タレントの堀ちえみが、27日に放送された「中居正広のミになる図書館」(テレビ朝日系)にゲスト出演。
当時親衛隊だったという親衛隊幹部の千葉氏と、レディース隊長の久芳氏が登場して、明かされていなかった情報を暴露。
千葉氏からは、コンサートやイベントのとき、本当のファンだけでは足りなくて、小泉今日子や中森明菜の親衛隊をレンタルして水増しをしていたと暴露された。
これには堀も「え~っ」と、あんぐり顔。
会場は広いため、人数が少ないと声が届かないために考えた苦肉の策。これも堀が好きなために起こしたファンの行動。
おそらく親衛隊レンタルは、アイドル間でやりとりされていたものと予想されるが、30年後の爆弾発言にスタジオ内は驚きの声でいっぱいだった。
全国キャンディーズ連盟(全キャン連) アイドル親衛隊の誕生。親衛隊の原点的な存在。
暑中お見舞い申し上げます キャンディーズ 1977
春一番 キャンディーズ
キャンディーズ 微笑みがえし
もともと、渡辺プロダクション友の会キャンディーズファンクラブ内には自発的に結成されたグループがあり、全国各地域に点在して、それぞれ○○支部と称していた。
キャンディーズの場合、その中心となっていたのは東京支部で1974年春に結成されている。その当時、ファンクラブ全体の会員数は500名程度であった。
1975年2月21日に発売された「年下の男の子」が大ヒットし、ファンクラブ会員が激増。東京支部の会員だけでも1000人を超過し、関東支部と改名して同年12月から独自の会報「キャンディーズ タイムス」を発行するようになる。
全キャン連とは、これらのファンクラブ各支部会員をはじめ、非会員も含めたメンバーで構成されていたものであるが、かつての支部会員には「自分は全キャン連ではなかった」と証言する人もいる。
石野真子親衛隊 アイドル親衛隊の元祖・原点的な存在
石野真子親衛隊は気合の入った応援でサポート!
初代隊長・幹部クラスは主に真子隊出身者が多く、石野真子が引退後にこれらのデビュー時期が重なったことが要因で、以後真子隊伝説が語り継がれる由縁でもある。
石野真子のデビュー曲「狼なんか怖くない」 (1978年)
石野真子親衛隊「L(エル)O(オー)V(ブイ)E(イー)、ラブリー真子ちゃん!」 揃いの特攻服やハッピ、コールの統一などは石野真子親衛隊からといわれる。
応援スタイルをみると1970年代後半-1980年頭は特攻服にハチマキ腕章 、1980年代前半はハッピにハチマキ腕章。
後半に入るとハチマキに腕章(中には隊名入りのMA-1で揃える隊もあった)に変化していく。ハチマキはサテン地に刺繍入りの特別製で、色は隊ごとにそれぞれ異なり、ハチマキ以外にもハッピ・垂れ幕・ペンライト・紙テープ等全てその色で統一、その色は隊のイメージカラーでもあった。
石野真子親衛隊
関東親衛隊連合は「全国親衛隊連合」と「全日本親衛隊同盟」に分裂
『全日本親衛隊同盟』通称“同盟” 画像は「川越美和」親衛隊。
南野陽子・浅香唯・大西結花・中村由真・小沢なつき・小高恵美・石田ひかり・高井麻巳子・岩井由紀子・我妻佳代・河合その子・杉浦幸・相楽ハル子・本田理沙・西田ひかる・田山真美子・白田あゆみ・姫乃樹リカ・麻田華子・伊藤智恵理・田中律子・山口由子・川越美和・佐藤忍・中山忍・芹沢直美・渡瀬麻紀・安永亜衣・CoCo(大野幹代・羽田恵理香)・ribbon・Qlair・早坂好恵・堀川早苗・吉沢瞳・薬師寺容子・奥山佳恵・遠野舞子・宮田愛
組織が大規模化するにつれ、派閥が発生してきた。
所属事務所系列、幹部達の人間関係など、関東連合内での派閥は大きく分けて4グループ程存在していた。
さらに1985年頃、関東連合内に、初代南野陽子隊創立者・江尻昭彦を中心としたグループが生まれる。彼らは“関東江尻一家”を名乗り、良い意味でも悪い意味でも浮いた存在であった。
1987年夏、関東連合の活動方針に反発した江尻は、この当時関東連合内で約半数の勢力を維持していた南野陽子隊を軸に、江尻に賛同した十数隊を引き連れ、関東連合脱退を計画、連合幹部と江尻一家幹部との間に何度も話し合いの場が持たれたが全て決裂、新組織『全日本親衛隊同盟』通称“同盟”を旗揚げすることとなる。
同盟結成式は都内のホテルで行われ、江尻一家の幹部連や関係者、約100人が出席した。また同じ頃、九州でも連合が2つに割れ、『九州双誠会』通称“反連”が誕生している。
更に関東連合はかつての実力者達が次々と現場に復帰、体制を整えることになり、柳も再び相談役という立場で連合に接触するようになる。翌1988年、連合側は引き締めを図るために『全国親衛隊連合』と改称、同盟を除く親衛隊を全国一本化する。この頃にはマスコミからの取材依頼も多く、同盟に関してはテレビの密着ドキュメント番組や週刊誌等の取材に多数応じている。
連合・同盟の分裂後も両者による主導権争いが行なわれ、コンサートやイベントでかち合う度に小競り合いを繰り返していた。また互いに同じアイドル歌手の親衛隊を作らない協定を結ぶが、結局は表面上の約束で、吉田真里子や中山忍、CoCo等で衝突してしまう。
アイドル冬の時代の影響で「アイドル親衛隊」時代の終焉 親衛隊”としての活動場所・存在価値がなくなっていった。
1990年代のバンドブームやそれに続くビーイング・小室ブームに代表されるように、日本の音楽ムーブメントがJ-POPの全盛期を迎え、それに伴うアイドル冬の時代の影響で隊員も減り、さらに公開歌番組や大規模なコンサートなどもほとんど姿を消し、“親衛隊”としての活動場所・存在価値がなくなっていたのが原因である。
また激しい上意下達の環境を嫌い個人主義を好むという時代環境の変化や、アイドルファンのイメージがそれまでの親衛隊に象徴される「硬派」「青春」といった比較的健康的なものから「根暗なオタク趣味」というネガティブなものに取って代わったことが決定的な打撃となり(同時期の宮崎勤事件や宅八郎の登場が強く影響したとされている)、世間的にもアイドルファン=「ダサい」「カッコ悪い」「気持ち悪い」というイメージが定着してしまい、隊員が一気に激減した。
高校時代からアイドル歌手グループキャンディーズの大ファンであり、中でもミキ(藤村美樹)がお気に入り。
2007年11月15日の守屋武昌元防衛事務次官に対する証人喚問において、久間章生、額賀福志郎両名の名前が出た日の夜、キャンディーズの曲を熱唱した。
メンバーの一人で解散後女優に転向した田中好子が2011年4月21日に死去した際には「本当の同時代を生きた私たちの青春そのもの。大事な友達を亡くしたような思いだ」とコメントした。