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おかっぱ頭の個性際立つ風貌と飄々とした演技で、小劇場演劇の世界で大きな注目を浴び、「ブリキの自発団」の主力になったが、演劇や俳優はあくまで趣味でメインは映画館。
大学卒業後も、できれば
「映画会社に就職」
できなければ
「映画館のもぎりとして一生過ごせばいいや」
と思っていた。
「女優さんになりたいと思ったことはないですね
ないですっていうのも変だけど、俳優になったのは、ほぼ偶然ですよ。
だってもともと映画が好きだから、大学時代にもぎりをやってたんで、そのままでいいし、就職できるんだったら映画館に就職するし、まあちょっとそれじゃあなんだっていうんだったら、まあ大学も出たんで、映画会社の宣伝部に入って邦題考えたり、ハリウッドからスターがいらっしゃったら「こちらにどうぞ」みたいな。
それが私の理想の職業ですね」
大学卒業後も、できれば
「映画会社に就職」
できなければ
「映画館のもぎりとして一生過ごせばいいや」
と思っていた。
「女優さんになりたいと思ったことはないですね
ないですっていうのも変だけど、俳優になったのは、ほぼ偶然ですよ。
だってもともと映画が好きだから、大学時代にもぎりをやってたんで、そのままでいいし、就職できるんだったら映画館に就職するし、まあちょっとそれじゃあなんだっていうんだったら、まあ大学も出たんで、映画会社の宣伝部に入って邦題考えたり、ハリウッドからスターがいらっしゃったら「こちらにどうぞ」みたいな。
それが私の理想の職業ですね」
ミスタードーナツ CM 明石家さんま 片桐はいり ひさうちみちお
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就職活動の時期になり、
「映画の配給会社を受けてみようか」
などと思っていたとき、自分の舞台を観た電通の社員からスカウトを受け、
「いいことあるっぞ〜!ミスタードーナツ 」
で有名なミスタードーナツのCMに出演した。
明石家さんまと2人で歌いながら店を訪れ、
「期待してきたんですけど」
と店員に迫る内容は話題を呼び、一躍有名になった。
そしてもぎりの何十倍というギャラをもらい
「これで1年働かなくてもいいじゃん」
と
「気が大きくなって」
大学を卒業しても就職しなかった。
そして舞台だけでなく、CM、ドラマ、映画と活躍の場を広げていきながらも、あくまで女優は
「仮にやっているだけ」
本職はもぎりで、映画館でもぎり続た。
「映画の配給会社を受けてみようか」
などと思っていたとき、自分の舞台を観た電通の社員からスカウトを受け、
「いいことあるっぞ〜!ミスタードーナツ 」
で有名なミスタードーナツのCMに出演した。
明石家さんまと2人で歌いながら店を訪れ、
「期待してきたんですけど」
と店員に迫る内容は話題を呼び、一躍有名になった。
そしてもぎりの何十倍というギャラをもらい
「これで1年働かなくてもいいじゃん」
と
「気が大きくなって」
大学を卒業しても就職しなかった。
そして舞台だけでなく、CM、ドラマ、映画と活躍の場を広げていきながらも、あくまで女優は
「仮にやっているだけ」
本職はもぎりで、映画館でもぎり続た。
1985年CM ミスタードーナツ「 パーティーポット」篇 ダウンタウン 片桐はいり
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24歳のとき、ミスタードーナツのCMで23歳のダウンタウンと初共演。
このときのダウンタウンは、東京に進出して間もない頃。
片桐はいりは、2人の楽屋にあいさつに行ったとき、これが東京でのほぼ初仕事と聞いていたので、きっと
「よろしくお願いします」
と謙虚にいわれると思っていたが、浜田雅功は、
「なんや」
といわんばかりにふんぞり返ったまま、松本人志はうつむいたままでなにもいわず、あまりの偉そブリに
「こっちがスミマセンみたいな感じになった」
しかしその後、ダウンタウンが上方漫才大賞を獲ったとき、プレゼンテーターとして花を贈呈し、ずっと
「彼らにとってわたしが東京で1番最初のお友達」
と思っていたが、松本人志の監督作品「R100」(2013年10月5日公開)に出演したとき、
「初めまして」
といわれた。
そして与えられた役は「丸呑みの女王様」で、最後はカップラーメンを食べようとしたときに主人公に射殺された。
このときのダウンタウンは、東京に進出して間もない頃。
片桐はいりは、2人の楽屋にあいさつに行ったとき、これが東京でのほぼ初仕事と聞いていたので、きっと
「よろしくお願いします」
と謙虚にいわれると思っていたが、浜田雅功は、
「なんや」
といわんばかりにふんぞり返ったまま、松本人志はうつむいたままでなにもいわず、あまりの偉そブリに
「こっちがスミマセンみたいな感じになった」
しかしその後、ダウンタウンが上方漫才大賞を獲ったとき、プレゼンテーターとして花を贈呈し、ずっと
「彼らにとってわたしが東京で1番最初のお友達」
と思っていたが、松本人志の監督作品「R100」(2013年10月5日公開)に出演したとき、
「初めまして」
といわれた。
そして与えられた役は「丸呑みの女王様」で、最後はカップラーメンを食べようとしたときに主人公に射殺された。
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同じく24歳のときに映画「自由な女神たち」に出演。
東京の場末のキャバレーの歌手、山野辺徳子が男のために整形手術を受けて美女となるというストーリー。
片桐はいりは整形前の山野辺徳子を演じたが、整形後の山野辺徳子は松坂慶子だった。
銀座文化劇場で「自由な女神たち」が公開されると自分が出ている映画のチケットをもぎり、劇場から出てきた客に顔を二度見された。
その後も映画への出演が続き、もぎりとして受付に立つことが難しくなり、離れがたかったが25歳で映画館を辞めた。
「私は映画に出たことで映画館を去ることになった」
18歳から7年間、大学のあった吉祥寺より、劇団の稽古場があった池袋より、はるかに多くの濃い時間をすごした銀座の映画館で過ごした。
それは宝物のような7年間だった。
東京の場末のキャバレーの歌手、山野辺徳子が男のために整形手術を受けて美女となるというストーリー。
片桐はいりは整形前の山野辺徳子を演じたが、整形後の山野辺徳子は松坂慶子だった。
銀座文化劇場で「自由な女神たち」が公開されると自分が出ている映画のチケットをもぎり、劇場から出てきた客に顔を二度見された。
その後も映画への出演が続き、もぎりとして受付に立つことが難しくなり、離れがたかったが25歳で映画館を辞めた。
「私は映画に出たことで映画館を去ることになった」
18歳から7年間、大学のあった吉祥寺より、劇団の稽古場があった池袋より、はるかに多くの濃い時間をすごした銀座の映画館で過ごした。
それは宝物のような7年間だった。
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