【定説を覆す真相】夏目雅子の死因は「白血病」ではなく「肺炎」だった!?
1985年に27歳で亡くなった夏目雅子さん。没後も昭和を代表する女優として、多くのメディアで取り上げられていることから、幅広い世代に早逝してしまった悲劇の名女優としても知られています。
死後、夏目さんの死因は「白血病」というのが定説でしたが、近年実兄である小達一雄さんが、死因は「肺炎」であったと各取材で答えています。
小達さんによると、急性骨髄性白血病という非常に重い病気となってしまった夏目さんでしたが、治療に伴う辛い副作用と向き合い、懸命な闘病により寛解(病気による症状や検査異常が消失した状態)にまで回復します。
死後、夏目さんの死因は「白血病」というのが定説でしたが、近年実兄である小達一雄さんが、死因は「肺炎」であったと各取材で答えています。
小達さんによると、急性骨髄性白血病という非常に重い病気となってしまった夏目さんでしたが、治療に伴う辛い副作用と向き合い、懸命な闘病により寛解(病気による症状や検査異常が消失した状態)にまで回復します。
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寛解後に肺炎を発症...
しかし、抗がん剤の影響で免疫力が低下していた時期に、風邪を引いてしまい肺炎を併発。その後は意識の混濁が認められ、肺不全となり数日間後に亡くなってしまいました。
予想だにしない事態だったようで、小達さんは夏目さんの最期の言葉も覚えていないそうです。
予想だにしない事態だったようで、小達さんは夏目さんの最期の言葉も覚えていないそうです。
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最期の舞台となった「愚かな女」への出演時に体調不良が深刻化
夏目さんはカネボウ化粧品のキャンペーンガールとして出演したCM「クッキーフェイス」で知名度を獲得し、その後は「西遊記」(1978年)で三蔵法師役を演じて一躍トップ級の人気者へとのぼりつめます。さらに「鬼龍院花子の生涯」(1982年)では流行語となる「なめたらいかんぜよ!」のセリフでも注目を集めました。
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しかし、当時の人気に反して、その演技は「お嬢様芸」と呼ばれ、アイドル女優の域を出ない評価を受けていました。本人も常に自身の演技力にコンプレックスを持っていたようです。
コンプレックスがハングリーさに繋がったのか、出演作品で求められれば大胆なヌードも厭わず、さらに幅広い役を演じることで本格派女優へとステップアップしていきます。しかし、残念ながら大事な時期に夏目さんは命を落としてしまいます。
結果的に最後の舞台となった「愚かな女」への出演時は、激しい頭痛やひどい口内炎に悩まされるも、公にせず舞台に立ち続けました。しかし、あまりの体調不良により、彼女本来の演技に比べて精彩を欠いたものとなってしまい、役者仲間をも心配させることとなってしまいます。
コンプレックスがハングリーさに繋がったのか、出演作品で求められれば大胆なヌードも厭わず、さらに幅広い役を演じることで本格派女優へとステップアップしていきます。しかし、残念ながら大事な時期に夏目さんは命を落としてしまいます。
結果的に最後の舞台となった「愚かな女」への出演時は、激しい頭痛やひどい口内炎に悩まされるも、公にせず舞台に立ち続けました。しかし、あまりの体調不良により、彼女本来の演技に比べて精彩を欠いたものとなってしまい、役者仲間をも心配させることとなってしまいます。
本人には本当の病名を隠して「極度の貧血」と伝える
千秋楽まであと10日となった時点で、夏目さんの身体の状態が芳しくないことは一目瞭然に。それでも公演の続行を望む夏目さんを周囲が説得し、やっと入院することとなりました。
入院後に前述の急性骨髄性白血病と診断されますが、本人には「極度の貧血」とだけ伝えて、結局病名は明かされませんでした。現在では治療可能な病気に変わっている白血病ですが、当時は「不治の病」とされ、非常に怖れられていた病気。その判断も当然だったかも知れません。
入院後に前述の急性骨髄性白血病と診断されますが、本人には「極度の貧血」とだけ伝えて、結局病名は明かされませんでした。現在では治療可能な病気に変わっている白血病ですが、当時は「不治の病」とされ、非常に怖れられていた病気。その判断も当然だったかも知れません。
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複数の病気と闘ってきた夏目雅子
急性骨髄性白血病と肺炎の病歴以外に、夏目さんは亡くなる4年程前の1981年にバセドウ病の手術を行っています。さらに腎盂炎の持病も持っていたとされています。
また、あるスポーツ紙の記者が近年回顧したところによると、夏目さんが約1年近く仕事から離れていた際の復帰となる現場で、本人へ空白期間に何をしていたかを聞いたところ、「あの、子宮にヘンなでき物ができて、長くかかってしまって……」と正直に答えてくれたそうです。
当時の取材陣に良識があり、記者同士で申し合わせて、あまりに赤裸々な告白を聞かなかったことで約束したそうです。
また、あるスポーツ紙の記者が近年回顧したところによると、夏目さんが約1年近く仕事から離れていた際の復帰となる現場で、本人へ空白期間に何をしていたかを聞いたところ、「あの、子宮にヘンなでき物ができて、長くかかってしまって……」と正直に答えてくれたそうです。
当時の取材陣に良識があり、記者同士で申し合わせて、あまりに赤裸々な告白を聞かなかったことで約束したそうです。
家族に目を向けると、夏目さんの実の母・スエさんによる書籍『ふたりの雅子』では、スエさん自身も扁桃腺肥大であったことが書かれています。また、夏目さんの父親は、1979年にスキルス性胃癌になってしまい、手術を受けるも残念ながら翌年に亡くなっています。
父親の手術の際に夏目さんは、医師から「気絶してしまうからやめなさい」と忠告があったにも関わらず、手術の一部始終を直接見ていたようです。
父親の手術の際に夏目さんは、医師から「気絶してしまうからやめなさい」と忠告があったにも関わらず、手術の一部始終を直接見ていたようです。
夏目雅子の死後設立された、医療用カツラの無償貸与の取り組み「夏目雅子ひまわり基金」
夏目さんが急性骨髄性白血病での闘病中。新たな治療薬が出始めた頃で、「副作用で髪の毛は抜け、30%以上の確率で命を落とす」という医師の説明を聞いた母・スエさんは女の命ともいうべき髪の毛が無くなってしまうことを危惧し、新薬の使用に反対しました。