日本音楽シーンの生けるレジェンド。その名は沢田研二。
2016年10月11日 更新

日本音楽シーンの生けるレジェンド。その名は沢田研二。

沢田研二ことジュリーは、1960年代、70年、80年代をトップアイドル、トップスターとして駆け抜けた稀代のアーティストです。日本の音楽シーンを牽引しながら多大なる影響を及ぼした彼の活躍を振り返ります!

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沢田研二プロフィール

ジュリーこと沢田研二

ジュリーこと沢田研二

沢田 研二(さわだ けんじ、1948年6月25日 - 両親の実家がある鳥取県鳥取市の生まれで京都府京都市育ち。)は、日本の歌手、俳優、作詞・作曲家。本名、澤田 研二。ニックネームはジュリー(由来は沢田本人が女優のジュリー・アンドリュースのファンだったため)[1]。妻は女優の田中裕子。前妻は元ザ・ピーナッツの伊藤エミ。現在は横浜市中区に在住。
沢田研二は、1960年代後半に彗星の如く日本の音楽シーンに飛び出し一躍国民的アイドルスターとなると、1970年代以降も独自の感性で音楽活動を続けカリスマ的な人気を博したミュージシャンです。還暦を超えた今でも現役のミュージシャンとして精力的に活動し、コアなファン層を魅了し続けています。

ザ・タイガースでデビュー

沢田研二が音楽の道へと進むきっかけになったのは、地元京都のダンス喫茶「田園」でドアボーイのアルバイト中に声をかけられたことでした。その後、岸辺一徳が在籍していたサリーとプレイボーイズのリード・ボーカルとなり、グループ名を「ファニーズ」と改めた後、メンバー全員で渡辺プロと契約することになります。
イメージ2 - ザ・タイガース「シー・シー・シー」。。沢田研二 ザ・タイガースを歌う。。の画像 - マジカル・ミステリー”ミュージック”ツアー - Yahoo!ブログ (1760586)

番組出演前にいきなりバンド名を変更

上京後、当時の人気音楽番組「ザ・ヒットパレード」のプロデューサーすぎやまこういちにより、番組の出演直前に「ザ・タイガース」と新たに名付けられた。しかもその理由は、大阪出身のバンドだったから。<大阪=(阪神)タイガース>という、短絡的というかなんとも古き良き時代のエピソードです。
デビュー曲「僕のマリー」

デビュー曲「僕のマリー」

1967年2月に「僕のマリー」でデビュー。その後、「モナリザの微笑」、「君だけに愛を」など、多くのヒット曲を放つ。1971年の日本武道館コンサートを最後に解散。

デビューの影にこの人あり

タイガースを世に送り出すきっかけをつくったのは、ご存知ジャパニーズロック界の大御所、内田裕也だと言われています。テレビ初出演も、事務所ではなく内田がすぎやまこういちに売り込んだものだそうです。
ロック界の大御所・内田裕也

ロック界の大御所・内田裕也

ザ・タイガース時代のヒット曲

タイガースの本来の音楽性に反し、事務所の指示により、当時アメリカで人気を博していたバンド、モンキーズのイメージで製作されたデビュー曲は残念ながらヒットしませんでしたが、ジャズ喫茶などで地道にライブ活動を続け徐々に人気を得る中で発売されたセカンド・シングル「シーサイド・バウンド」で大ブレイクします。
ザ・タイガースの代表曲「シーサイド・バウンド」

ザ・タイガースの代表曲「シーサイド・バウンド」

この曲が40万枚を売り上げる大ヒットとなったことにより、ザ・タイガースの人気は確たるものとなりました。当時メンバーはまだ烏山の合宿所で共同生活を送っていましたが、女性の追っかけが数多く訪れ、メンバーの日常生活にも支障を来すほどでした。以降、グループサウンズ(GS)ブームを牽引する存在として、タイガースは圧倒的な人気を誇っていきます。
君だけに愛を(1968年1月5日)

君だけに愛を(1968年1月5日)

4枚目のシングル
銀河のロマンス/花の首飾り(1968年3月25日)

銀河のロマンス/花の首飾り(1968年3月25日)

7週間連続でオリコンシングル・チャート1位を獲得、オリコン調べで67.6万枚を売り上げた大ヒット曲です。
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