焦り、絶望、奮起し、そして成し遂げた前人未到の単独冒険紀行「植村直己物語」
2016年10月17日 更新

焦り、絶望、奮起し、そして成し遂げた前人未到の単独冒険紀行「植村直己物語」

数々の単独記録を打ち立て、1984年2月13日午前11時、マッキンリー冬期単独登頂に成功したとの交信を最後に消息を絶った植村直己。日本が誇る伝説の冒険家を西田敏行が、命がけで演じ切りました。迫真の演技を御覧下さい。

8,162 view
映画では、このような危険な山々でもロケを行い、スタッフの命かけの撮影にのぞんでいます。
世界的冒険家、植村直己の生涯を描く。原作は植村直己、脚本は岩間芳樹と佐藤純彌の共同執筆。監督は「空海」の佐藤純彌。撮影は「人生劇場(1983)」の並木宏之がそれぞれ担当。数々の極地ロケのために当時の一流の登山家が集められ、カメラマンを含む11名の撮影隊が組成された。1985年10月30日、隊員のうち7名ものメンバーがエベレストに登頂した。しかし下山中3名が遭難しかけた。

5.植村直己物語のあらすじ

1984年にアラスカのマッキンレー山で消息を絶った冒険家・植村直己の生涯をで描く。エベレスト登頂から北点到達まで、己との戦いとして冒険に賭けた彼の半生と足跡を西田敏行主演で劇的に再現したヒューマン・ドキュメンタリー。夫人との出会いや、夫人から見た真の植村直己像もクローズアップされる。1973年、グリーンランド3000キロの犬ぞり単独行を成功させた植村直己(西田)は、なじみの小料理屋の娘・公子(倍賞)に一目ぼれし結婚。放浪人生の延長として冒険という道を歩み続けていた直己は、結婚後も冒険を続け、その間に母は死に、公子は流産。平穏な家庭を築く決意を固めた彼は、最後の冒険としてマッキンレー踏破をめざすが……。
国旗のある風景4 – 北極圏12,000キロ、犬ぞり単独行の植村直己 | タディの国旗の世界 (1764732)

北極単独走行成功
植村直己物語|日本映画・邦画を見るなら日本映画専門チャンネル (1764735)

北極単独走行成功
植村直己物語|日本映画・邦画を見るなら日本映画専門チャンネル (1762509)

エベレスト登頂

植村直己物語 予告編

6.奥様との出会い(映画でのシーン)

奥様の名前は公子さん、映画では、賠償千恵子が演じています。冒頓な植村直己は偶然の再会を果たした公子に、自分の半生を描いた本をプレゼントします。それは、1973年のグリーンランド3000キロの犬ぞり単独行を成功させて、久しぶりに帰国した時です。その本を読みながら公子は植村直己という人間を考えるようになり、生き方に惹かれて行くことになります。
その後エベレスト国際登山隊に参加して再び帰国したあと、二人は結婚するのであります。
植村直己物語|日本映画・邦画を見るなら日本映画専門チャンネル (1764729)

新婚時代の二人
冒険とは・・・生きて帰ること!「植村直己物語」 結末 - ラストシーンが知りたい (1764733)

公子さんは植村のなじみの小料理屋の娘でした。

映画予告編 「植村直巳物語」

奥様との出会いが・・
第10章 公子さんのこと 後編 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト (1764744)

実際の御夫婦です。

7.植村直己とともにたたかった犬たち

北極単独走行時には犬たちがなによりも重要でした。しかしその犬たちでも苦労します。なかなか良い犬を確保できず、17頭の犬の中には4、雌の犬もいて、冒険中に出産してしまうというハプニングもありました。なかなか働かない犬たちにもきちんと食糧をあたえ、何とか北極単独走行に成功するのです。
第9章 北極点単独行――冒険家にとっての記録 後編 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト (1764741)

北極単独走行時の犬たち
第9章 北極点単独行――冒険家にとっての記録 後編 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト (1764742)

少し油断すると犬もろとも雪の割れ目におちてしまう、危険の中犬と生死をともにします。

8.遭難そして、捜索終了

1984年2月12日、43歳の誕生日に世界初のマッキンリー冬期単独登頂を果たしたが、翌2月13日に行われた交信以降は連絡が取れなくなり、消息不明となった。3日後の2月16日小型飛行機がマッキンリーに行ったところ、植村と思われる人物が手を振っているのが確認されたが、天候が悪く、視界も悪かったので救出することができずに見失ってしまった。ただし、最終キャンプとして使っていた雪洞に大量の装備が残されていたことから、誤認である可能性が高いと考えられている。その後明治大学山岳部によって2度の捜索が行われたが発見されることはなく、植村が登頂の証拠として山頂付近に立てた日の丸の旗竿と、雪洞に残された植村の装備が遺品として発見されるに留まった。やがて生存の確率は0%とされ、捜索は打ち切られた。現在に至るまで遺体は未発見。最後の交信で消息が確認された1984年2月13日を植村の命日とした。享年43。
52 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

西田敏行さんを偲び、BS日テレにて映画『釣りバカ日誌2』の追悼特別放送が決定!!

西田敏行さんを偲び、BS日テレにて映画『釣りバカ日誌2』の追悼特別放送が決定!!

10月17日に逝去された俳優の西田敏行さんを偲んで、BS日テレにて代表作の一つである映画『釣りバカ日誌』シリーズの中から、映画『釣りバカ日誌2』が放送されます。
隣人速報 | 44 view
泣く姿が印象的だった!ABCテレビ「探偵!ナイトスクープ」が西田敏行さんの追悼回を11月1日に放送!!

泣く姿が印象的だった!ABCテレビ「探偵!ナイトスクープ」が西田敏行さんの追悼回を11月1日に放送!!

ABCテレビで放送中のバラエティ番組「探偵!ナイトスクープ」11月1日放送分にて、17日に76歳で亡くなった俳優・西田敏行さんの追悼回が放送されることが明らかとなりました。
隣人速報 | 76 view
【訃報】俳優の西田敏行さん死去。NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」「八代将軍 吉宗」など多数出演。共演した綾瀬はるかも追悼

【訃報】俳優の西田敏行さん死去。NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」「八代将軍 吉宗」など多数出演。共演した綾瀬はるかも追悼

「釣りバカ日誌」シリーズやNHK大河ドラマなどで活躍した俳優・西田敏行さんが17日、東京・世田谷区の自宅で亡くなったことが明らかとなりました。76歳でした。
隣人速報 | 237 view
芸能人・有名人が受けた誹謗中傷、名誉毀損の請求金額は⁉

芸能人・有名人が受けた誹謗中傷、名誉毀損の請求金額は⁉

近年、SNSやネット掲示板に書き込まれる誹謗中傷が社会問題になっている。芸能人や有名人が受けた誹謗中傷、名誉毀損の事例や法的措置。損害賠償請求の金額。開示請求が認められたケースについて振り返ってみた。
赤い霊柩車シリーズ キャストを深掘り

赤い霊柩車シリーズ キャストを深掘り

とうとう山村美紗サスペンス「赤い霊柩車シリーズ」が幕を下ろすことに。30年あまりも続いたシリーズのメインキャストを紹介します。

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト