『芸術は爆発だ!』 岡本太郎の芸術に出会う
2016年2月17日 更新

 『芸術は爆発だ!』 岡本太郎の芸術に出会う

1970年大阪万博で「太陽の塔」を建て、1981年「芸術は爆発だ!」のCMで一躍有名になった。芸術家、岡本太郎氏の家族と生い立ち。岡本太郎が伝えたかった芸術作品パブリックアートを鑑賞できる・街頭スポットを紹介します。

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芸術家・岡本太郎 家族と生い立ち

岡本太郎特集 (1570297)

岡本太郎は、1911(明治44年)2月26日
漫画家・岡本一平、歌人・岡本かの子の長男として、かの子の実家のある神奈川県橘樹郡高津村(現在の川崎市高津区二子)に生まれた。

お嬢さん育ちの母は、家事や育児が全く出来ない女性で、太郎には、豊子・健二郎という弟妹があった。いずれも二歳ぐらいで亡くなっている。

そして、作家である母かの子の愛人男性達が同居するという家庭環境だった。

岡本太郎は東京青山にある青南小学校に入学するがなじめず、一年間で四つ学校を替えている。
慶応幼稚舎、普通部をへて東京美術学校に入学。
半年後、中退する。

写真は、小学校入学の頃

 

岡本太郎の両親

岡本かの子と岡本一平と、その息子岡本太郎氏

岡本かの子と岡本一平と、その息子岡本太郎氏

父、岡本一平(1986~1948)は漫画家として知られているが、藤島武二らに学び、東京美術学校西洋画科に入学。 在学中に帝国美術院展覧会で《トンネル横町》が入選している。 卒業後、朝日新聞社に入社し、従来のポンチ絵形式を一変し現代漫画を生んだ。 1920年代と30年代に2回ヨーロッパを巡遊している。

母、岡本かの子(1889~1939)は歌人、小説家。22歳の時に画学生の一平と結婚し、翌年太郎をもうけた。川端康成を知り小説家になる。 

パリ留学

岡本太郎特集 (1570298)

岡本太郎は、青春の十年以上パリですごした。
1929年、渡欧。 パリで前衛芸術運動に参加し、
ソルボンヌ大学でヴィクトール・バッシュ教授に美学を学ぶ、マルセル・モースのもとで文化人類学を学んだ。
1940年、帰国。

大阪万博 太陽の塔 

 (1570295)

1970年大阪万博で岡本太郎がこの塔を立てた当時は、
丹下健三の屋根があった。

太陽の塔  Tower of the sun  
繊維強化プラスティック 145 × 128 × 50 cm

太陽の塔はいま、千里の丘にひとり孤独に立っている。

岡本太郎が知られるようになった CM マクセル 「芸術は爆発だ 」

岡本太郎 CM 1981年 マクセル 芸術は爆発だ - YouTube

岡本太郎と年の離れた4人の兄弟

岡本かの子 : 直球感想文 本館 (1576475)

1948年(昭和23年)、太郎の父一平は、母かの子の死から2年後、55歳で29歳の山本八重子と再婚。4人の子をもうけるが、結婚7年62歳で死亡。義母の八重子は4人の子を連れ東京に引き上げてくる。
37歳で独身の太郎は、父親のかわりに年の離れた幼い兄弟のために学校に挨拶に行ったという。

そしてこの頃、平野敏子と出会う、太郎は生涯独身であった。敏子は後に秘書・養女となり、1996年(平成8年)1月、太郎が84歳で逝去するまで献身的に支え続けた。
太郎の死後、未完作品の製作・仕上げにすべて監修として携わり、また太郎のアトリエ兼自宅を美術館として改装・公開した。その後、岡本太郎記念館の館長になり、太郎がメキシコで創作後、行方不明になっていた壁画『明日の神話』の捜索・補修に尽力した。

岡本太郎氏、4人(いずみ、和光、おとは、みやこ)の異母兄弟がいる。

太郎氏と思われる写真

東京・青山にある「岡本太郎記念館」

 (1570313)

1998年東京・青山にある「岡本太郎記念館」がオープン。
「青山高樹町三番地」岡本太郎は、1953年(昭和28年)から1996年(平成8年)84歳でなくなるまでの約半世紀、父・岡本一平から相続した、自宅兼アトリエで暮らし、創作していた。

岡本太郎の作品パブリックアート 街でみられるスポット

こどもの城

こどもの城

こどもの城 青山劇場正面にある、岡本太郎氏作・子供の樹。青山通りの青山学院大学の斜め向かい。
渋谷マークシティ連絡通路

渋谷マークシティ連絡通路

「明日の神話」
渋谷マークシティの京王井の頭線渋谷駅とJR渋谷駅を結ぶ連絡通路にある。
第五福竜丸が被爆した際の水爆の炸裂の瞬間をテーマに、アスベスト製の板に一部コンクリートを盛り付けてアクリル系塗料で描かれている。岡本太郎氏の最大の壁画である。

メキシコで行方不明になっていたが、2003年に海外で発見され、2006年には修復が完了。東京で一般公開された。
数寄屋橋公園

数寄屋橋公園

「若い時計台」
「太陽の塔」に似ていますが、完成はこちらが先。名前の通り時計台です。シチズン社製の時計が時を刻んでいます。1966年(昭和41年)数寄屋橋ライオンズクラブの結成記念として依頼を受け制作された作品です。

東京都中央区銀座5-1-1
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