ニュータイプロックバンド『YBO²』。正式呼称は「イボイボ?」
via www.geocities.jp
1986年、ナゴムレコードやキャプテンレコードと共にサブカルチャーの一端を担ったインディーズロックレーベル「トランスレコード」の代表である北村昌士が結成したバンドがこの「YBO²」です。
パンク、メタル、ノイズ、エスニック・・・どのジャンルに属することもなく新しいロックを追求したスタイルは熱狂的なインディーズロックファンを虜にしました。
パンク、メタル、ノイズ、エスニック・・・どのジャンルに属することもなく新しいロックを追求したスタイルは熱狂的なインディーズロックファンを虜にしました。
もともとはイボイボであり、そもそもマンガのいぼぐりくんから拝借して名付けたともいわれる。
のちにバンドをひきいる北村昌士はYBO2を「ワイビーオーツー」と呼ぶようにと言ったそうだが。
変拍子等を多用した複雑な構成の楽曲と、不安を掻き立てるようなヒステリックなボーカルは、ディス・ヒートらに通じる音楽性を感じさせ、興隆しつつあった日本のインディーズシーンを代表する存在と目された。
奇書「ドグラマグラ」の世界観を聴覚に訴える
YBO²は結成と同年の1986年、北村が主催するトランスレコードから1st.シングル『Doglamagla』をリリース。
幻想小説家 夢野久作の大作、日本三大奇書として数えられる「ドグラ・マグラ」の一文を抜粋し歌詞に起用したこの作品はリスナーに衝撃を与えました。
幻想小説家 夢野久作の大作、日本三大奇書として数えられる「ドグラ・マグラ」の一文を抜粋し歌詞に起用したこの作品はリスナーに衝撃を与えました。
YBO2- Doglamagla / Ural (1985) - YouTube
via www.youtube.com
轟音の演奏の中からきこえるハウリング・ノイズ。呪詛のようなボーカルは中毒性さえ感じさせます。
外道祭文キチガイ地獄。
さても地獄をどこぞと問えば。娑婆しゃばというのがここいらあたりじゃ。
ここで作った吾が身の因果が。やがて迎えに来るクル、クルリと。
眼玉まわして乗る火の車じゃ。
YBO²のメンバー
via blogs.c.yimg.jp
ボーカル、ベース、メロトロン:北村昌士
ギター:栗原道夫(ゴースト、The Stars、White Heaven他)→KK NULL(ZENI GEVA)→森川誠一郎(Z.O.A)→河本英樹(ルインズ)→浅沼隆→解散、一時再結成時、KK NULL、田畑マラ(ZENI GEVA)→2000年に復活、栗原道夫、KK NULL、森川誠一郎→藤井政英
ドラマー:上野山好紀→長谷川洋(ASTRO)→吉田達也→解散後、一時再結成時、佐藤カツ→2000年に復活、上野山好紀、吉田達也→岸沢光正
※結成時1984年内のみ北村がVo兼Key.でBassに野沢美香がいた。
幻のインディーズレーベル「トランスレコード」
via pbs.twimg.com
かつて存在した幻のインディーズレーベル「トランスレコード」の代表がボーカルの北村でした。
ポジティブパンク(現在でいうゴシック・パンク)やノイズ、ハードコアに至るまで、ポップで明るいパンク、ハードコアから溢れたダークな音楽をメインに多くの名盤をリリースしました。
自身のバンドYBO²はもちろん、Z.O.A、ASYLUM、SODOM等のサブカルチャー界で有名なバンドが所属していました。
ポジティブパンク(現在でいうゴシック・パンク)やノイズ、ハードコアに至るまで、ポップで明るいパンク、ハードコアから溢れたダークな音楽をメインに多くの名盤をリリースしました。
自身のバンドYBO²はもちろん、Z.O.A、ASYLUM、SODOM等のサブカルチャー界で有名なバンドが所属していました。
1980年代後半のインディーズシーンにおいて、ナゴムレコードやキャプテンレコードと共にサブカルチャーの一端を担っていた。
また、TRANS RECORDS所属のアーティストやバンドのおっかけをするファンが存在し、そういったファン達は「トランスギャル」と呼ばれていた。
北村昌士とFOOL'S MATE
via rockin-cheer.com
北村は1977年創刊のロック雑誌、「FOOL'sMATE」の初代編集長でもありました。
現在はビジュアル系ロックに焦点を当てた雑誌となっていますが、当時はインディーズシーンで活躍する多種多様なロックをとりいれた雑誌で、「西のロックマガジン」に対し、「東のFOOL'sMATE」と呼ばれていました。
誌上で難解なエッセイを書いたりしていた北村昌士は当然YBO²の情報も掲載。YBO²が広く知られるきっかけになりました。
その後、YBO²は1990年に活動停止。2000年に復活を果たしますが北村が2006年6月17日に49歳の若さで急逝しました。
アバンギャルドな活動でインディーズロックシーンを牽引した北村の伝説は今でも多くの人々に語り継がれています。
現在はビジュアル系ロックに焦点を当てた雑誌となっていますが、当時はインディーズシーンで活躍する多種多様なロックをとりいれた雑誌で、「西のロックマガジン」に対し、「東のFOOL'sMATE」と呼ばれていました。
誌上で難解なエッセイを書いたりしていた北村昌士は当然YBO²の情報も掲載。YBO²が広く知られるきっかけになりました。
その後、YBO²は1990年に活動停止。2000年に復活を果たしますが北村が2006年6月17日に49歳の若さで急逝しました。
アバンギャルドな活動でインディーズロックシーンを牽引した北村の伝説は今でも多くの人々に語り継がれています。