演歌界の歌姫・八代亜紀さん
八代亜紀さんの経歴
1950年、熊本県八代市に生を受けた八代亜紀さん。父親は浪曲の歌い手で、彼女は幼い頃から浪曲を子守唄代わりに聴いて育ったそうです。幼少期から歌姫としての片鱗を見せ、地元の歌唱コンクールに出場するほど歌が大好きだったといいます。
八代亜紀さんが小学5年生の時、父親が買ってきたジュリー・ロンドンのレコードを聴いて、その美声に魅入られるように。自分のハスキーな声質にコンプレックスを感じていたようですが、ジュリーのハスキーボイスの影響を受けて、クラブ歌手になることを夢見るようになります。
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地元の公立中学校を卒業した八代亜紀さんは、そのまま九州産業交通に就職。バスガイドとして勤務するも、歌手になる夢を諦めきれず、15歳の時に父親の反対を押し切ってまで上京されました。その後、銀座でクラブ歌手になり、スタンダードやポップスなどの歌謡曲を披露されていたそうです。
1971年、テイチクよりシングル『愛は死んでも』を発売して歌手デビュー。
この時期、読売テレビのオーディション番組『全日本歌謡選手権』にも出場し、10週連続で勝ち抜くという快挙を果たしてグランドチャンピオンに輝きました。
この時期、読売テレビのオーディション番組『全日本歌謡選手権』にも出場し、10週連続で勝ち抜くという快挙を果たしてグランドチャンピオンに輝きました。
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1973年に発売したシングル『なみだ恋』は120万枚を超える売上枚数を記録し、その後も続々とヒット曲を連発させます。
1980年に発売したシングル『雨の慕情』では日本レコード大賞を受賞し、NHK紅白歌合戦では2年連続で大トリを務めて”演歌の女王”と呼ばれるようになりました。
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1987年には個人事務所を設立。それ以降、演歌にとらわれず、ポップスやバラード調など幅広いジャンルの歌も歌うように。
2012年にはジャズアルバム『夜のアルバム』を発売。こちらは世界75カ国にも同時配信され、歌手活動42年目にして世界デビューを飾りました。
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iTunes Storeジャズチャートにおいては、マレーシア1位、シンガポール2位、台湾4位、香港7位にランクインして世界的なヒット作になりました。
2013年にはニューヨークの名門ジャズクラブ・バードランドでライブを開催。こちらでは世界的にも有名なジャズ歌手のヘレン・メリルさんをゲストに招いて、初共演が実現しています。
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NHK総合で放送されたドキュメント番組『演歌の女王 ジャズを歌う~八代亜紀・ニューヨークでの挑戦~』では、このライブの模様が紹介され、現在は演歌のコンサートとともにジャブライブも積極的に行なっているようです。
八代亜紀さんは歌手としてだけではなく、その美貌が注目され、女優・タレントとしても幅広く活躍されていますよね。
八代亜紀さんは歌手としてだけではなく、その美貌が注目され、女優・タレントとしても幅広く活躍されていますよね。
八代亜紀さんにまつわるエピソード
厚化粧で笑うとヒビが入る!?
日本人離れした彫りの深さから、一時期は厚化粧のイメージが強かった八代佐紀さん。
ビートたけしさんが漫才で、「厚化粧で笑うとヒビが入る」とネタにしていたことが発端となったのでしょうか。
ビートたけしさんが漫才で、「厚化粧で笑うとヒビが入る」とネタにしていたことが発端となったのでしょうか。
そして、替え歌で有名な嘉門達夫さんのネタにもなり、”誰も知らない素顔の八代亜紀”のフレーズはその印象に拍車を掛けました。
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しかし、言われっ放しではなかった八代亜紀さん。その後、彼女は化粧品のテレビCMに出演してすっぴんを披露すると、テレビ画面を通して、嘉門達夫さんに対して「ざまぁみろ!」というセリフを発していました。
そのテレビCM動画は見付かりませんでしたが、八代亜紀さんがすっぴんを披露している別CMの情報をキャッチ。
そのテレビCM動画は見付かりませんでしたが、八代亜紀さんがすっぴんを披露している別CMの情報をキャッチ。
超ウケるD-RoomのCM
上野樹里が
テレビを見ていると・・・
テロップに「八代亜紀」と。
ところが、出てこない。
生年月日:1950年8月29日
出生地 :熊本県八代市
職業 :歌手
女優
画家
活動期間:1971年~