どう見てもイロモノだったバンド「たま」
当時は誰もが山下清似のドラマーの真似をして
「木星に着いたよー。」
「着いたー。」
このリフレインを楽しんでいたはず。そんな栄光のバンド「たま」を振り返ってみよう!
当時は誰もが山下清似のドラマーの真似をして
「木星に着いたよー。」
「着いたー。」
このリフレインを楽しんでいたはず。そんな栄光のバンド「たま」を振り返ってみよう!
たまは日本のロックバンド。フォークロックを基調とした独特の音楽で異彩を放った。1984年に3人で結成され、1986年に4人となり、1990年にメジャーデビューしてたま現象とも言われるほど話題になった。1996年から再び3人になり、2003年に解散した。
たま(バンド)のメンバー
知久寿焼
知久 寿焼(ちく としあき、1965年2月10日 - )は、日本のミュージシャン。本名:知久 寿明(読みは同じ)。埼玉県川口市宮町(後に区画整理によって南町2丁目となる。)[1]出身。埼玉県立川口高等学校卒業。身長165cm。現在は東京都杉並区在住。
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柳原陽一郎
柳原 陽一郎(やなぎはら よういちろう、1962年8月5日 - )は日本のミュージシャン。本名同じ。旧芸名は柳原 幼一郎。福岡県福岡市出身。血液型B型。埼玉県立春日部高等学校、成城大学経済学部卒業。愛称はヤナちゃん。
全員が作詞作曲およびボーカルを担当する[1]。 楽器はアコースティックギター、ベースに加えアコーディオン、足踏みオルガン、リコーダー、桶(檜製)・鍋・空き缶などを駆使したパーカッションを用いるなど、生楽器を中心としながらも奇抜な構成、音空間を生かしながら練られた楽曲、そして日本的な陰翳に富んだ幻想的な歌詞が特徴。音楽的にはフォークの影響が強いが、日本のフォークロックでは珍しく、アメリカン・フォークのようにハーモニーを重視していた点が特徴である。キーボード担当の柳原脱退後の1996年からは、アコースティックな音の中にシンセサイザーやサンプラーを取り入れた曲を作っていった。
イカ天出演で全国区に躍り出ちゃいます
『三宅裕司のいかすバンド天国』(みやけゆうじのいかすバンドてんごく)とはTBSで放送された深夜番組『平成名物TV』の1コーナーである。1989年2月11日に始まり、1990年12月29日に多くのバンドを輩出して幕を閉じた。その後2007年12月30日に「あの伝説の番組再び!"イカ天2007復活祭"名物バンド激レア映像 今夜限りの大放出スペシャル」と題し、17年ぶりに復活した。
イカ天 たま ロシアのパン - YouTube
イカ天4週目のたまです。 すばらしい演奏ですね。
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この回は番組史上初の外国人バンドTOKIO ROSEがチャレンジャー賞を有力視されていたが、これに競り勝って見事チャレンジャー賞の栄冠に輝き、サイバーニュウニュウを審査員投票5対2で倒して14代目イカ天キングとなる。
1990年、シングル『さよなら人類』でメジャーデビュー。
当時の小学生がよく真似していた歌がこの「さよなら人類」
山下清をモデルにしたドラマ「裸の大将放浪記(芦屋雁之助版)」が放映中だったこともあり、坊主頭にタンクトップが非常にインパクトがあった。
山下清をモデルにしたドラマ「裸の大将放浪記(芦屋雁之助版)」が放映中だったこともあり、坊主頭にタンクトップが非常にインパクトがあった。
イカ天 たま さよなら人類 - YouTube
たま、イカ天の時の演奏です。名曲です。 たまの皆さま、とっても個性的ですね。
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オリコン初登場1位、売上げ58.9万枚を記録し、NHK紅白歌合戦への出場も果たす。バンドは「たま現象」と呼ばれる社会現象的な人気を獲得し、「たま現象」の語は1990年の『現代用語の基礎知識』にも収録された。4人ともに作曲を行うものの、たまの代表曲のほとんどは知久と柳原の手によるものであったため、バンドをビートルズ、知久と柳原をジョンとポールに擬する言説もあった(『たまの本』竹中労)。
バンドブームの終焉から「たま」解散まで
1992年頃にはバンドブームも下火になり、「オゾンのダンス」以降は次第にヒットチャートやメディアに現れることも無くなっていったが、マイペースに活動を継続。吉祥寺などのライブハウスで「月例会」と称した月一回の定期ライブも行っていた(2002年1月まで)。
たま - オゾンのダンス - YouTube
たま TAMA Live
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