後でキレると思いますよ」と予告していた。結果は19vs1で紳助の惨敗で、紳助はスタッフに対して「いきなり強敵と対戦させるな。どうせなら広いジャンルの人物と対戦させてくれ」と言い出して「抱かれてみたいのはどっち?」の単独の企画が始まった。
最初の2回は紳助、上岡がそれぞれ自らの得票数を競う方式で放送された。参考データとして公開した「西川のりおvs○○」の数値でのりおの獲得票があまりにも少なかったため、ゲストを招いて対決するコーナーへと発展した。この企画は後に、数人のタレントがクイズ形式で予想する『抱かれてみたいのはグランプリ』へと形を変えていった。なお、この企画は同じ読売テレビ制作で紳助が司会の『芸恋リアル』へと引き継がれていった。

春(秋)の新番組ダービー

春・秋の番組改編期に行われる企画。視聴者は、新番組の中で最も早く打ち切られる番組をハガキで予想し、的中者の中から抽選で1名に高額賞金がもらえるというものだった。
最初の頃は、上岡と紳助が番組ごとに賞金を決定していた。後に、大島渚、山藤章二、西川のりおなどの著名人8人が加わり、打ち切りと予想した人数に応じて賞金が決定された。ちなみに、当時の人気番組となる『きよし・徹のあなたが主役』や『マジカル頭脳パワー!!』や『愛ラブSMAP』などは早く打ち切られる上位に予想していた。正解率は高くなかった。この類の企画は後にやしきたかじんがメインの番組で行われている。

低俗の限界

前半はスタジオに数名のヌードモデルが立っていたり、横たわっていたりする中でトークを繰り広げ、後半は上岡と紳助の2人がソファーに腰掛けて真面目なトークを展開する企画。2人の頭を挟むように全裸の女性が座っていて、ちょうど2人の頭が女性の股間を隠すような位置に来るように設定されており、不用意に頭を動かすと女性の局部が露出してしまうことから、2人が頭を動かさないようにしながら様々な行動を取る様子が奇妙な笑いを生んだ。
また、CM前には有名クイズ・ゲーム番組を下ネタにアレンジしたパロディ企画が放送された。ちなみに、この企画が初めて放送された回に、EXテレビ史上最高となる、平均12%、瞬間最高で16%の視聴率を叩き出した。しかし、初回の放送時に300本を超える苦情電話が殺到する事態となるなどし、合計2回の放送にとどまった。
2回目の放送にはルポライターの竹中労がゲスト出演、硬派なトークを上岡と紳助と繰り広げたがこの時も3人の頭を挟むように全裸の女性が座っていた。また、この回がそれまでの生放送では対応できないとのことからVTR収録となった。

EXテレビ Osaka 「抱かれてみたいのはどっち?松崎しげる編」1992年 - YouTube

EXテレビ大阪 クイズロシアンルーレット全員が解答者 - YouTube

死について考える

EXosakaでは、「低俗の限界」を筆頭に、ゴシップネタ、暴露合戦など、いわゆるくだらないテーマが多かったが、時には真面目なテーマも。その代表がが「死について考える」。なんと全編、棺桶のなかからトークを繰り広げています。
今も昔も、ここまで直球で死について取り上げている番組は稀だと思います。
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