後期(2) ~親友、テリーとの闘い!~
おまけ:ルー・テーズの決め顔(〃ω〃)
キャラクターたちのモデルは伝説の〇〇!!
1年間だけの連載でしたが、ここに古き良き昭和プロレスの原点、そして実物モデルそのものがキャラクターにもなっており、当時は興奮したものです!!
魅力あふれるキャラクターたちの実物モデルとはどのような人物だったのか、漫画中に登場するキャラクターの紹介も合わせて解説~!
魅力あふれるキャラクターたちの実物モデルとはどのような人物だったのか、漫画中に登場するキャラクターの紹介も合わせて解説~!
リッキー大和
全日本プロレス所属。
日本人レスラー故力王岩と、大金持ちの実業家であるアメリカ人の母との間に産まれる。
ルー・テーズを師とする。
NWA・AWA・WWWFの各団体すべての世界王座を獲得することが、師でもあるルー・テーズとの夢でもあり、最強のプロレスラーを目指す。
女好きでもあり、かわいい子がいると所かまわず口説いたりする。
調子のいい性格で、チャラけるときは「フニッ」が口癖。
激闘の末、NWAのジュニア王者となり、後にAWAのジュニア王座も獲得した。
日本人レスラー故力王岩と、大金持ちの実業家であるアメリカ人の母との間に産まれる。
ルー・テーズを師とする。
NWA・AWA・WWWFの各団体すべての世界王座を獲得することが、師でもあるルー・テーズとの夢でもあり、最強のプロレスラーを目指す。
女好きでもあり、かわいい子がいると所かまわず口説いたりする。
調子のいい性格で、チャラけるときは「フニッ」が口癖。
激闘の末、NWAのジュニア王者となり、後にAWAのジュニア王座も獲得した。
via リッキー台風
ルー・テーズ
リッキー大和の師。
モデルは、名通り「ルー・テーズ」
アメリカ合衆国のプロレスラー。ミシガン州バナット出身のハンガリー系アメリカ人。
16歳でのデビューから、74歳での引退まで実に58年間もの現役生活を通し、多くのレスラーから20世紀最強と呼ばれた不世出のレスラー。
ニックネーム「鉄人」、「20世紀最高のレスラー」
モデルは、名通り「ルー・テーズ」
アメリカ合衆国のプロレスラー。ミシガン州バナット出身のハンガリー系アメリカ人。
16歳でのデビューから、74歳での引退まで実に58年間もの現役生活を通し、多くのレスラーから20世紀最強と呼ばれた不世出のレスラー。
ニックネーム「鉄人」、「20世紀最高のレスラー」
via リッキー台風
<日本での試合>
1957年10月、日本プロレスに初来日。力道山とNWA世界ヘビー級選手権で2度にわたり名勝負を繰り広げた。
1966年2月28日、日本プロレスに特別参加し、ジャイアント馬場の持つインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦。結果は馬場が2度目の防衛に成功。
1973年10月14日、新日本プロレスに初登場、カール・ゴッチと組んでアントニオ猪木&坂口征二と「世界最強タッグ戦」を行う。このときテーズは57歳、ゴッチは49歳であったが、当時の両者の名声から、この年齢にかかわらず「世界最強タッグ」の看板に説得力を持った。
1990年12月26日、静岡県浜松アリーナで試合。蝶野正洋と対戦しSTFで敗れる。
…など、日本プロレスにも影響を与え、これ以外にも数々の試合に出場しており、まさに“鉄人”である。
このような人はもう二度と現れないであろう……
1957年10月、日本プロレスに初来日。力道山とNWA世界ヘビー級選手権で2度にわたり名勝負を繰り広げた。
1966年2月28日、日本プロレスに特別参加し、ジャイアント馬場の持つインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦。結果は馬場が2度目の防衛に成功。
1973年10月14日、新日本プロレスに初登場、カール・ゴッチと組んでアントニオ猪木&坂口征二と「世界最強タッグ戦」を行う。このときテーズは57歳、ゴッチは49歳であったが、当時の両者の名声から、この年齢にかかわらず「世界最強タッグ」の看板に説得力を持った。
1990年12月26日、静岡県浜松アリーナで試合。蝶野正洋と対戦しSTFで敗れる。
…など、日本プロレスにも影響を与え、これ以外にも数々の試合に出場しており、まさに“鉄人”である。
このような人はもう二度と現れないであろう……
via リッキー台風
力王岩
リッキー大和の父。
モデルは言わずもがな、「力道山」。
さすがに実名は出せなかった模様。
元力士、日本のプロレスラー
ニックネーム「日本プロレス界の父」
怪我をしてもすぐ出血が止まる体質だった。「額を割って血を流しても、ものの10分もすると赤チンをつけただけで血も出ていない」「骨が見えるぐらいの傷なのにすぐ血が止まる」と剱持松二が証言しているほどの強靭な肉体を持っていた。
モデルは言わずもがな、「力道山」。
さすがに実名は出せなかった模様。
元力士、日本のプロレスラー
ニックネーム「日本プロレス界の父」
怪我をしてもすぐ出血が止まる体質だった。「額を割って血を流しても、ものの10分もすると赤チンをつけただけで血も出ていない」「骨が見えるぐらいの傷なのにすぐ血が止まる」と剱持松二が証言しているほどの強靭な肉体を持っていた。
via リッキー台風
ナルシス・シュトラウス
新日本プロレス所属。
カール・ゴッチを師とする。
ギリシャ神話のナルキッソスから名をとっている。
モデルというのはないようだ。
名前の通りナルシストで相手を見下す小悪党な性格であったが、ジュニア王座トーナメントで対戦した際に相手を見下したことで負ける寸前まで追い込まれたことから、師ゴッチに指摘され、厳しく叱られてからは全力で倒すようになる。
リッキー終生のライバルとなるはずだったが、準決勝でリッキーと対戦し、リングアウトで破れて以降登場しなくなった…><
カール・ゴッチを師とする。
ギリシャ神話のナルキッソスから名をとっている。
モデルというのはないようだ。
名前の通りナルシストで相手を見下す小悪党な性格であったが、ジュニア王座トーナメントで対戦した際に相手を見下したことで負ける寸前まで追い込まれたことから、師ゴッチに指摘され、厳しく叱られてからは全力で倒すようになる。
リッキー終生のライバルとなるはずだったが、準決勝でリッキーと対戦し、リングアウトで破れて以降登場しなくなった…><
via リッキー台風
カール・ゴッチ
ナルシス・シュトラウスの師。
モデルは名通り「カール・ゴッチ」
ドイツ・ハンブルク出身とされているが、実際はベルギー出身と言われている。
ニックネーム「プロレスの神様」、「無冠の帝王」、「千の技を持つ男」、「秒の殺し屋」
得意技はジャーマン・スープレックス。
モデルは名通り「カール・ゴッチ」
ドイツ・ハンブルク出身とされているが、実際はベルギー出身と言われている。
ニックネーム「プロレスの神様」、「無冠の帝王」、「千の技を持つ男」、「秒の殺し屋」
得意技はジャーマン・スープレックス。
via リッキー台風
<日本での試合>
日本での試合は5度だけであり、その後はコーチ、セコンド、タイトルマッチの立会人として来日することが多かった。
力道山は、ゴッチさんの実力を「強けりゃいいってもんじゃねえ」と評したとされる。
ゴッチさんは3度めの来日となった1967年(昭和42年)11月から日本プロレスの要請で“ゴッチ教室”を開講。69年(昭和44年)5月まで東京に滞在し、日本人選手の専属コーチとなった。
このとき、アントニオ猪木は20代、ジャーマン・スープレックス・ホールドと卍固めを伝授した。
フロリダ州オデッサのゴッチ家のガレージ道場では、70年代後半から80年代前半にかけて、若手時代の藤波辰爾、藤原喜明、遠征先のメキシコから“脱走”してきた初代タイガーマスク(佐山聡)、前田日明、前田のトレーニング・パートナーとして同行した高田延彦らが“神様”から直接の指導を受けるなど、日本のプロレスに貢献し、影響を与えた。
前田日明はゴッチのことを後にインタビューにてこう語っている。
“これはゴッチさんの名誉のために言っておきたいんだけど、どっかのバカが“ゴッチの技術は役に立たない”みたいなことを言ったじゃない。はっきり言うけど、ゴッチ教室といっても一番長く教わったのは藤原さんが半年行っただけなんだよ。普通に考えて、空手の道場、柔道、合気道、レスリング・・・何でもいいよ、半年通っただけで何がわかる? でも、その短い期間に関わらずゴッチさんが何を見せてくれたかというと、キャッチの入り口を見せてくれたんだよ。
~中略~
それなのにみんなゴッチイズムを学んだ気になっているんだよね。ゴッチの技術を誰にも言う資格はない。跡継ぎは誰もいないんだよ。ゴッチさんが要求するハードルはそれくらい高かった。”
日本での試合は5度だけであり、その後はコーチ、セコンド、タイトルマッチの立会人として来日することが多かった。
力道山は、ゴッチさんの実力を「強けりゃいいってもんじゃねえ」と評したとされる。
ゴッチさんは3度めの来日となった1967年(昭和42年)11月から日本プロレスの要請で“ゴッチ教室”を開講。69年(昭和44年)5月まで東京に滞在し、日本人選手の専属コーチとなった。
このとき、アントニオ猪木は20代、ジャーマン・スープレックス・ホールドと卍固めを伝授した。
フロリダ州オデッサのゴッチ家のガレージ道場では、70年代後半から80年代前半にかけて、若手時代の藤波辰爾、藤原喜明、遠征先のメキシコから“脱走”してきた初代タイガーマスク(佐山聡)、前田日明、前田のトレーニング・パートナーとして同行した高田延彦らが“神様”から直接の指導を受けるなど、日本のプロレスに貢献し、影響を与えた。
前田日明はゴッチのことを後にインタビューにてこう語っている。
“これはゴッチさんの名誉のために言っておきたいんだけど、どっかのバカが“ゴッチの技術は役に立たない”みたいなことを言ったじゃない。はっきり言うけど、ゴッチ教室といっても一番長く教わったのは藤原さんが半年行っただけなんだよ。普通に考えて、空手の道場、柔道、合気道、レスリング・・・何でもいいよ、半年通っただけで何がわかる? でも、その短い期間に関わらずゴッチさんが何を見せてくれたかというと、キャッチの入り口を見せてくれたんだよ。
~中略~
それなのにみんなゴッチイズムを学んだ気になっているんだよね。ゴッチの技術を誰にも言う資格はない。跡継ぎは誰もいないんだよ。ゴッチさんが要求するハードルはそれくらい高かった。”
via リッキー台風
ジャイアント馬場
実名そのまま「ジャイアント馬場」
元プロ野球、日本プロレスラー。
昭和35年デビュー以来、無欠場(約2000以上の試合をこなした)という大記録を持つ。
父親の葬式の日も試合をしていたというのは有名な話である。
全日本プロレス代表取締役社長・会長、NWA第一副会長を歴任。
身長209㎝という高さの最大の巨体を持つ。
ニックネーム「世界の巨人」、「東洋の巨人」、「御大」、「王者の魂」、「王道」、「 東洋の悪魔」
元プロ野球、日本プロレスラー。
昭和35年デビュー以来、無欠場(約2000以上の試合をこなした)という大記録を持つ。
父親の葬式の日も試合をしていたというのは有名な話である。
全日本プロレス代表取締役社長・会長、NWA第一副会長を歴任。
身長209㎝という高さの最大の巨体を持つ。
ニックネーム「世界の巨人」、「東洋の巨人」、「御大」、「王者の魂」、「王道」、「 東洋の悪魔」
via リッキー台風
アントニオ猪木
実名そのまま「アントニオ猪木」
日本プロレスラー。現在は実業家、政治家。
新日本プロレス設立後の「燃える闘魂」でお馴染み。
日本プロレス所属時代のキャッチフレーズは「若獅子」。愛称は「アントン」。
名勝負は数々あるが、その中でも異種格闘技での対戦。
プロボクシング統一世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリとの一戦は世界各国に中継され話題を呼んだ。日本では、昼間の生中継と同日のゴールデンタイム19時からのNETテレビでの録画中継という形で2度放送されるくらい注目された。
日本プロレスラー。現在は実業家、政治家。
新日本プロレス設立後の「燃える闘魂」でお馴染み。
日本プロレス所属時代のキャッチフレーズは「若獅子」。愛称は「アントン」。
名勝負は数々あるが、その中でも異種格闘技での対戦。
プロボクシング統一世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリとの一戦は世界各国に中継され話題を呼んだ。日本では、昼間の生中継と同日のゴールデンタイム19時からのNETテレビでの録画中継という形で2度放送されるくらい注目された。
via リッキー台風
テリー・ブロンコ
テキサス生まれ、テキサス育ちのレスラー。
毎回荒馬に乗ってリングに入場する。
モデルは「テリー・ファンク」
作中ではテリー・ファンクの弟分とされている。
テリー・ファンクはニックネームに「テキサス・ブロンコ」、「テキサスの荒馬」を持つ。
リッキーとトーナメント決勝で戦おうと誓うも準決勝でブラック・タイガーに破れてからリッキーとの対決実現を夢見て切磋琢磨する親友となる。
クラークとの統一戦ではレフェリーも務めた。
最終回ではリッキーと対戦する。
必殺技はスピニング・トゥー・ホールド。
毎回荒馬に乗ってリングに入場する。
モデルは「テリー・ファンク」
作中ではテリー・ファンクの弟分とされている。
テリー・ファンクはニックネームに「テキサス・ブロンコ」、「テキサスの荒馬」を持つ。
リッキーとトーナメント決勝で戦おうと誓うも準決勝でブラック・タイガーに破れてからリッキーとの対決実現を夢見て切磋琢磨する親友となる。
クラークとの統一戦ではレフェリーも務めた。
最終回ではリッキーと対戦する。
必殺技はスピニング・トゥー・ホールド。
via リッキー台風
クラーク・ロビンソン
AWAジュニア王者、王座統一戦の相手。
当時、人気があった「スーパーマン」がモデル。
イメージそのままで、キャッチフレーズは『スーパーマン』、必殺技は超高速ジャイアントスイング。
元宇宙飛行士候補生という異色の経歴を持ち、ジュニア王者に就くまでプロレスの経験はなかった。
紳士な性格だが、エリート意識と自分自身がスーパーマンになりたいという欲求からくる完璧主義の影響で、返り血で体を汚されると性格が豹変する。
当時、人気があった「スーパーマン」がモデル。
イメージそのままで、キャッチフレーズは『スーパーマン』、必殺技は超高速ジャイアントスイング。
元宇宙飛行士候補生という異色の経歴を持ち、ジュニア王者に就くまでプロレスの経験はなかった。
紳士な性格だが、エリート意識と自分自身がスーパーマンになりたいという欲求からくる完璧主義の影響で、返り血で体を汚されると性格が豹変する。
via リッキー台風
サンディ・エマヌードル
キャッチフレーズ『ミスター・ギャル』。
『ミスター・レディー』マリリン・エマヌードル(後述)の妹。
女子レスラーであり、トーナメントは男子、女子の無差別で参加し、セクハラ攻撃も受けながらも何とか予選を勝ち残り、予選後も試合前にリッキーの腰のケアをするなど事実上のヒロインとなる。
「~ッチ」が口癖。
必殺技は蟹バサミのヘッドシザース「プッシー・ヘッドシザース」。
後にリッキーと結婚し桃子(続編『リッキー・ザ・レディ』の主人公、リッキーの娘)を産んだと思われる。
『ミスター・レディー』マリリン・エマヌードル(後述)の妹。
女子レスラーであり、トーナメントは男子、女子の無差別で参加し、セクハラ攻撃も受けながらも何とか予選を勝ち残り、予選後も試合前にリッキーの腰のケアをするなど事実上のヒロインとなる。
「~ッチ」が口癖。
必殺技は蟹バサミのヘッドシザース「プッシー・ヘッドシザース」。
後にリッキーと結婚し桃子(続編『リッキー・ザ・レディ』の主人公、リッキーの娘)を産んだと思われる。
via リッキー台風
リッキーたちが繰り出す激アツプロレス技に酔いしれた!
プロレスの原点、派手な技は少ないけれどこれぞ昭和プロレス!
という技が次から次へと「リッキー台風」で繰り出されます!
知ってる知ってる!
懐かしい~!!
といった技の数々をキャラと共に紹介いたします!
という技が次から次へと「リッキー台風」で繰り出されます!
知ってる知ってる!
懐かしい~!!
といった技の数々をキャラと共に紹介いたします!
急展開です。
テリーとの闘いをすることで最終回へ向けてのカウントダウン…となります。