沢田研二が全国ツアーをスタート!古希に対する発言も!
歌手の沢田研二(68)が26日、有楽町の東京国際フォーラムで全国ツアーをスタートさせた。
1967年にグループサウンズの「ザ・タイガース」でデビュー以来、毎年、全国ツアーを行っているジュリーは1曲目の「ポラロイドGIRL」からノリノリ。
ステージ上で跳ね、走り回り、大ヒットした「カサブランカ・ダンディ」「TOKIO」を含む23曲を歌いきった。
ステージ上で跳ね、走り回り、大ヒットした「カサブランカ・ダンディ」「TOKIO」を含む23曲を歌いきった。
また、自らの活動歴や年齢にも触れ、「来年は50周年、その次は古希(70歳)ですよ。古希まではジャンプもいっぱいしようと思う」と意気込みを語った。
「今日、1曲目でジャンプして、全然上がってないと感じた」と話したが、「でも、まだ、できるんじゃないかな」と言うと、観客から盛大な拍手を受けた。
今年のツアーでは、11月3日の東京公演まで全39ステージを展開する。
「今日、1曲目でジャンプして、全然上がってないと感じた」と話したが、「でも、まだ、できるんじゃないかな」と言うと、観客から盛大な拍手を受けた。
今年のツアーでは、11月3日の東京公演まで全39ステージを展開する。
沢田研二がザ・タイガース解散後に結成したPYG
1971年に結成されたPYG(ピッグ)。
グループ名の由来は「豚のように蔑まれても生きてゆく」。同じ渡辺プロダクション所属だったアラン・メリルのアイディアによって本来のpigをPYGとした。
当時はニューロックと呼ばれた。
グループ名の由来は「豚のように蔑まれても生きてゆく」。同じ渡辺プロダクション所属だったアラン・メリルのアイディアによって本来のpigをPYGとした。
当時はニューロックと呼ばれた。
バンド形態は、ジョン・レノンとオノ・ヨーコによる「プラスチック・オノ・バンド」のようなスーパーバンドを模した形だった。
ザ・スパイダースから井上堯之と大野克夫、ザ・テンプターズから萩原健一、大口広司、ザ・タイガースから沢田と岸部修三という6人のメンバーによって結成された。
1972年11月21日発売のシングル「初めての涙」を最後に自然消滅の形で、終わりを迎えた。
ザ・スパイダースから井上堯之と大野克夫、ザ・テンプターズから萩原健一、大口広司、ザ・タイガースから沢田と岸部修三という6人のメンバーによって結成された。
1972年11月21日発売のシングル「初めての涙」を最後に自然消滅の形で、終わりを迎えた。
via pds.exblog.jp
【メンバー】
・沢田研二(さわだ けんじ、1948年6月25日-):ボーカル
・萩原健一(はぎわら けんいち、1950年7月26日-):ボーカル
・大野克夫(おおの かつお、1939年9月12日-):オルガン
・井上堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月5日-):ギター
・岸部一徳(きしべ いっとく、当時の芸名は「岸部修三 きしべ おさみ」1947年1月9日-):ベース
・大口広司(おおぐち ひろし、1950年11月28日 - 2009年1月25日):ドラムス( - 1971年9月)
・原田裕臣(はらだ ゆうじん、1944年2月14日 - ):ドラムス(1971年9月 - )
・沢田研二(さわだ けんじ、1948年6月25日-):ボーカル
・萩原健一(はぎわら けんいち、1950年7月26日-):ボーカル
・大野克夫(おおの かつお、1939年9月12日-):オルガン
・井上堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月5日-):ギター
・岸部一徳(きしべ いっとく、当時の芸名は「岸部修三 きしべ おさみ」1947年1月9日-):ベース
・大口広司(おおぐち ひろし、1950年11月28日 - 2009年1月25日):ドラムス( - 1971年9月)
・原田裕臣(はらだ ゆうじん、1944年2月14日 - ):ドラムス(1971年9月 - )
【エキゾティクス】沢田研二(ジュリー)のバック・バンドは実はすごいメンバーだった! - Middle Edge(ミドルエッジ)
沢田研二さんのバックで演奏していたエキゾティクスを覚えていますか?ジュリーと同じくきらびやかな姿で演奏し、バックバンドというよりも、ジュリーがボーカルの一つのバンドのように、かっこよかった彼ら‥‥実は、すごいメンバーだった!
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