宇佐美ゆかりのプロフィール
via www.amazon.co.jp
まずは宇佐美ゆかりのプロフィールからご紹介します。
本名:金城ゆかり
生年月日:1968年4月2日
出身地:沖縄県浦添市
血液型:O型
デビューのキッカケ:中学2年の時に姉が「スカイコーポレーション」のタレントオーディションに姉がコッソリ応募、そして審査員の時任三郎らに選ばれて合格を果たしています。
家族がコッソリ応募するパターンは、結構聞きますよね。
当時ショートカットに日焼けした肌、健康美のイメージが若松みゆきのイメージにピッタリだと思っていましたが、沖縄県出身という事で納得です。
そして井筒和幸監督の映画「みゆき」のオーディションに参加し、見事主役の座を射止めました。
本名:金城ゆかり
生年月日:1968年4月2日
出身地:沖縄県浦添市
血液型:O型
デビューのキッカケ:中学2年の時に姉が「スカイコーポレーション」のタレントオーディションに姉がコッソリ応募、そして審査員の時任三郎らに選ばれて合格を果たしています。
家族がコッソリ応募するパターンは、結構聞きますよね。
当時ショートカットに日焼けした肌、健康美のイメージが若松みゆきのイメージにピッタリだと思っていましたが、沖縄県出身という事で納得です。
そして井筒和幸監督の映画「みゆき」のオーディションに参加し、見事主役の座を射止めました。
映画「みゆき」
via www.amazon.co.jp
「みゆき」とは「タッチ」が国民的な人気を獲得したあだち充の、大ブレイク直前の作品です。
1980年~1984年まで少年ビッグコミックにて連載されていました。
テレビアニメ化も1983年3月~1984年4月までされています。
作者のあだち充には妹がいなかった為に、理想の妹を描きたいというコンセプトから始まっています。
前作「ナイン」のガラッパチな妹キャラをメインにする予定でしたが、しっとりとした女性ヒロインもいた方が良いと担当編集者からアドバイスを受けました。
そして鹿島みゆきというもう一人のヒロインを作ったそうです。
この担当さんのアドバイスは絶妙ですね。
当時若松みゆきが人気でしたが、鹿島みゆき派もいて、ライバル意識もあり、またどちらか好きな方に感情移入出来るという相乗効果もありました。
映画の依頼を受けた井筒和幸監督は、「内容のなさに呆れた」とコメントを残していますが、笑いあり、ちょっとエッチな描写あり、兄妹のほろり感ありのかなりの良作です。
1980年~1984年まで少年ビッグコミックにて連載されていました。
テレビアニメ化も1983年3月~1984年4月までされています。
作者のあだち充には妹がいなかった為に、理想の妹を描きたいというコンセプトから始まっています。
前作「ナイン」のガラッパチな妹キャラをメインにする予定でしたが、しっとりとした女性ヒロインもいた方が良いと担当編集者からアドバイスを受けました。
そして鹿島みゆきというもう一人のヒロインを作ったそうです。
この担当さんのアドバイスは絶妙ですね。
当時若松みゆきが人気でしたが、鹿島みゆき派もいて、ライバル意識もあり、またどちらか好きな方に感情移入出来るという相乗効果もありました。
映画の依頼を受けた井筒和幸監督は、「内容のなさに呆れた」とコメントを残していますが、笑いあり、ちょっとエッチな描写あり、兄妹のほろり感ありのかなりの良作です。
宇佐美ゆかりはガラッパチな妹キャラの若松みゆきを演じています。
鹿島みゆき役に三田寛子。
兄の若松正人役に永瀬正敏と、役柄にあったキャストになっていました。
鹿島みゆき役に三田寛子。
兄の若松正人役に永瀬正敏と、役柄にあったキャストになっていました。
via www.bing.com
宇佐美ゆかりの出演作とシングル
via www.amazon.co.jp
宇佐美ゆかりの映画「みゆき」以外での活躍をご紹介します。
翌1984年3月には、「蒼い多感期」のシングルをリリースして、歌手としの活動もスタートさせました。
1985年10月に最後のシングル「恋はDancing」を発売するまで、立て続けに6曲リリースしています。
翌1984年3月には、「蒼い多感期」のシングルをリリースして、歌手としの活動もスタートさせました。
1985年10月に最後のシングル「恋はDancing」を発売するまで、立て続けに6曲リリースしています。
via www.bing.com
蒼い多感期 (1984年3月21日)(売野雅勇/後藤次利/後藤次利)(カネボウ「マイデイト」 CMソング)
(c/w) と・き・め・きタイフーン
SHOCK! (1984年6月21日)(岩里祐穂/後藤次利/後藤次利)
(c/w) トビウオたちの夏
ツライ・キライ・クライMAX (1984年9月5日)(岩里祐穂/後藤次利/後藤次利)
(c/w) 日焼けをセメて泣かないで
アルカリ少年(boy) (1984年11月21日)(売野雅勇/後藤次利/後藤次利)
(c/w) 北風スクリーン
風のプリマドンナ (1985年6月5日)(高橋研/陣内孝則/鳥山雄司)(映画『Vマドンナ大戦争』主題歌・ポッカ「BEATCH BOY」CMソング)
(c/w) 少女失格
恋はDancing (1985年10月5日)(都志見隆/都志見隆/椎名和夫)
(c/w) 涙色セブンティーン
ドラマも1983年にフジテレビの月曜ドラマランド「胸さわぎの放課後」「胸さわぎの放課後2」に出演。
1984年には同じく月曜ドラマランド「あ!Myみかん」で主演を務め、有名な「オレゴンから愛」にも出演しています。
そして1985年の「名探偵はひとりぼっち」が最後のドラマ出演となっています。
映画は1985年にも「V.マドンナ大戦争」で主演を務めました。
活動期間は短いですが、歌手に女優にかなり活躍しているのですよね。
1984年には同じく月曜ドラマランド「あ!Myみかん」で主演を務め、有名な「オレゴンから愛」にも出演しています。
そして1985年の「名探偵はひとりぼっち」が最後のドラマ出演となっています。
映画は1985年にも「V.マドンナ大戦争」で主演を務めました。
活動期間は短いですが、歌手に女優にかなり活躍しているのですよね。
なぜ引退してしまったのか?
via www.amazon.co.jp
実は1984年に大ヒットした大映ドラマ「不良少女と呼ばれて」の主演には宇佐美ゆかりが内定していたのです。
不良役という事で事務所が難色を示したために、辞退を余儀なくされてしまったのでした。
代役のいとうまい子が好演し、その後いとうまい子は数々のドラマに主演し、現在も活躍しています。
また1985年には「スケバン刑事」の主演に選ばれますが、松竹からの強いオファーで「V.マドンナ大戦争」の主演が決まり、同時期の撮影だったために「スケバン刑事」も辞退することになってしまいました。
こちらの「スケバン刑事」斉藤由貴が務め大ヒット。
南野陽子や浅香唯の主演で続編も制作されるほどの、1980年代を代表するドラマシリーズの1つとなりました。
斉藤由貴も今も活躍していますので、タラればになってしまいますが、宇佐美ゆかりが「不良少女と呼ばれて」や、「スケバン刑事」に主演していたら、息の長い女優さんになっていたのでは…と思わずにいられません。
不良役という事で事務所が難色を示したために、辞退を余儀なくされてしまったのでした。
代役のいとうまい子が好演し、その後いとうまい子は数々のドラマに主演し、現在も活躍しています。
また1985年には「スケバン刑事」の主演に選ばれますが、松竹からの強いオファーで「V.マドンナ大戦争」の主演が決まり、同時期の撮影だったために「スケバン刑事」も辞退することになってしまいました。
こちらの「スケバン刑事」斉藤由貴が務め大ヒット。
南野陽子や浅香唯の主演で続編も制作されるほどの、1980年代を代表するドラマシリーズの1つとなりました。
斉藤由貴も今も活躍していますので、タラればになってしまいますが、宇佐美ゆかりが「不良少女と呼ばれて」や、「スケバン刑事」に主演していたら、息の長い女優さんになっていたのでは…と思わずにいられません。
via www.amazon.co.jp
宇佐美ゆかりの同期には、菊池桃子と岡田有希子という2大アイドルがいました。
月間平凡の上半期新人人気投票でベストテン入りした菊池桃子と一緒に「桃子とゆかり」というグラビア連載を受け持つ事になりましたが、企画リクエストのハガキは菊池桃子ばかりで、宇佐美ゆかりはゼロだったということもあります。
それでも継続しようとしていた月間平凡でしたが、露骨な待遇の差にショックを受けて、連載辞退を自ら申し出る羽目になってしまいました。
初回撮影時に数時間前から準備していたのに、学業優先で掃除当番まで終えてから撮影入りした菊池桃子はたった数分で撮影し、帰宅してしまったそうです。
またレコード会社の一押しの岡田有希子と発売時期が重なったため、デビュー日が入れ替わり、岡田有希子より1か月早くデビューし、新人賞レースは岡田有希子が優位とは言えない状況になりました。
そんな気まずさから、賞レースも辞退しています。
菊池桃子と岡田有希子はアイドル達の中でも、際立って輝いていたので引き立て役のように感じて
しまったのかもしれません。
月間平凡の上半期新人人気投票でベストテン入りした菊池桃子と一緒に「桃子とゆかり」というグラビア連載を受け持つ事になりましたが、企画リクエストのハガキは菊池桃子ばかりで、宇佐美ゆかりはゼロだったということもあります。
それでも継続しようとしていた月間平凡でしたが、露骨な待遇の差にショックを受けて、連載辞退を自ら申し出る羽目になってしまいました。
初回撮影時に数時間前から準備していたのに、学業優先で掃除当番まで終えてから撮影入りした菊池桃子はたった数分で撮影し、帰宅してしまったそうです。
またレコード会社の一押しの岡田有希子と発売時期が重なったため、デビュー日が入れ替わり、岡田有希子より1か月早くデビューし、新人賞レースは岡田有希子が優位とは言えない状況になりました。
そんな気まずさから、賞レースも辞退しています。
菊池桃子と岡田有希子はアイドル達の中でも、際立って輝いていたので引き立て役のように感じて
しまったのかもしれません。
あ 2022/11/19 21:45
宇沙美だし・・・
📺♪ PREF.GUNMA 2021/12/24 13:51
実写はきになっても聖地の独立UHFでリメイクするという発想があまりない・・・
思い切ってあだち先生は「群馬テレビ」大今先生のあの障がいものは「ぎふチャン」
超平和バスターズは「テレ玉」でオリジナルに作ってください