昭和天皇崩御に伴う深夜番組の自粛ムードも治まった頃、SET(スーパーエキセントリックシアター)の座長三宅裕司の番組が始まったんだなと見始めた「イカ天」。審査員のコメントが面白かったのと、自分の中の洋楽への飽きから来るアマチュア系のバンドへの興味、画面の端にときたま見え隠れする同級生のAD。。。後半は見なくなって、いつの間にか終わっていた感もあるが、前半に登場したバンド、特に初代キングとなった「FLYING KIDS」は「、BEGIN」「たま」と一緒に強烈に印象に残った。
登場したバンドの中では「人間椅子」や、多分、ひやかし程度の気分だったろう「赤と黒」の方が好きだったが、デビュー曲「幸せであるように」は、とても歌い易く、自分の中では当時を振り返る代表曲となっている。
登場したバンドの中では「人間椅子」や、多分、ひやかし程度の気分だったろう「赤と黒」の方が好きだったが、デビュー曲「幸せであるように」は、とても歌い易く、自分の中では当時を振り返る代表曲となっている。
バンドの概要
FLYING KIDSは1989年3月4日TBSのバンドオーディション番組「平成名物TV・三宅裕司のいかすバンド天国」に出場、キングであったGENを倒して3代目イカ天キングとなる。その後、4週連続勝ち抜き、4月8日放送分ではワールド・ミュージック風の楽曲を引っさげて挑んできたチャレンジャーのKUSU KUSU(楽曲は「オレンヂバナナ」)を倒して5週勝ち抜き達成、初代グランドキングとなり、シングル「幸せであるように」でメジャーデビューした。
初期にはファンクミュージックを前面に出した曲を中心に、1994年頃からは「恋の瞬間」「風の吹き抜ける場所へ」「とまどいの時をこえて」等ポップ路線を取り入れていった。その後も「暗闇でキッス〜Kiss in the darkness〜」「ディスカバリー」などのスマッシュヒットを連発した。
1998年12月12日に解散した。
2007年8月18日、『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2007 in EZO』で、浜谷淳子を除くオリジナルメンバー6人で再結成した。
FLYING KIDS/幸せであるように [MUSIC VIDEO CLIP] - YouTube
FLYING KIDSのデビュー曲であり代表曲。ソウルミュージックを独自の解釈をもってポップフィールドに挑んだ奇跡のバラッド。オジリナルリリース日:1990年4月4日
via www.youtube.com
バンドメンバー
代表的な楽曲
FLYING KIDS - 君とサザンとポートレート(Music Video) 深津絵里&泉谷しげる - YouTube
7枚目のシングル。1992年11月21日発売
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FLYING KIDS/風の吹き抜ける場所へ(Growin' Up,Blowin' In The Wind) [MUS - YouTube
フライングキッズ最大のヒットチューン。某アパレルチェーン夏のキャンペーンソングであった。オリジナルリリース日:1994年6月22日
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FLYING KIDS/暗闇でキッス~Kiss in the darkness~ [MUSIC VIDEO CLIP] - YouTube
カウンドダウンTVテーマソング。夏の終わりの甘く切ないラブソング。オリジナルリリース日:1995年8月21日
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いかすバンド天国とは
イカ天キングとチャレンジャー賞受賞者との対決で、7人の審査員の多数決で決まる(スタート当初は審査員は5人)。丸(金色)のキングの札(イカ審棒と呼ばれた)が4人以上なら勝ち抜き、四角(焼肉の網を模した形)のチャレンジャーの札が4人以上なら新キング誕生(キングには1週勝ち抜くごとに10万円の賞金が出、楽器がプレゼントされた)。キングとなった週を含め、5週勝ち抜きでグランドイカ天キングとなる。ちなみに1989年7月頃までの札は赤丸(キング)と青丸(チャレンジャー)で色分けされ、中にイカのロゴマークが入っていたものであった。この当時の審査員席は焼肉を焼くホットプレートのような卓の周りを5人が囲んで座るといった体裁であった。
なおキングのグランドキング挑戦の週には強力なチャレンジャーがぶつけられることがセオリーとなっており、FLYING KIDSをあわやというところまで追い詰めたKUSU KUSU(人気投票連続11週1位)、たまとマルコシアス・バンプの対決など名勝負や圧倒的な実力差でBEGINがNORMA JEANのグランドキングを阻止した際のラッシャー木村の「耐えて燃えろ!」などの名言を生んでいる。
『三宅裕司のいかすバンド天国』(みやけゆうじのいかすバンドてんごく)とはTBSで放送された深夜番組『平成名物TV』の1コーナーである。1989年2月11日に始まり、1990年12月29日に多くのバンドを輩出して幕を閉じた。
「イカ天」が公式な通称であるために「イカすバンド天国」と誤記されることが多いが、「いかす」をひらがなで書くのが正式な表記である。
なお、この番組に出場したバンドの総数は846組であった。
「FLYING KIDS」は昭和が終わり、平成のスタートとともに始まった音楽オーディション番組「三宅裕司のいかすバンド天国」の初代グランドキングとして、バンドのプロキャリアをスタートさせた。ファンキーなサウンドは一般よりもプロ向きであったと思う。
番組終了後も順調に見えた彼らのキャリアだが、飽きっぽい大衆は、バンドブームの終焉と時を同じくするように彼らのことを忘れていった。
イカ天のグランドキングは、彼らを初代として、以下のバンドが選ばれた。
・「BEGIN」
・「たま」
・「マルコシアス・バンプ」
・「LITTLE CREATURES」
・「BLANKEY JET CITY」
・「PANIC IN THE ZU」
個人的な印象では、後半にグランドキングに選ばれたバンドは、メジャーデビューという恩恵を受けながら、「FLYING KIDS」ほど「イカ天」デビューというイメージを引き摺っていないように思う(但し、「PANIC IN THE ZU」はメジャーデビューしていない)。
番組終了後も順調に見えた彼らのキャリアだが、飽きっぽい大衆は、バンドブームの終焉と時を同じくするように彼らのことを忘れていった。
イカ天のグランドキングは、彼らを初代として、以下のバンドが選ばれた。
・「BEGIN」
・「たま」
・「マルコシアス・バンプ」
・「LITTLE CREATURES」
・「BLANKEY JET CITY」
・「PANIC IN THE ZU」
個人的な印象では、後半にグランドキングに選ばれたバンドは、メジャーデビューという恩恵を受けながら、「FLYING KIDS」ほど「イカ天」デビューというイメージを引き摺っていないように思う(但し、「PANIC IN THE ZU」はメジャーデビューしていない)。
見ていた側の勝手な妄想と言われてしまうとそれまでだが、「FLYING KIDS」は、「BEGIN」や「たま」に比べると、「イカ天」の影響をずっと引き摺っていたように思う。
と言うか、「ああ、イカ天のバンドだよね」と思ってしまうバンド。
列の先頭を走る者の思いはこちらから窺い知れないけれど、「初代」と付くとその先頭に勝手に立たされて走らされているイメージもあるし、「イカ天」という番組に対してプロに近いアマチュアやスタジオミュージシャンなどのセミプロを出してるんだろうなという思いもあったし、そんな点もあって番組の盛上げ役を番組が終わってもずっと担っている。。。
「FLYING KIDS」に対しては、今もこんな思いのままだ。
と言うか、「ああ、イカ天のバンドだよね」と思ってしまうバンド。
列の先頭を走る者の思いはこちらから窺い知れないけれど、「初代」と付くとその先頭に勝手に立たされて走らされているイメージもあるし、「イカ天」という番組に対してプロに近いアマチュアやスタジオミュージシャンなどのセミプロを出してるんだろうなという思いもあったし、そんな点もあって番組の盛上げ役を番組が終わってもずっと担っている。。。
「FLYING KIDS」に対しては、今もこんな思いのままだ。