今村昌平が約10年間温めた映画『ええじゃないか』
1981年に松竹から公開された映画『ええじゃないか』。
監督を務めた今村昌平が約10年間温めた作品だった。
映画『復讐するは我にあり』のヒットにより、借金を返済して松竹も利益を上げたことで、本作で松竹と共同製作が可能となった。しかし、3億円ものオープンセットを作る等、莫大な製作費をかけたが、ヒットには至らなかった。
これは今村自身も失敗と認めるほどだった。
監督を務めた今村昌平が約10年間温めた作品だった。
映画『復讐するは我にあり』のヒットにより、借金を返済して松竹も利益を上げたことで、本作で松竹と共同製作が可能となった。しかし、3億円ものオープンセットを作る等、莫大な製作費をかけたが、ヒットには至らなかった。
これは今村自身も失敗と認めるほどだった。
本作のタイトルにもなっている”ええじゃないか”は、江戸時代末期の慶応3年(1867年)8月から12月にかけて、近畿、四国、東海地方などで発生した騒動を指している。
「天から御札(神符)が降ってくる、これは慶事の前触れだ。」という噂が拡散し、民衆が仮装するなどして囃子言葉の「ええじゃないか」等を連呼しながら集団で町々を巡って熱狂的に踊ったというもの。
「天から御札(神符)が降ってくる、これは慶事の前触れだ。」という噂が拡散し、民衆が仮装するなどして囃子言葉の「ええじゃないか」等を連呼しながら集団で町々を巡って熱狂的に踊ったというもの。
本作では、見せ物小屋がメインの舞台として機能し、そこに集まる子悪党などを通して、そこが当時の吹き溜りであった様子を丁寧かつリズミカルに描いている。
また、放尿シーンがあり、これが映像倫理審査会の規定に触れるとして、物議をかもしたという話。
また、放尿シーンがあり、これが映像倫理審査会の規定に触れるとして、物議をかもしたという話。
実話を基にした小説を、今村昌平が映画化した残虐な逃亡劇「復讐するは我にあり」 - Middle Edge(ミドルエッジ)
1963年に日本中を震え上がらせた連続強盗殺人事件がありました。その事件が小説となり、その小説がまた映画となりました。本稿で特集する映画版は数々の映画賞に輝いた名作であり、今村昌平約10年振りの映画復帰作でもありました。
夫婦を演じた泉谷しげると桃井かおり
アメリカへの漂流民・源次を泉谷しげるが演じ、その妻・イネを桃井かおりが演じた。
泉谷の起用前には、萩原健一が源次役を担当する予定で、台本にも源次部分に萩原の名前が記載されていた。降板した理由、経緯は不明。
桃井はデビュー当初、萩原健一と共演することが多く、「映画『青春の蹉跌』で萩原さんと会って、尊敬してた、なんか一緒にくっついていたいっていう気持ちがあって。」とコメントも残している。
泉谷の起用前には、萩原健一が源次役を担当する予定で、台本にも源次部分に萩原の名前が記載されていた。降板した理由、経緯は不明。
桃井はデビュー当初、萩原健一と共演することが多く、「映画『青春の蹉跌』で萩原さんと会って、尊敬してた、なんか一緒にくっついていたいっていう気持ちがあって。」とコメントも残している。
邦画興行成績の新記録!カンヌも獲った黒澤明の「影武者」 勝新太郎の降板劇やジョージ・ルーカスも参加し製作される等話題に事欠きませんでした! - Middle Edge(ミドルエッジ)
1980年(昭和55年)公開。黒澤明監督の映画。戦国の武将「武田信玄」が討たれ、その「影武者」が翻弄されていく様子を描いた時代劇。当時の邦画の興行成績(配給収入)1位を記録した大ヒット作でした。
あらすじ
慶応二年、日本は激動期の真只中にあった。源次はそんな江戸へ六年ぶりにアメリカから帰って来た。上州の貧農の出の源次は横浜港沖で生糸の運搬作業中に難破し、アメリカ船に救けられ、そのまま彼の地に渡ったのだ。
その間、妻のイネは、病身の父に売られ、現在、東両国の“それふけ小屋”(ストリップ劇場)で小紫太夫と名乗って出演している。源次はなんとかイネを発見、六年ぶりの再会に二人は抱きあった。見せ物小屋の立ち並ぶ東両国は、芸人、スリ、乞食、ポン引きなどアブレ者の吹き溜り。
源次は三次、ゴン、孫七、卯之吉、旗本くずれの古川など、したたかな連中に混ってそこに居ついてしまう。そして、金蔵がここら一帯を取り仕切っている。
自由の国アメリカが頭から離れない源次は、イネを誘いアメリカ渡航を計るが、結局、彼女はこの猥雑な土地を見捨てられず、彼もイネの肉体にひかれて残ってしまう。
この頃、幕府と薩摩、長州連合の対立は抜きさしならないところにきており、金蔵は薩摩の伊集院などの手先となって、一揆の煽動など、天下を騒がす仕事に飛びまわっていた。
「ええじゃないかええじゃないか」と〈世直し〉の幟やムシロ旗を立てた群衆は次々と豪商の倉を襲っていった。この群衆の中に、金蔵配下の源次、ゴンたちがアジテーターとしてまぎれこんでいた。
via movie.hix05.com
更に、この騒ぎの中に、親兄弟を虐殺された琉球人のイトマンが仇の薩摩藩士の姿を求めて鋭い目を光らせていた。
そして、「ええじゃないか」の勢いは止まるところを知らず、群集は、歩兵隊の制止も聞かず、大橋を渡ろうとした。「死んだって ええじゃないか」源次が仆れた。
数日後、復讐をとげたイトマンの舟が琉球へとすべり出した。舟を見送るイネ。
その翌年、元号は明治となるのだった。