via himasoku.com
大塚少年の好奇心「他の人はどんな絵を描くのか」
蒸気機関車と軍用車のスケッチ三昧だった大塚少年。
でも実はそれだけでなく、他にも雪舟の墨絵や仏像を描いたり、のらくろを描いたり、風刺漫画を切り抜いて集めたり、その関心は多岐にわたっていました。
そんな中で、「他人がどんな絵を描くのか」ということにも関心を持っていて、こんな実験をしたことがあるそうです。
でも実はそれだけでなく、他にも雪舟の墨絵や仏像を描いたり、のらくろを描いたり、風刺漫画を切り抜いて集めたり、その関心は多岐にわたっていました。
そんな中で、「他人がどんな絵を描くのか」ということにも関心を持っていて、こんな実験をしたことがあるそうです。
陸軍二式単座戦闘機 「鍾馗」
昭和19年に、大塚さんの学校を含めて、山口市内の全小学校に戦闘機「鐘馗」の写真が配られたことがあったそうです。
大塚さんは同級生全員に、「この写真を見て絵を描いてほしい」と頼みました。
ほとんどの人が協力してくれて、たくさんの「鐘馗」の絵が集まりました。
たくさんの友だちの絵から、大塚少年は何を読み取ったのでしょう。
しかもそうした試みを、中学生の時も2回行っているそうです。
大塚さんは同級生全員に、「この写真を見て絵を描いてほしい」と頼みました。
ほとんどの人が協力してくれて、たくさんの「鐘馗」の絵が集まりました。
たくさんの友だちの絵から、大塚少年は何を読み取ったのでしょう。
しかもそうした試みを、中学生の時も2回行っているそうです。
via karen.saiin.net
絵の持つおおらかさや大胆さというものは、それぞれの人固有のものです。のちにいろいろな教育や訓練が加えられたとしても、やはりその基本は失われないのではないかと思えるのです。
(中略)
同じものを描いても、大きく見えるように描く人、なんとなく小さくなってしまう人などがいますが、性根に根ざすくせというものは、17~18歳で一旦決まってしまうもののようです。(中略)人によってずいぶん違う見方があるものだなあということに気がつき始めました。私がこの仕事を選んで実に多くの「私よりはるかに上手な」人に会ってきましたが、一時的に劣等感におそわれても、個性の違いとそれぞれの特性を知るにつれて、競っていい映画をつくる仲間としてやっていけることを見つけてきました。
それが私にとってのアニメーションだったのです。
将来、アニメーションの道へ進むことなど考えてもいなかった頃に、「人が絵を描くこと」の本質に迫る試みをしていることがすごいと思います。
少年時代の観察・分析は、作画監督になって、アニメーションに関わる大勢の個性ある人たち、中でも宮崎駿さんと高畑勲さんと共に作品を生み出す時に、大いに役立ったのですね。
少年時代の観察・分析は、作画監督になって、アニメーションに関わる大勢の個性ある人たち、中でも宮崎駿さんと高畑勲さんと共に作品を生み出す時に、大いに役立ったのですね。
異色の経歴、麻薬取締官事務所に勤めていた時期もあった
大人になった大塚さんは、初めに山口県庁の統計課に勤め始めます。
けれど、この頃の大塚さんの希望は「政治漫画家」になることでした。
そのためには何としても東京に上京したい。
上京する口実として、厚生省の試験を受けることを思いつきます。
結果は見事合格!
そして配属されたのは、なんと厚生省麻薬取締官事務所でした。
けれど、この頃の大塚さんの希望は「政治漫画家」になることでした。
そのためには何としても東京に上京したい。
上京する口実として、厚生省の試験を受けることを思いつきます。
結果は見事合格!
そして配属されたのは、なんと厚生省麻薬取締官事務所でした。
via gundoujo.net
「麻薬取締官事務所と言ってもね、まだ正式な『官』じゃなくて補助職員だったんだよ。だから事務所にいて『拳銃の分解掃除、おまえやっとけ』って言われたりしてね。
撃たせてはくれない。けど、上官が撃ち方を見せてくれる。
西部劇のような早撃ちとか、手を固定して(こんなふうに)撃つのとか、頭の上から振りかぶって撃つのとかね。」
via twitter.com
しかしその後、過労で結核にかかり、2年間の療養生活を送ることになってしまいます。その時期は読書三昧だったそうです。
体の調子が良くなってきたころ、映画館で、ロシアのアニメ映画「イワンと仔馬」やフランスのアニメ映画「やぶにらみの暴君」を観てアニメーションに興味を持ち始めます。
奇しくも、その頃に読売新聞に載っていた東映動画の小さな記事を見つけ、アニメーションの世界へ転職を決意するのです。
体の調子が良くなってきたころ、映画館で、ロシアのアニメ映画「イワンと仔馬」やフランスのアニメ映画「やぶにらみの暴君」を観てアニメーションに興味を持ち始めます。
奇しくも、その頃に読売新聞に載っていた東映動画の小さな記事を見つけ、アニメーションの世界へ転職を決意するのです。
アニメーター大塚康生
東映動画に入り、仕事に明け暮れた大塚さん。
もともと画力がある上に、「作動原理」をふまえた人物の動きを正確につかむ能力と合わせ、大塚さんはアニメーターとしてメキメキその頭角を現していきます。
もともと画力がある上に、「作動原理」をふまえた人物の動きを正確につかむ能力と合わせ、大塚さんはアニメーターとしてメキメキその頭角を現していきます。
大塚さんは、例えば「物を持ち上げる」「投げる」そんな何気ない動作ひとつにも、隠された重みや人の筋肉の動き、息遣いなどに着目して描こうとしました。
悲しみから湧く力、喜びをどうしても体で表したい時、怒りの仕草など、自分で動いたり、人が動くのを観察したりして、演技として考えながら絵を描いたのです。
時にはやりすぎなくらいダイナミックで、コミカルな表現は後に「大塚アクション」と命名されました。
悲しみから湧く力、喜びをどうしても体で表したい時、怒りの仕草など、自分で動いたり、人が動くのを観察したりして、演技として考えながら絵を描いたのです。
時にはやりすぎなくらいダイナミックで、コミカルな表現は後に「大塚アクション」と命名されました。
via www.yk.rim.or.jp
「パクさん(高畑勲監督)に言わせるとね、小田部さんの描く芝居は笠智衆で僕(大塚さん)の描くのは植木等だ、って。つまり、テーブルの湯飲みを取るんでも、小田部さんはごく自然に描くんだけど、僕がやると、グラスを取るぞ! ってポーズ(一度手を上げてみせて)を入れるっちゅーんですよ」
アニメーター 大塚康生 ルパン三世 石川五ェ門 抜刀作画 (2002年)
実際に大塚さんが作画をしているところが見られます。
興味のある方はぜひご覧ください。
興味のある方はぜひご覧ください。
via www.youtube.com
via blog.livedoor.jp
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未来少年コナン
via www.youtube.com
実際、スケッチブックを取り上げられても、大塚さんはまた違うスケッチブック(自分で裏紙を綴じて作ったもの)を持って、次の日には出かけていたそうです。
大塚さんのタフさには恐れ入りますね。
ちなみに、このトラックは後年、「カリオストロの城」で登場してくるんですよ。