三田寛子のプロフィール
名前:中村敦子(なかむらあつこ)旧姓稲垣
生年月日:1966年1月27日
出身地:京都府京都市
最終学歴:明治大学中野高校定時制
(同級生には、中森明菜やシブがき隊(薬丸裕英・本木雅弘・布川敏和などが在籍)
デビューのきっかけ:1980年に雑誌セブンティーンのモデルに応募、合格して芸能界入りします。
1981年にTBSドラマ「2年B組仙八先生」に出演し高坂ひとみ役でデビュー。
1982年には「駆けてきた処女」をリリースし、歌手としてもデビューします。
伝説のアイドル 三田寛子「駆けてきた処女」
京都の染物屋のお嬢様らしく、清楚でオットリした印象ですよね。
火曜日歌謡曲DUCKS!
— DUCKS!OSAKA (@DUCKS_OSAKA) March 5, 2019
火曜日はみんな大好きJPOP♡
お気に入り聴いてたのしも♪
ファイト!ちえみちゃん!てことで堀ちえみちゃんもかかりますよ♪#堀ちえみ #花の82年組
土曜はいよいよBEAT OF BEING-ビーイングナイト-#ビーイング pic.twitter.com/3APeFOav8S
明大中野高校同級生の中森明菜やシブがき隊のほか、堀ちえみ、早見優、松本伊代など今も芸能界で活躍を続ける曹操たるメンバーがそろっています。
映画「みゆき」の鹿島みゆき役
1983年に実写化されました。
主人公の真人は夏休みに同級生の親戚が営む海の家で、恋心を抱くクラスのマドンナである鹿島みゆきと共にバイトし、客として現れた若松みゆきにも妹と知らず恋心を抱くというストーリーです。
若松みゆきは父親と共に長く海外で暮らしていて、そのまま海外暮らし。妹のみゆきのみ帰国し兄妹2人で一つ屋根の下に暮らします。
そして両親が再婚した時には、既にみゆきがいた事を思い出し、血が繋がっていない事に気付いてしまいました。
でも彼女になった鹿島みゆきも魅力的で、揺れ動きながらあくまで若松みゆきには妹として接しますが…
三田寛子は鹿島みゆき役を演じています。
若松みゆきが妹タイプでおきゃんな性格に対し、大人しくて優等生なタイプの鹿島みゆきには、三田寛子がピッタリと思うっていましたが、こんな意見がありました。
未DVD化作品。
当時、地元の映画館(名画座)でやってて見に行った記憶を元にレビュー。
何と井筒和幸監督作品。
井筒監督は監督のオファーを受けて初めて原作を読み「内容の無さに愕然とした」らしくこんな物を撮らねばならない「苦行」に鬱になり抗うつ薬を投与されながら何とか撮りあげたと言う或る意味壮絶な作品。
あだち充作品の中でも『みゆき』はヒット作のわりに不遇の作品のイメージがある。
アニメ化映画化されるもどっちも中途半端な出来。
あだち充先生はキャラの描き分けが出来ないと自ら語っていて『タッチ』の達也『みゆき』の真人、そして最新作『MIX』の投馬の三人は言わばスターシステムによる同一のキャラクターとの事。
他の二つと違い主人公・真人は野球をしない。
ラブコメ主体の作品ですが、真人を演じたのは何とこれまた若き日の永瀬正敏。
永瀬正敏の真人はマンガのイメージに近い印象との記憶が。
ただ肝心の二人のみゆきが特に鹿島みゆきの三田寛子が似てる似てない以前に、あだち充マンガお約束のビキニや美少女キャラがやたら脱ぐ、お色気シーン等の演出が流石に事務所的にNGなのは言うまでもないので脱ぎっぷりが悪い。
原作でも重要な「黒ビキニ」エピソードに関して。
確かみゆき(三田寛子の方)の黒ビキニを真人が盗んだ下着泥棒と誤解されひっぱたかれるシーンはあったのに肝心のみゆきの黒ビキニ姿がない。
真人がみゆきのパンチーを持って「ムフ❤」
もないし。
永瀬正敏がもしアレやってたらフィルモグラフィー最大の黒歴史だったと思う。
妹の方の正ヒロインみゆき役の宇佐美ゆかりはこれがデビュー作で次の『Vマドンナ大戦争』を最後に引退したというのは何だか寂しいかぎり。
思わずビキニのパンティーを持っていってしまいます。
女子たちの会話で、黒のビキニが鹿島みゆきの物らしい事や、鹿島みゆきが真人に思いを寄せているらしい事を聞いてしまいました。
その後2人は良い雰囲気となりますが、黒ビキニのパンティーを持っていたために泥棒と誤解されて、引っぱたかれて天国から地獄に突き落とされてしまいます。
その時に真人が黒ビキニパンティーを持って「ムフ」とニヤニヤするシーンは映画版は大人の事情でカットされたとのことで、確かに「みゆき」の真骨頂が描かれていません。
アイドルが出演する映画の限界という事でしょう。
お色気シーンがカットされたために、実写では充分に「みゆき」を描き切れなかったようです。
ちょっと残念ですね。
でも個人的にはお嬢様でオットリ系の三田寛子の鹿島みゆき役はイメージに合っていると思いました。
ちなみに真人役は永瀬正敏。
若松みゆき役は宇佐美ゆかりが務めています。
その後の三田寛子
そして笑っていいともの「寛子のお菓子大好き」のコーナーで、天然キャラでブレイクした三田寛子は、バラエティーでも活躍を続けていました。
1991年には歌舞伎役者の中村橋之助と結婚し、第1子の流産を乗り越え、3人の男児に恵まれています。
夫と息子たちを支える梨園の妻として、縁の下の力持ちとして頑張っていました。
12月下旬のある夜、京都市中心部の高級ホテルに、歌舞伎役者の八代目中村芝翫(なかむらしかん・56)の姿があった。黒のセーターにマスク姿の芝翫は、携帯電話でヒソヒソと話しながら、ホテル内の鉄板焼き店に一人で入店する。その直後、ホテルのフロントに帽子を目深に被った女性がスーツケースを持って到着。茶髪のストレート、目元のハッキリとした熊田曜子似のこの美女は、チェックインすると、芝翫のいる鉄板焼き店に入店した。その後、お店はクローズの看板を掲げ、貸し切りとなった店内で、芝翫と女性の逢瀬は深夜まで続いた。
【写真44枚】3度目の「不倫密会」周囲に気づかれないよう接近する芝翫とAさん
退店後、2人は店前で一度別れ、芝翫は一人でホテル7階の客室へ。数分後、女性も後を追うように、芝翫と同じ7階に向かった。2人の部屋は、廊下を挟んで対面に位置する。そして客が寝静まった夜半、自室を出た芝翫は、女性の部屋へと吸い込まれていった
真偽は不明ですが、2016年の最初の不倫報道時には、自宅で詰めかけた報道陣に対し真摯に対応し、夫を庇う神対応が絶賛された三田寛子。
夫の中村芝翫は、三田寛子が結婚後3年間不妊治療を続け、落ち込んでいた時に支えてくれたそうです。
2021年1月にもファンの女性との不倫をスクープされた中村芝翫でしたが、この時も三田寛子は離婚を否定しています。
夫婦の絆は部外者にはわからない物ですよね。
不倫はしても一番大切なのは妻の三田寛子だという事は、夫婦の共通認識なのでしょうね。
まとめ
オットリ系だけど芯が強い三田寛子。
若い頃もとても可愛いですが、現在はますます素敵な女性になっています。
今後の活躍も期待したいですね!